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いる......

 その日も、今日の様に暑い夜でした。


 週末。仕事を終えると私は、自宅の最寄り駅にあるコンビニで、缶ビールとつまみに枝豆、そして夕飯の弁当を買って帰ることにしたのです。

 就職して一人暮らしを始めてから三年間、私の胃袋を支え続けてくれているコンビニ。毎日のように会社帰りに弁当を買って帰るので、銘柄を言わなくてもマルボロの赤が自然と出てくるまでになっていました。

 社会人になってからの最初の一年間は張り切って、毎日自炊するぞなんて思っていたのですが、そんな決意も忙しい日々に忙殺されてしまいました。

 家から駅までは自転車で約15分という距離なので、雨の日が大変なのは言うまでもないのですが、夏場なんかもとても暑くて通勤が憂鬱だったりしました。

 特に今日の様な、夜になっても蒸し返すような暑さの日なんかそうです。自宅のマンションに辿り着く頃には、シャツが汗でびしょびしょになってしまいます。

 築35年と少し古い単身者用のマンションでしたが、駅から少し遠いということもあり、都内ではそうそうない安さでしたのでここにしたのですが、もう少し他を探してみてもよかったかなと少し思ったりもします。

 それでも、五階建ての最上階なので夏場には近くの河川敷で行われる打ち上げ花火が見えるし、スカイツリーの遠望できる夜景が綺麗なので気にいってもいました。


 駐輪場に自転車を停めると私は、早くシャワーを浴びたいと思いながらエレベーターへ向かいました。

 終電もなくなり、夜の1時半を回るこの時間帯。当然、周りには人の気配もなく静かなのですが、その日はなんだかいつもよりも辺りが、しん……と静まり返るような静寂を感じました。

 エントランスの蛍光灯の周りを飛び交う蛾が、カンカンと音を鳴らす音が木霊して、なんだか暗い雰囲気を漂わせていました。

 早く部屋に行ってシャワーを浴びて、火照った体に冷たいビールを流し込めば、暗い雰囲気も晴れるだろうと考えながらエレベーターを待っていました。

 数秒も待たずに上階からエレベーターが降りてくると、扉が開いたので乗り込むのですが、私はその時、違和感を覚えました。

 通常エレベーターは、上階に行った後一定時間なにも操作をしなければ1階まで戻るようになっているのですが、今は私がボタンを押して呼んだのです。

 私の前に誰かが上階に上がったのかもしれないのですが、そんな気配はなかったし、しんと静まり返る深夜のマンション内で、エレベーターが動けば当然音も聞こえるはずなのに気がつきませんでした。


 些細な違和感に首を傾げながらも、きっと気が付かなかっただけで他の住人が上階に上がっていったのだろうと思うことにしました。

 自室のある5階のボタンを押して、閉じるボタンを押すと扉がゆっくりと閉まり始めました。

 その時、私は気が付いてしまったのです。

 このエレベーターは外が見えるように、長方形の小さなガラス窓が扉部分にはめ込まれているのですが、そのガラスに反射して映り込んだエレベーター内。私の左斜め後ろ部分に……。



