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理想郷で恋を編む  作者: 稲井田そう
天才の初恋
27/35

真木朔人

 文化祭の準備は、刻々と進んでいる。その為かお昼休みに呼び出されることも増えてきて、お弁当を中断して真木くんと一緒に沖田くんを呼びに行ってから委員会室へ向かったり、朝のホームルームで、だいちゃん先生から委員会で呼ばれていると声をかけられることが増えてきた。


 でも、私や沖田くんがいないと文化祭の準備が進められない……という段階は過ぎていて、むしろ文化祭が近づくにつれて不思議と「私だけの仕事」「沖田くんだけの仕事」というのは減っていった。


 だから乃木さんに呼び出されて、文化祭に何か影響がある……との心配は無かったけれど、警察の人に呼び出しを受けるというのはやっぱり緊張するので、私はその日、早めに待ち合わせ場所の喫茶店へと向かった。


 でも、待ち合わせ二十分前の段階でお店にはすでに乃木さんも、そして東条さんも到着していて、窓際の席で珈琲を飲んでいるところだった。


「すみません、おまたせして……」


「ううん。こちらこそ休日に呼び出してごめんなさい」


 乃木さんと東条さんとテーブルを挟んで向かい側の席につくと、目の下に隈を作った二人は私に向かって会釈をした。席は窓際の一番奥のファミリー席で、窓際の席はみんなプラスチックの壁で区切られている。私達の他には、会社員の人同士が仕事の話をしながら珈琲を飲んでいたり、サンドイッチを食べたりしていた。話し声は店内に流れている曲でぼやけていて、内容までは分からない。


「今日は……少しお話を聞かせてほしいことがあって……」


 今日の乃木さんはブラウンの髪をひとつに縛り上げ、鞄には何かのプリントが束になってファイリングされていた。東条さんは、心なしか痩せて見える。


「それって、もしかして沖田くんのお兄さんのことですか?」


 沖田くんのお兄さんは釈放されたけど、まだ疑われているのかもしれない。根拠はないけれど、刑事さんがこうしてわざわざ話を聞きにきたーーこのことが、私にそう思わせている。


 しかし、刑事さんはお互いの顔を見合わせた後、首を横に振った。


「違うの。今日はその……貴女の幼馴染の真木朔人についてお話を聞けたらと思って……」


「真木くん? どうしてですか?」


 真木くんが、疑われている? 何故? 頭の中が疑問で埋め尽くされる。すぐ答えを聞きたいと矢継ぎ早に質問を投げかけそうになるのを止めるみたいに、店員さんが「メニューはこちらになります」と私の元へやってきた。


 乃木さんも東条さんも珈琲を飲んでいる。私は、店員さんが去っていくのを待ってから二人に向き直った。


「あの、どうして真木くんについて知りたいんですか……?」


「実は、彼が幼少期、とても高いIQが記録されていたことを耳にしたの。だから、彼について知りたいと思って……」


 確かに真木くんは小さい頃、頭が良かった。今も難しい数学の参考書を読んだりしている。ただ、理解しているかは分からないけれど……。私が「たとえば……?」と聞き返すと、「ここ半年の行動とか」と切り替えされた。


「ここ半年の、行動……?」


「ええ、何か変わったことが無かったかとか、新しく出会った人と、やり取りをしていないか……とか」


「真木くんを、疑っているんですか?」


「そういう訳ではないんです。でも、この事件は不可解な点が多くて……事件の見直しをしていたら、最初の事件が起きてすぐに真木朔人が三番目の被害者の娘に接触していたことが分かって、我々が誤認逮捕した沖田の弟の同級生でもあることから、どうしても一度……調べる必要が出てきて」


 真木くんが、三人目の被害者の娘さんに……? でも、彼は一人で出かけられないはずだ。最初の事件が起きたのは、大体夏頃。その頃に、外に出かけようと誘われた覚えはない。


「真木くんが家族と出かけて、たまたま……とかじゃなくてですか?」


「いいえ。わざわざ真木朔人は、三人目の被害者の、娘の出身校を調べた形跡があるの。わざわざ、旧天津ヶ丘高校――いえ、四つ切高校出身か確かめてから……だから……たまたま会ったのではなく、事前準備をしていたみたい」


