恋を編む蜘蛛
「裸にされんのも、虫も、バケツも、落書きされんのも、全部姉さんがされてたことだった。だからその手順で曾祖父、祖父、父親、それで弟って順番に殺していって、そうしたら若返り殺人なんてバカっぽい名前つけられてさ、どう考えてもいじめられた人間の状態なはずなのに。誰も、姉貴について口にしない。同級生なら、なんとなく分かるはずなのに、結局見て見ぬ振りだった。だから――今もこうして、俺はお前の前にいるんだろうな」
先生は、悲しげに笑った。今まで見てきた誰よりも、穏やかな声色をしながら。
「ずっと、このままでいいのかって思ってたんだ」
「え……?」
「全部終わらせるまで、捕まるわけにはいかないと思ってた。でもいざ、警察が俺を疑わないと思うと、姉貴がいないのに、俺はこの先も捕まらずに生きてくのかと思ったんだ」
「まさか、死のうとして……」
「教え子の前で自殺なんてしねえって。トラウマになるだろ。まぁ、担任教師が連続殺人犯っていうのも、十分トラウマになるだろうけどな」
大家先生はおどけてみせるけれど、まるで昨日とは別人に見えた。そして、ずっとテレビで恐れていた殺人鬼だということも、今まさに先生が認めているというのに、信じられない。
「姉さん、文化祭……絵飾りたいって楽しみにしてたんだ。その絵、隠されたか捨てられたらしくて、どこ探しても無くてさ。さすがに遺影は置けないから――ここに、置いてやりたくてな。気休めかもしれないけど……」
「先生……」
「自首、するよ。生徒であるお前に見つけられたってのも、もしかしたら姉さんがそうさせたのかもしれないし。今日お前の親来てるんだろ? 文化祭終わったら……自首する。それでもいいか?」
「はい……」
「悪いな、園村。こんな先生で。お前は過去に囚われないで、ちゃんと前見て生きろよ。自分のこと慕ってくれるやつ、見て見ぬ振りなんかせずに」
大家先生が、絵から目を離して、ようやく私を見た。きっと、先生は逃げることはしない。お姉さんへの裏切りになってしまうから。そしてもう、二度と先生とこうして会うことはないだろう。言葉を交わすのも、これで最後になる。私は、「今までありがとうございました」と頭を下げて、夕焼けに染まる美術室を後にしたのだった。
◇◇◇
天津丘高校の美術室で、生徒に自分の犯行を暴かれた大家はひとり、姉の絵を見つめていた。水彩紙が痛むギリギリまで色水を吸わせ、天然水晶の粉末を混ぜたアクリルが重ねられたパネルは、夕日を受けて輝いている。今際の別れをするようにパネルへ手を伸ばすと同時に、美術室の扉ががらりと開かれた。
「大家輝、連続晩餐川猟奇殺人事件の件で、同行願えますか」
そう言って美術室に現れたのは、園村芽依菜の母親である園村詩音と部下である乃木と東条であった。その後ろには大家の教え子である真木が立ち、じっと大家を見つめている。
「自首……するつもりだったのですが」
「はい。我々も、あまりセンセーショナルに報道され、生徒たちに影響を及ぼすことは避けたいと思っておりますので」
「そうですか……」
大家は抵抗する素振りを見せない。東条と乃木はそんな大家を挟んで立ち、万が一がないよう見えない位置で腕を押さえた。大家は美術室にある姉の絵に目を向けてから、一歩踏み出す。
「大家せんせい。これ、どうぞ」
それまでじっと大家を見つめていた真木が、傍らに持っていたパネルを差し出した。そこには幼い大家の姿が、今美術室で飾られていたものと同じ技法で描かれ、同じように夕日を受けて輝いていた。目を見開き、絵に心も視界も奪われた大家に、真木は淡々と、それでいて早口で告げる。
「天津ヶ丘高校が取り壊される際、見つかったそうです。工事の作業員がせっかくよく描けているのに勿体ないからと持ち帰ったそうで……借りてきました。裏に、題名もあります」
そうして、真木がひっくり返したパネルには、『一年四組 大家みずき 私の大好きな弟』と、所属、氏名、そしてタイトルが記されていた。その文字列すべてを読み取った瞬間、大家は大粒の涙を流しながら膝を崩し、乃木と東条を振り払って絵を抱きしめた。
「姉貴……姉貴……!」
求める声色は幼子のようで、東条と乃木はあっけにとられた。大家は何度も鼻をすすりながら、絵を抱きしめる。その姿は母を求める幼子すら彷彿とさせ、その場にいた誰もが彼を急かすでもなく、押し黙る。
「ごめんな……気づいてやれなくて……! ごめん……! ごめんな姉貴……姉貴……! ごめんな……一人にして……ごめん……ごめん……!」
大家は、絵を抱きしめながら美術室で泣き、今は亡き姉を想う。その涙は、彼が姉を亡くしてから一度も流したことのないものであった。以降、彼はずっと復讐することだけを考え、緻密に計画を練り生きていた。そして、姉の十周忌の日、自分が姉の夢であった教職の夢を叶えた今年、復讐を開始したのだ。
それまで彼は心の底から笑うこともなく、悲しむこともなかった。あるのは怒りと、人を騙す狡猾な精神、暴走する復讐心に身を任せた、殺人鬼の魂のみ。
しかしこの瞬間、大家はようやく、大家みずきの愚かな弟に立ち戻ることが出来たのだった。
そして刑事として、日々一般市民を守る正義感を持ち、悪を許さぬ精神を持って働いている園村、乃木、東条すら呆然と見つめるだけだった大家の慟哭を、真木ただ一人が無感動な瞳で眺めていた。そこには、自分の師が殺人鬼だった驚きも、悲しみも、目の前の男を憐れむ同情も、何一つ無い。無だ。やがて東条と乃木が静かに大家を連行していくのを見届けてもなお、真木の瞳は虚ろで、目の前の出来事に関心がないことが如実に現れている瞳をしていた。
そんな真木を前に、彼を自分の娘の幼馴染としてよく知る園村が、声をかけた。
「もしかしてだけれど……貴方は、芽依菜にこの事件を解決させようとしていたの?」
「証拠は?」
「刑事の勘」
園村の根拠のない発言を、真木は馬鹿にする素振りもなく一瞥した。その背筋はピンとしていて、普段彼が学校で見せる猫背とはかけ離れている。面立ちも気怠さは見えず、機械的な瞳だ。