 いる……。



 薄暗いエレベーター内に、私以外の『何か』が乗っていて、ガラス窓に映り込んでいたのです。

 私は一瞬声を上げそうになったのですが、必死に押さえ込みました。

 確かに降りてきたエレベーターには誰も乗っていなかった筈。そしてエレベーターに乗った時に、別の人が乗り込んできたなんてこともありえなかった。

 じゃあなぜ私の後ろには、眼を血走らせた顔面蒼白で髪の長い女が睨み付けるようにして立っているのか。

 背筋にゾゾゾと悪寒が走ると、私は恐ろしさのあまり扉の開くボタンを連打するのですが、エレベーターは動きだしてしまいました。

 5階までノンストップで行けば一分もかからない。そう思い、私はなるべくガラス窓に目線をやらないようにしていました。

 もしかしたら見間違いかもしれない、光の反射でなにかが女の顔に見えてしまったのかもしれない。そう思い込むことで、恐怖を押さえ込もうとしました。


 しかし思わぬ事態が発生、突如エレベーターがガクンと揺れて止まってしまったのです。

 私はパニック寸前でした。

 通常の状態でもエレベーター内に閉じ込められたら焦るでしょう、それが今は得体のしれないなにかと一緒なのです。


「と、ととと、とにかく落ち着け。冷静になってまずはボタンが反応するかを試すんだ」


 気が付くと声に出していました。


「くそっ! 反応がない、緊急コールのボタンは? これか!」


 緊急ボタンを押しこんでみるのですが、うんともすんとも言いません。

 ふと横目で後ろを見ると、私は悲鳴を上げそうになってしまいました。


 耳元に微かに感じる吐息。はぁ……はぁ……と聞こえてくる音。

 私の真後ろに張り付くようにして女が覗き込んでいる。そう考えると私は……。


 ちょっと待てよ……。


 今、密室状態のエレベーター内で私は、幽霊とはいえ女と二人きり。

 いやいや、まだ幽霊と決まったわけではないが、とりあえず見た目は女だった。その女がなぜか密着してきている。

 そう思い私は……いや俺は再びガラス窓に目をやった。


 俺の顔のすぐ真横に浮かびあがる黒髪ロングの色白な女の顔。

 ちょっとやつれて見えるけど、薄幸の美女に見えなくもない。

 そしてなにより女の恰好だが、白いノースリーブのワンピース姿。


 なんか……エロいかも。


 俺が、ガラス越しに舐めまわすように女幽霊の身体を見ていると、ようやくその視線に気が付いたのか。女幽霊は俺から少し離れると、少し恥ずかしそうに身体をくねらせている。

 おいおい、なんですかその反応は? よくよく見ると意外に出る所は出てるし、眼は真っ赤だけどそれはそれでまあ、ありよりのありのような気がしてきた。


 そんなことを考えていると妙に興奮してきてしまった。しかも、冷房の付いていないエレベーター内、いつの間にか恐怖心はなくなっていて急に暑さの方が気になり体中に汗が滲み始める。


「くっそぉ、あっちぃなぁ」


 そう呟きながら俺はネクタイを緩めてシャツのボタンを数個外した。

 すると、明らかに女幽霊が不審な反応を見せた。

 なんだか鼻息も荒く、俺のはだけた胸元を凝視している。なんだか恥ずかしそうに顔を両手で覆っているが、指の間から見ているのがわかるぞ!


 こいつあれだ、完全にあれだ。

 変態ストーカー女幽霊だわ。

 若い男を見つけて眼の色変えて追っかけてくる変態に違いない。


「ふ~、それにしても暑いな。誰もいないし、もう上は脱いじゃおうかな」


 額の汗を拭いながらそう言うと、女幽霊はさらに鼻息を荒げて顔を真っ赤にしながら俺のことを凝視してくる。

 これは確定だ。

 最初はこいつに呪い殺されるのではないかと思って恐ろしかったが、今は別の意味で恐ろしい。

 このままだと俺は確実にこいつに食われる。別の意味で食われる。

 まあ見た目はよくよく見ると好みのタイプなのでやぶさかではない。

 しかし、場所が良くない。非常に不謹慎である。

 自宅マンションのエレベーター内で女幽霊と事に及んでいる姿が、もしあの監視カメラに映っていたら、て言うか、カメラに女幽霊の姿は映っているのだろか? 映っていなかった場合もう完全にアウトだろう。いや、映っていようがいまいがアウトだ。


「あー、早くシャワー浴びたいなぁ。なんとか動かないかなぁ。もう部屋まですぐなのになぁ。エレベーターが動けばなぁ」


 俺はわざとらしく言いながら、チラっチラっと女幽霊に視線を送る。

 女幽霊は恥ずかしそうにくねくねしながらなにかを妄想しているようだ。

 そして女幽霊がしばらく考え込んだ直後、急にエレベーターが動き出して最上階の5階に着いた。

 しかし扉が開かない。ガラスの反射越しに女幽霊を見ると、やはりまだなにか躊躇しているようだ。

 おそらく、ここで俺を取り逃がしてしまっても良いものだろうかと、迷っているのだろう。

 折角、獲物が目の前に居るのに、シャワーを覗きたいという欲望に負けて、扉を開けた瞬間に俺がダッシュで自室に駆け込んでしまったらとでも考えているのか。


 なるほど、だが心配するな。俺は俺でおまえのことを逃がすつもりはない。


 俺はいきなり振り返るとエレベーターの壁に手を突いた。

 急に壁ドンをされたので女幽霊は驚き、眼を見開いたまま俺のことを見つめて身動きできないでいる。


 そして俺は、女幽霊に向かって殺し文句を呟いた。


「俺んち、スカイツリーが見えるんだぜ?」




 その日も、今日の様に暑い夜だった。

 きっと、あまりの暑さで俺の頭もどうかしていたのだろう。


 煙草の煙の向こうに見えるスカイツリーの青い明かりが揺らぐ。

 俺は振り返ると、窓ガラスに映る女の姿を見つめて思う。



 今夜も熱くなりそうだ。

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