「そんな……」


「でも、今までの四人の事件が発生した時、真木朔人が犯行現場に向かった形跡は見られない。でも、その形跡が少しでも出たら、真木朔人がこの事件に何らかの形で関わっている可能性は、高い」


「そ、それって沖田くんのお兄さんと同じで、間違いなんじゃないんですか? 沖田くんのお兄さん、財布触ったって、そういうのと、同じで……」


 真木くんは、絶対人殺しなんてしない。転んだり、ぶつかったり、道を迷ってしまったり、そういうのの延長で、きっと彼は誤解されたんだ。絶対そのはずなのに、乃木さんは首を横に振った。


「ええ。沖田元樹については、彼が被害者の財布を拾ったことがきっかけだった。でも、彼の任意同行に至った理由はそれだけじゃないの」


「え……?」


 乃木さんは「一人目、そして二人目の事件に使われた血のついた包丁が、沖田の捨てたゴミから見つかっていたの。でも、後から作為的に入れられた可能性がとても高いことが後の調べでわかって……」と、視線を落とした。


「それを、真木くんがしたかもしれない、と……」


「分からないんです。この事件は、分からないことが多すぎて……、三人目の殺人も、わざわざジュースの入ったバケツに頭を浸させていたり……肺にジュースは入って無くて……当然バケツで溺れるなんてことはありえない、死因も確かに溺死ではない窒息死だったの。犯人は、何を考えているのかまったく分からない。だから真木朔人が、犯人だという可能性も、ないわけじゃないのよ。園村さん」


「もう、はっきり言いましょうよ乃木さん。俺たちは、真木を犯人だと思ってるって」


 東条さんが、はっきりと私を見た。その瞳は真剣そのもので、噓をついている気がしない。だからこそ、私の心臓はどくどくと鼓動を激しくして、息が詰まった。


「証拠だって、ただ、偶然三人目の被害者に、会っただけで――」


「でも、彼は高い知能指数を持ってることに違いはないの。辛い経験を経てソシオパスになることだってあるわ。今は彼はぼーっとして、人の手を借りて生活しているように見えるけれど、この街に越してくる前、高い知能指数を持っていた記録が出てるのよ。幼稚園に入るまでに、すでに大学卒業程度の知能指数を持っていたの。そんな彼の周りで、五つの事件が起きてる。それは貴方が一番よく分かっているはずでしょう?」


 乃木さんは興奮した様子で私の手を掴んだ。思わず振り払いそうになったけれど、びくともしない。


「誘拐事件の時、彼は一度警察に通報しているのよ。一番最初に。ねぇ、お願い園村さん。一度、彼から離れたほうが――」


 乃木さんがそう言いかけた瞬間、ゴン、と鈍い音が窓から響いた。視線を向けるとそこには真木くんがいて、彼は頭をぶつけたらしくすぐにしゃがみこんだ。


「真木くん!?」


 私はすぐに立ち上がりお店を出て、真木くんの元へと向かった。彼は頭を押さえながら、「なんでめーちゃん一人でお出かけしてんの……」と、ぶつけた箇所をこすっている。


「刑事さんに呼ばれて……だ、大丈夫?」


「めーちゃんお店にかばん忘れてる……」


 真木くんが指差す方向には、確かに椅子に置き去りにされた私の鞄があった。私は急いでお店に戻り、鞄を手に取ると刑事さんに「ごめんなさい」と謝って店を出た。


 真木くんは、硝子窓に体当たりしてしまうくらい、ぼーっとしているのだ。赤信号だって分からず渡ってしまうし、暗いところは怖くて歩けない。それなのに、人なんて殺せるはずがないのだ。誘拐事件だって、関係ない。真木くんは傷ついているんだから。


 警察は、真木くんを助けてくれなかった。確かに保護して犯人は捕まえてくれたけど、真木くんの一度目の通報を、「確認する」とだけ答えて、放置してしまったのだ。結果的に、真木くんは二度目の通報――彼が警察に駆け込んだことでやっと保護された。警察が一度目で捕まえられていたら、真木くんはすぐ保護されていた。


