幼い幼馴染
結局、その日は文化祭のことが不安で、授業もお昼休みも放課後すら上の空だった。それは家に帰ってきても同じで、夕食が終わっても席を立つこと無くダイニングでぼーっとしていると、お母さんが私の隣に座りながら、不安げな顔で声をかけてきた。
「どうしたの芽依菜。何かあったの?」
「実は、文化祭委員になっちゃって……」
「え……? それは真木くんと?」
「ううん。沖田くんって人と……先月転校していった子がいたって言ったでしょ? その子が文化祭委員だったんだよね」
「戸塚さんだっけ」
台所で洗い物をしていたお父さんが、「紅茶でも飲む?」と、紅茶缶を開けた。私もお母さんも飲みたいと返事をして、お父さんは紅茶を淹れ始める。
「童話喫茶をするんだけど、委員会で真木くんと一緒に帰れなくなったらとか考えると、不安で……」
「それは大丈夫じゃないかしら? 真木くんだってきっと待っててくれるわよ。それに、今なにかと怖いでしょう? 連続殺人の犯人も、まだ捕まえることが出来ていないし……」
お母さんは悔しげに手のひらを握りしめた。私のお母さんは、警察官だ。捜査第一課という場所で、強盗や殺人事件――晩餐川連続猟奇殺人事件の捜査もしている。事件が解決するとお母さんはどことなく雰囲気が柔らかくなるし、逆に捜査が難航していると、お母さんは暗い顔をしている。最近は考え込む様子が多いから、きっとまだ犯人が確定していないのだろう。
小さい頃は警察官のお母さんかっこいい! なんて無邪気に思っていたけれど、連続殺人のニュースを見たり、不定期にしか家に帰ってこられないお母さんを見ていると、大変な仕事なんだと感じる。それに、殺人鬼を逮捕するわけで、危険と隣り合わせの仕事だ。
「それに、文化祭ももしかしたら中止になるかもしれないしね……」
「え……?」
「ここだけの話、まだ犯人の目星すらついてないの。でも、犯行の頻度は短くなってるから、もし高校の目の前とか、三軒先とかで起きるなんてことになったら、中止になることもあると思うわ。まだ学校は、そんなこといっさい視野に入れてない状況だと思うけど……」
お母さんは、はぁ、と溜息を吐いた。やがてお父さんが紅茶を持ってきて、カップを私とお母さんの前に置く。琥珀色の波紋に湯気が立っていて、息を吹きかけ冷ましてから一口飲む。やがてお父さんがじっとりと重い空気を変えるように、「童話喫茶って」と私に顔を向けた。
「そういえば、なにをするんだ? 読み聞かせか?」
「ううん。絵本イメージの内装に、絵本に出てくる登場人物の格好でお茶とかお菓子を提供する……って感じかな」
「はぁ……大変だなぁ。父さんが高校の時はクラス予算が全然降りなくて適当な展示になっていたけど、今はそんなことも出来るんだなぁ。楽しみだ。母さんは行けそう?」
「一応非番だから、きっと行けると思う。入学式も行けなかったし……」
お母さんは初め、私の高校の入学式に休みを入れていた。でも、そのとき関わっていた捜査に急展開があったとかで急遽出勤することになり、入学式を欠席した。実はそれは初めてのことじゃなくて、お母さんは私の学校行事という学校行事に来たことがない。行きたくない……ではなくむしろその逆だ。運動会も、授業参観も卒業式も、休みを入れて――駄目だった。
私はお母さんがお仕事を頑張っているのをよく分かっているし、学校行事に来ることが出来ないのは、仕方のないことだと理解している。
でも、そのことをお母さんは酷く心残りにしていた。
「被害者のためにも、芽依菜のためにも、お母さん頑張って犯人捕まえて、絶対文化祭行くからね!」
「うん!」
お母さんはガッツポーズをした。でも、その瞳の下には、うっすらと隈が見える。私はそのまま家族で紅茶を飲んで、お風呂が沸くまでダイニングで過ごしていたのだった。
◆◆◆
「どうわ……カフェ、っと」
私はお風呂上がり、ベッドに寝転がってスマホでカフェや文化祭の出し物について調べていた。
どうやら、コンセプトカフェという何かひとつのテーマに沿ったカフェのジャンルがあるらしく、童話カフェはそれに該当するのかもしれない。アニメやゲームとコラボしたカフェもあって、キャラクターに寄せた飲み物を提供するみたいだ。
童話カフェとなると……どうなるんだろう。不思議の国のアリスの紅茶とか……? 明日はどの童話をカフェのモチーフにするか絞っていかなきゃいけない。食べ物に関連する童話をリストアップしたほうがいいのかもしれない。
「めーちゃん」
スマホにメモをしていると、部屋のカーテンの奥から真木くんの声が聞こえてきた。薄いサーモンピンクのカーテンを開くと、後ろに髪をまとめた真木くんがベランダに出て手を振っていた。着物を着るときのまとめ髪みたいにして、パーカーも肘あたりで着ている彼は、学校で見る時とまた雰囲気が違って見える。
あっちもお風呂上がりらしく、シャンプーの臭いがした。
「ねー……そっちいってもいい? 今めーちゃんひま?」
「うん。大丈夫だけど……」
真木くんは、「おっけい」なんてゆるい返事をすると、ベランダの手すりによじ登り、こちらにさっと渡ってきた。ベランダのサンダルを履いているから滑らないかひやひやするけど、お互いのベランダの距離は近く、小学生でも簡単に行き来できる近さだ。
真木くんが越してくる前、家が建って誰が越してくるんだろうとわくわくしていたけど、しばらく空き家だったのはこれが原因だったのかな……と、なんとなく思う。
「よっと」
真木くんは私の部屋のベランダでサンダルを脱いで、「お邪魔します……」と部屋に入ってくる。こちらのカーテンを閉めるとき、真木くんの部屋から、本棚が見えた。そこには数学や物理学の参考書が並んでいて、そのどれもが高校生ではなく、大学生以上、研究者を対象にした難しい本だ。
真木くんが脱力し、面倒くさがりに変貌していくにつれ、彼は数学への関心を爆発的に持つようになった。難しい証明をしたり、難しい数式の本を読んだり。彼の部屋にある本について、私はまったく理解できないし、彼が本当に理解しているのかも、よく分からない。
数学の試験は、毎回彼はケアレスミスを連発し、数学の成績は平均よりちょっと下に落ち着いている。他の主要教科は、基本赤点ぎりぎりだ。
どうして、こんなにも二面性のある状態に真木くんが陥ってしまったのかと言えば、彼が幼少期、ある事件に巻き込まれたことに起因している。彼は犯罪事件――誘拐事件に巻き込まれたことが原因で、心を壊し、人が変わってしまったのだ。事件以降、彼は極度の面倒くさがりに変わり、言動も幼く注意力も散漫になり、ぼんやりした真木くんに変わってしまったのだ。
そして、それはすべて私のせいだ。