第10話 約束被りの処方箋
芽依と昼休みを過ごすのは何年ぶりだろうか。
下手をしたら小学生以来かも知れない。
そんなことを思いながら、俺はげんなりした顔で教室に入ると恭介に話しかけた。
「……なぁ、恭介」
「んだよ」
「もし、な? 仮に、万が一、仮定の話として……」
「前置きがなげーな。さっさと喋れよ」
「大切な約束がかぶったら、どうする?」
「約束被りか? そりゃ、大事な方を優先するしかないだろ」
「どっちも同じくらい大切な約束だったら?」
「んなもん、被らせんな」
ごもっとも……。
だが、それでは話にならないので俺は渋々続けた。
「いや、だから仮定の話って言ったろ?」
「んー……」
恭介は俺の言葉に、深く考え込むようにしてうつむくと……。
「そりゃ、それでも大事な方を取るしかないだろ」
「……だよなぁ」
恭介の言葉に、俺は同意を返した。
それの他に返す言葉を知らなかった。
「ハルせーんぱい。お久しぶりです」
「朝も会っただろ」
今日は部活があるので、部室に顔を出すと既に弥月が部室の中で本を読んでいた。俺は荷物をおいて弥月から少し離れた椅子に腰掛けると、読みかけのラノベを開く。
「隣良いですか?」
だが、弥月はそう言って俺の隣に座ってきた。
そして、浮かれた表情で文庫本を開き直す。
「まだ何も言ってないぞ?」
「良いじゃないですか。恋人ですし」
「…………」
そういえば弥月には、まだコーヒーを飲んで記憶をふっ飛ばした話をしてないんだった。ちゃんとしないとなぁ……。
「それより先輩。明日は何時に集合します?」
「午前中が良いな。午後は……そうだな。寝たい」
そうだ。デートが終わってからにしよう。
デートの約束を取り付けてしまった以上、それを反古にするのは約束を2つも破っているようで落ち着かない。
デートが終わって帰るときに本当のことを打ち明けよう。
「えー。ハル先輩、休みの日なのに寝るんですか?」
「休みの日だから、寝たい」
俺の言葉に、弥月はにんまりと笑った。
「じゃあ、お世話にしにいってあげますよ。先輩」
「なんで休みの日で寝るだけなのに世話がいるんだよ」
「そりゃ、先輩。寝てばっかりだと身体に悪いからです」
「来て何するんだ?」
「ツイスターゲームやりましょう」
「……なにそれ?」
「え、知らないんですか? ほら、マットの上にカラフルな丸が描かれててその上に手とか足とか置いてくやつですよ」
弥月にそう言われたのだが、全くもって映像が浮かばない。
「ほら、これですよ。これ」
そんな俺に呆れるようにして、弥月がスマホでツイスターゲームの写真を見せてくれた。
「あ、これ名前あったんだ……。てか何で知ってるの? 持ってるの?」
「そんな訳ないじゃないですか。買うんですよ。デートで」
「でも、これ楽しいのか?」
「いちゃいちゃするんです」
「…………」
ストレス性の胃炎が……ッ!
「……そんなに、イチャついて楽しいか?」
「ハル先輩。好きな人とはなにしたって楽しいんですよ」
ぐうの音も出ないほどのリア充感あふれる答えが弥月は返ってきたので俺は黙り込んだ。何を隠そう。俺は今まで彼女なんて出来たことのないクソ陰キャ。弥月の言葉に何かを返せるわけもなく、返したところで負け犬の遠吠えでしかなく、黙ってラノベを開いた。
「だから、こうして2人きりで本を読むのも……楽しいんですよ。先輩」
弥月の言葉に俺はわずかに目を見開いた。
「……ありがとな」
それは、俺には嬉しい言葉だった。
弥月とたった2人の部活動。
彼女にどう思われているのかは、心配だったから。
「いいえ! 好きでやってますから」
そういって屈託なく笑う弥月の笑顔は、俺には少し眩しすぎた。
我らが弱小文芸部の活動は読書だけである。
過去の先輩たちがいた頃は文集やらなんやらを作っていたらしいが、あいにくと今の俺にはそんなやる気も気概もない。単身赴任中の親父を安心させるためだけに入った仮初の居場所である。
とは言っても、中学のころから文芸部だったので、きっと選んだのには古巣にあるような慣れを求めたというのもあったのだろう。俺は2人きりの文芸部が居心地が良かったし弥月にも、そうあって欲しいと思っていた。
「……好かれてて、嫌な気持ちはしないしな」
俺は真っ暗になった道を1人で下校しながら、そう言った。
弥月とは家の方向がちょっと違うし、芽依は帰宅部なので部活がある日の帰りはいつも1人だ。
「嫌な気持ちは、しないんだけどさ……」
だからこそ、いたたまれなくなる。
自分がコーヒーで記憶を飛ばして、後先考えない告白なんてしてしまったことに。
「……いや、ちゃんと明日言おう。それで、弥月には謝ろう」
俺は歩きスマホしながら、「女の子 謝り方」とか「許してもらえる謝罪の方法」とかで調べていく。
「あー。お詫びの品かぁ……」
確かに、弥月をここまで勘違いさせてしまったのは俺の責任だ。
ここは、ガッチガチに締め切っている俺の財布の紐もだるんだるんに緩めて、謝罪の品を送るのが吉かもしれない。
「うん。ちゃんと謝ろう。あと、芽依は……」
そういって、昨日の夜のことを思い出して憂鬱になった。
どうやら、俺と芽依が付き合うのに拒否権なんてないらしい。
完全に終わったかのように見えるが、そこはなんとなく付き合って自然消滅を狙うのかが良いのかも知れない。
というか、現状それ以外の解決方法が見えてこない。
困った時は後回し。それが俺の処世術なのだ。
「いや、そのせいで悪化してんのか……?」
思わずこんなことになってしまった理由が分かった気がするが、分かったところでどうしようもないので後回しにする。
「ルナちゃんは……」
「呼びました?」
「……ん?」
日本人離れした透き通るような声。それもそのはず。
彼女は日本人じゃないのだから。
「……ルナちゃん?」
「はいです!」
ちょっと日本語が怪しい返事をしながら、ルナちゃんが頷いたのは俺の家の前。
「……なんでここに?」
「昔、ハルさんに招いてもらいましたから」
そういえばそんなことがあったような無かったような。
「覚えてたの?」
「ノン! 街を歩いている内に色々と思い出したんです!」
なるほど?
確かに覚えてたんだったら最初から俺の家に来るか。
「せっかくだし上がっていく?」
「良いんですか? 私はその……ハルさんの顔だけ見て帰るつもりだったんですけど」
「来てくれたんだし……それに、昔の話もしたい」
婚姻届のやつだ。
子供のときに作ったとはいえ、その話はちゃんとしておかないとダメだろう。
俺はそういって、鍵を開けた。
ルナちゃんの微笑みと、俺の引きつった笑いが嫌に対照的だなと……そんなことを考えた。