 でも、いくら辛い経験をしたからって、真木くんは人殺しなんてしない。ありえない。


 ずんずんと力を込めて足早にその場から離れていく。今日指定された待ち合わせ場所は沖田くんの家の最寄駅と同じだ。学校の傍だし、定期券で来ていたからすぐに帰れる。とにかく早く電車に乗ろうと駅へ向かおうとすると、「沖田の家教えてくれたお婆さんだ……」と、真木くんがゆっくりと遠くを指差した。


「え?」


「沖田の家教えてくれた、お婆さん……ゴミ捨て、怒られてた……」


 目を凝らしてよく見ると、人が行き交う駅前の自転車置き場の傍に、お婆さんの姿があった。大きい荷物を抱えながらこちらに向かって歩いてくる。真木くんはトコトコ歩いていって、お婆さんの前に立った。


「お婆さんこんにちは……お手伝い……します」


「ん……あんたたち、天津ヶ丘高校の……」


 目を細めるお婆さんの手には、コンビニのお弁当が二つ入った手提げの他に、たくさんの林檎が入った袋、他にも百円ショップの袋や和菓子屋さんの紙袋、仏花の花束など、とうてい一人では抱えきれない量の荷物がある。中には地面に擦ってしまっている荷物もあって、私も真木くんも慌てて支えた。


「悪いねぇ。年取るとだんだん自分がどれくらい持てるのかも、分かんなくなってしまって」


「おうちまで……持っていきますよ……」


「いいのかい、悪いねぇ」


 お婆さんから荷物を受け取って、私はアパートへと歩いていく。お婆さんは今日もお線香の香りを纏っていて、その香りに混ざって何か独特な臭いがした。どこかで嗅いだ覚えがある気がして、どこで嗅いだものなのか思い返していると、真木くんがお婆さんに話しかけた。


「お婆さんは……一人暮らし?」


「そうだよ。皆死んじまった。旦那がろくでもないと思ってたら、娘も息子もろくでもない死に方してね。本当に、とんでもない人生だよ。これからずっと一人さ」


「へぇー……」


 真木くんが間延びした調子で返事をする。お婆さんはお線香の香りがして、仏花を持っている。家族に供える為だろう。迂闊に踏み込めることではないし、黙っているとおばあさんは「あんたたち」と続けた。


「天津ヶ丘は新しく変わったんだから、その名前に恥じないようにちゃんとしなさいよ。もう昔みたいになるんじゃないよ」


「あの、昔の天津ヶ丘高校って、どういう状態だったんですか?」


「あんたたち何も知らないのかい」


 私の質問に、お婆さんは目を丸くした。声も大きかったことで、辺りを歩いていた親子連れや、自転車に乗って走っている大学生くらいの女の人がこちらを振り返る。おばあさんは気に留める素振りもなく、私たちをみやった。


「いいかい、天津ヶ丘はねぇ、昔はとんでもなく荒れてたんだよ。ここらに住んでる連中みんな通ってたけどねえ、気性が荒くないのは別の高校受験しろって言ってねぇ。まぁ、私の娘も息子も結局受験落ちて天津ヶ丘に行くことになったが……本当にとんでもないところだったんだよ。窓が割れるのもしょっちゅうで、なにか悪いことが起きればみんな天津ヶ丘のせいになってねぇ……」


 もしかして、テレビやドラマで言う、不良高校……みたいな感じだったのだろうか。窓が割れるなんて相当なことだと思うし、今では想像がつかない。天津ヶ丘高校は県内で二番目の偏差値で、試験の難易度は一部大学レベルのものも出てきたり、面接のみの試験だったら内申点がすべて五じゃなきゃ入れない。赤点を取ると怒られるのではなく、精神的に重篤な何かが起きたのかと面談するくらいだ。実際真木くんは面談のあと、スクールカウンセラーの人との一対一でのカウンセリングを受けたし、その後真木くんのお母さんと担任の先生とで三者面談を行った。以降も真木くんが赤点ギリギリを取ることで、もう話し合いは設けられていないみたいだけど……。


