あめんどうさん
連日、酷暑が続く夏。
早朝からのうだるような暑さに参ってしまいそうだった。
一日中つけっぱなしの所為で、エアコンも「うぉんうぉん」とおかしな声を上げている。
私の子供の頃、1980年代には、ようやく一般家庭にもエアコンが普及し始めたばかりで、それまでは扇風機のみで夏を乗り越えていたのが嘘のようだ。
毎年のように更新される最高気温もそうであるが、ここ数年は突然の局地的な集中豪雨も、気候の変化を如実に表しているような気がする。
テレビに流れる集中豪雨による土砂災害のニュースを見ながら私はふと、子供の頃のことを思い出していた。
1989年の夏、昭和天皇が崩御されて元号が昭和から平成に変わった年だ。
当時、小学校3年生だった私には、改元の意味などよくわからなかったが、新しい時代に突入したんだという、そんな漠然とした期待と言うかわくわくするような感覚があったことは覚えている。
平成最初のお盆。この時期になると毎年、両親に連れられて田舎の祖父母が住む九州へ行くのが楽しみであった。
大分の田舎にある小さな集落。木造二階建ての家屋の裏には山があり、正面には海が広がる、田舎然とした風景は元号が平成に変わっても、昭和から変わらず残るものだった。
父の実家である田舎に帰ってくると、私は我先にと駆け足で祖母に帰宅を報せに走った。
「おばあちゃん、ただいまあああああああ!」
「おー、たかしかぁ」
出迎えてくれた祖母は、一年振りである孫の姿に目を細め満面の笑みを浮かべていた。
「おじいちゃんは?」
「じいさんは、奥で寝ちょるよ」
「えー、もう朝なのに?」
「寝ちょるっても、目は覚めちょるだろうから行ってみ」
そう言われて、私は玄関からではなく縁側から屋内に駆け込むと祖父の部屋へと走った。
祖父は、戦争でお国の為に戦った兵隊さんだったらしい。
戦争の事は詳しくは聞かされていないので、どういった経歴なのかはわからないが、書斎の机の上に置かれていた弾倉。そこに斜めにめり込んだ別の弾丸。それが祖父が九死に一生を得た証拠であると、一度だけ聞かされたくらいだった。
私が生まれてからすぐに、身体を壊して入退院を繰り返すようになっていたらしいのだが、その年は自宅での療養が長かったらしい。
私は、特に祖父の事が好きだったというわけではなかった。
年に一度、夏の間だけ一週間ほど帰省している間。祖父と会話を交わしたことなどほとんどなかった。
ある年は、病院へお見舞いにいったきりだったり。ある年は、ほとんど起きてくることもなく、ベッドの上で寝ていることがほとんだった為だ。
祖父との思い出なんて皆無に等しいのだが、そんな私が鮮明に覚えているのが、この年のある出来事だった。
田舎に帰省してから3日目。
その日は、どういう理由でかは忘れてしまったが、祖父と私が二人だけで家で留守番をしていた。
私は、午前中に買ってもらったSDガンダムのプラモデルを作る為に、ニッパーを借りようと祖父の寝室へと入っていった。
「おじいちゃん、ニッパー貸してぇ」
「おぉ、ニッパーかぁ。なにに使うんだ?」
「BB戦士作るのに使う」
「そうかそうかぁ」
孫の言ってることはよくわからないだろうが、祖父はベッドから手の届く範囲にある机の引き出しを開けるとニッパーを手渡してくれた。
私はそのまま祖父の部屋でプラモデルを作り始めた。
二人無言のまま、パチッ、パチッ、っと。ランナーからパーツを切り取る音だけが部屋に鳴り響く。
そうしていると、「さー……」っと外から音が聞こえてきた。
「おじいちゃん、雨だよ」
「おー、にわか雨だけん、すぐに止みよるに」
当時は、局地的に降る短期集中型の雨を、にわか雨や通り雨と呼んでいた。
現代ほど、すさまじい豪雨ではなく、さーっと雨が通り過ぎるようなものだった。
網戸を開けて外を眺めていると、私は不思議な光景に気が付いた。
「おじいちゃん。この雨、変だよ? なんか道の所にしか降ってない」
家の前、5メートル程先にある通り。そこだけを雨粒が濡らし、進んで行っていたのだ。
辺りを見回しても、雨が降っている気配はなく地面も濡れていなかった。
「あぁ、それは“あめんどうさん”が通ってるんだな。通せんぼしなければなにもしてこないき、放っておけ」