「あんたたちが、未来の天津ヶ丘が立て直されてきたってことの証明なんだから、ちゃんとやるんだよ。勉強も」


「はい」


 お婆さんは、「良い返事だね」と頷く。梨塚さんが言っていた天津ヶ丘の過去についても、きっとこのことなのだろう。しばらく一緒に歩いていると、やがてお婆さんのアパートに到着した。


「悪かったね、ここでいいよ」


「でも……」


「もうじき、暗くなるだろう? この時間は泥棒が彷徨くんだよ。だからさっさと帰りな」


 お婆さんが「何かあってからじゃ遅いからね」と、私と真木くんから袋を奪い取る。そうして、お婆さんは「今日はありがとうね」とそっけない調子でまたこちらに視線を戻した。


「いえ、こちらこそ沖田くんのおうち、見つかってよかったです。ありがとうございました」


「や、気にしないでいいよ。もともと、町内会で話題になってたんだし」


 お婆さんはばつが悪そうだ。「じゃあね」と、視線を逸らし、私達から荷物を受け取ると、スッと部屋へと入っていった。けれど扉の隙間から一瞬だけ見えた部屋にあった遺影を見て、私は大きく目を見開く。やがて扉はぱたりと閉じられた。


「かえろ、めーちゃん……俺もお腹すいた……」


 ふぁ、と真木くんは大きな欠伸をして、今度は私の手を引いて歩いていく。あの遺影には、確かに見覚えがある。私は振り返ってお婆さんの家を見た。そこには『大家』と木でできた表札がかけられている。


「帰るよめーちゃん。ほら、いいこだから」


 表札から視線を外すことが出来ない私を、真木くんはぐいぐい引っ張った。そうだ、彼が警察に疑われていることを、伝えなきゃ。黙っているべきことでもないと思うし、このままだと沖田くんのお兄さんみたいに真木くんが警察に捕まってしまう。沖田くんのお兄さんはずっと否認し続けていたらしいけど、真木くんは面倒臭がって「うーん」みたいな返事をしてしまう可能性が高い。


「ねぇ真木くん。警察の人、真木くんを疑っているみたいだったよ」


「へー」


「へーじゃないよ! 犯人ですかって聞かれたら、ちゃんと違いますって答えなきゃ駄目だよ? 面倒くさくても、うんって言っちゃ絶対駄目だからね」


「むう……警察に捕まるの、やだなぁ……」


「あっちも多分、こじつけみたいなのもあるだろうし……全然分かんないって言ってたから、たぶん大丈夫だろうけど……でも、ちゃんと沖田くんのお兄さんみたいに、ずっと違いますって言い続けないと――」


 ハッとした。刑事さん達は沖田くんのお兄さんのゴミ袋から、凶器の包丁が見つかったと言っていた。偶然かもしれないけど、あのお婆さんも、ゴミを捨てていた。あのお婆さんの娘さんも息子さんも、四つ切高校の出身だ。


 そして多分、あのお婆さんと関わりがあるのは――。


「真木くん、大丈夫だよ」


 私は真木くんの手をしっかりと握り返す。不安な気持ちはかき消えていて、彼を守らなければという強い意志が、心の隙間に満たされていく。


「真木くんは、私が守ってあげるから」


「危ないよ」


 そう言って、一歩踏み出そうとすると、真木くんにぐいっと後ろへ引っ張られた。振り返ると目の前には遮断器があって、カンカンと甲高い音で電車が近づいてくる警告をしている。


「めーちゃんぼーっとしすぎ。轢かれて潰されちゃうよ」


「ご、ごめん真木くん、ありがとう」


「いーえ」


 真木くんは疲れたのか、私の肩に額をのせた。子供みたいに暖かくて、彼の猫っ毛はふわふわしているのに、気がつけば掴まれている腕は少しだけがっしりとしてきた気がする。背も、高校一年生の頃は真木くんのほうが気持ち高いかな……? くらいだったのに、今は五センチくらいの差があるような。


 どうして今まで、気づかなかったんだろう。こんなに一緒にいるのに。


 私はどこか不思議な気持ちで、夕焼け空の下、遮断器が上がるのを待っていたのだった。

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