祖父がそう言うと、さーっと雨が引いて涼しい風が吹き抜けた。
あめんどうさん。あめんぼと同じイントネーションで言うので、巨大なあめんぼのお化けを想像して私は少し怖くなった。
「あめんどうさんて?」
「夏になるとな、にわか雨を連れてくるき。あめんどうさんが通った後は涼しい風が吹いて心地ええやろ?」
「うん……でもなんか怖い。通せんぼしたらどうなるの?」
「山に連れてかれてしまうかもなぁ。雨の通り道だけ避けたらええきに、そんな心配する必要もない」
「でも、もし避けられなかったら?」
「木の下でも、軒下でもええ、雨の当たらん場所で顔伏せて、通り過ぎるのをじっと待っとれ」
「待つだけ?」
「そうだ。絶対にあめんどうさんを見ようとか、話しかけようとかしたらいかん」
その時だけ、祖父が真剣な顔で言うので、私はますます怖くなってしまい。その話は切り上げて再びプラモデルを作り始めるのだった。
そうこうして、田舎に来てから一週間経ったある日。
私はお小遣いをもらうと、近所の酒屋にお菓子を買いに向かっていた。
その時も、兄弟や従兄弟達とは別行動で一人だった。私は子供の頃から協調性がなかったらしい。
まあそれは置いておいて。
お菓子を買い終えて家に戻ろうとしたその時だった。
目の前で雨が降り始めてこちらに向かってきたのである。
あめんどうさんだ。
私はすぐにそう思い、向かってくる雨を避けようと思ったのだが、両脇には木の塀が立ち並び、とても避けられそうになかった。
向かってくる方向とは逆方向に走ろうと思ったが、思ったよりも雨脚は早くもうすぐそこまで迫っていた。
通せんぼしたらいけない。
そう思い私は焦るのだが、木や軒下なんか周りにはなかった。
ふと目をやると、屋根の付いた掲示板があったので、私はその下に駆け込むとうずくまって下を向き地面をじっと見つめていた。
雨が通り過ぎるまで、あめんどうさんを見ようとも話しかけようともしてはいけない。
もっとも、怖くてそんなことなんてとてもできそうにもなかったが。
しばらくしていると、向こうからなにか音が聞こえてくる。
ぺちゃ……ぺちゃ……。
と、足音の様なものが近づいてくると私の前で止まった。
私は恐ろしくて目を固く結んで、早くやんで早くやんでと、雨が止むのを心の中で唱え続けた。
「たかしちゃんよねぇ?」
頭上から聞こえてくる女の人の声。
「ねえ、たかしちゃんよねえ? こんなところでなにをしてるの?」
それは、どこかで聞いたことのある声。
そうだ、おばちゃんの声だ。父の妹である叔母の声であることにホッとして顔を上げようとしたのだが、私はハっとする。
叔母であるのなら、なぜ足が見えないのだろうか?
そう思った瞬間、背筋に寒気が走り、私はギュッと目を瞑って両手で耳を塞いだ。
「たかし? どうしたんだたかし? そんな所でなにをしているの?」
今度は兄の声だ。
先程までは叔母の声で呼びかけてきていた声が、兄の声に変わっている。
私は恐ろしくて涙を流したが、声だけは上げない様にした。
すると遠くから別の声が聞こえた。
「たかしっ? たかしい!?」
母の声であった。母が迎えに来てくれたんだと思った瞬間に、私はホッとして顔を上げようとしたのだが。
「たかしっ! 見るんじゃあないっ! 連れていかれるぞっ!」
祖父の怒鳴り声だった。
私はその怒鳴り声に従い、じっと目を閉じて雨が通り過ぎるのを待った。
その後のことは、良く覚えていない。
いつの間にか家に戻っていた私は、今あったことを皆に話そうとした。
しかし、父や伯父さん、それに母達がバタバタと慌ただしくしている為に、話すことはできなかった。
その日の夜、祖父は再び入院することになった。
それから数年間。私が高校二年になるまで祖父は入退院を繰り返した。
医者曰く、こんなに長生きできるとは思わなかったとのことだ。
祖父が死ぬ、数年前に一度だけあの日のことを聞いてみたことがある。
あの日、おじいちゃんが私のことを叱って助けてくれたのかと。
祖父は不思議そうな顔をしてこう言った。
「そんなの、知らんなぁ」
あの日の出来事がなんだったのかわらかないが、今ではあんなに穏やかなにわか雨をみることも、そう多くはないのだろう。