未来へ
真木くんの体調不良は、一時的なものだった。保健室に行くことを進めたけれど、トイレに行って体調不良が解消されたのかすっきりした顔をしていて、次の日になっても腹痛がぶり返すことはなかった。
よって、「お腹痛くなったらすぐに教えてね」と伝えつつ、私と真木くん、そして沖田くんの三人で、なしづか縫製工場に文化祭で使う布をもらいに行くことになったのだ。普段の寝坊癖にくわえ、体調にも不安があったけど、真木くんはダッフルコートにまたマフラーをぐるぐる巻きの状態にして、少しもふもふしながら私の隣を歩いている。
「えっと……お兄さんって、工場でもう仕事再開した……んだよね?」
「一昨日から、死ぬほど働かされてる」
そう言って、沖田くんはコーチジャケットの袖で鼻をこする。「仕方ねえよ。不審者っぽいのがいけないんだから」と続けた。
「不審者っぽい……?」
思い返しても、沖田くんのお兄さんは不審者っぽい容姿には見えない。短めの金髪で、土木作業員の出で立ちだったから、言ってしまえば町中でよく見る人だった。公園に立っていたとしても浮くことはないし、町中のドッキリで町中の人に擬態したカメラマンのうち一人は、必ずその姿になるような見た目をしていた。
「あの……さ、沖田くんのお兄さんって、結局どうして逮捕されたの……? 公務執行妨害って聞いたけど……猟奇殺人の犯人に疑われてたんだよね……?」
「……実は、三人目の殺人が起きた時……兄貴、その被害者の財布、触ってたらしい」
「え……?」
「指紋、ついてたらしいんだ。三人目の被害者が殺された当日、兄貴、その人と会ってたらしい。っていっても、落とし物して拾った時についてたらしいけど……」
「そうなんだ」
「指紋、だいたいいつ頃ついたかとか、すごい分かるらしくて、殺された当日財布触ってたの兄貴だけでさ、中の金もなかったらしくてほかに証拠はなかったけど、とりあえず新しい容疑者見つけようって話になったらしい。最新の技術でまだ実験段階だったけど、犯行クソすぎるのに犯人捕まんないから、市民を守るために無理やり――らしい。行き過ぎてたって警察の奴ら謝りに来たよ」
「……そっか」
「でも、ほかにも状況証拠が揃ってたらしい。兄貴の髪の毛とか、食べ物のゴミ? とかが現場の近くにあって、飯食いながら見てたとか疑われてたみたいだった。俺の兄貴、ゴミとかまじで死ぬほどだらしないし、工事現場で適当にゴミ拾われたとか、そういうのもあると思う。そもそも三人目の被害者と通勤経路、一時期同じみたいだったらしいから」
被害者と、通勤経路が同じ……? そこまで来ると、何故釈放されたのか疑念を抱いた。「お兄さん、新しい事件が起きたから釈放って流れ?」と問えば、彼は「それと」と話を続けた。
「コンビニの監視カメラに映ってたんだよ。っていっても、コンビニの前の自販機の監視カメラだけど」
「監視カメラ?」
「ん。自販機荒らしってあるだろ? あれの防止用に四方八方自販機つけてるところがあってさ、そこに兄貴が写り込んでたっぽい。東条と乃木って刑事さんが見つけてくれてさ、本当に感謝しか無いわ」
東条さんは、もしかしたら真木くんを捕まえたあの東条さんかもしれない。あの時の二人も、殺人事件を追っていたし……。
「あ、そろそろなしづか縫製工場に着きそうだな」
沖田くんが指を赤い屋根に向かって指を指した。木々や住宅街が点在する中、トタンの壁をどっしりと構えるその工場は、想像より大きく人もいる。沖田くんがスマホを取り出し電話をかけると、すぐに工場の玄関に彼のお兄さんが現れた。お兄さんは私を見て、「園村……さん?」と、ややぶっきらぼうに声をかけてきた。
「はい。園村芽依菜と申します。えっと、彼は真木朔人といいます。えっと、私も彼も沖田くんのクラスメイトで――」
「知ってる。妹と――弟、世話になった。ありがとな」
沖田くんのお兄さんはくるりと振り返り、「じゃあこれ」と大きなダンボール3つを私たちの前に置いた。しかし、じっと私を見て、一つの箱を少しだけ取り除いて、他ひとつのダンボールに置くと私に渡してきた。
「じゃあ、俺はこれで――」
「沖田! お前高校生たちも敷地内入れろって言っただろ! 車の出入りあるからって、轢かれたらどうするんだ!」
「社長……」
大きな声に沖田くんのお兄さんが目に見えてうろたえた。社長と呼ばれた人はずし、ずし、と足音を響かせながらこちらへと歩いてくる。あれ、この人前にどこかで――?
思い出そうとしているうちに、社長さんは私の前に立った。
「社長の梨塚です。この町の自治会長と、あと、そこのアパートの大家をやってる」
「はじめまして、園村芽依菜と申します。こ、この度はありがとうございます……!」
「いいや、礼を言いたいのはこっちだよ。布のこともそうだけど、この馬鹿、社員だって言うのに家のことなんにも知らせないで、大丈夫です大丈夫ですって、小さい妹も弟もいるってのに、大人に頼らないで何考えてんだか」
そう言って、梨塚さんは沖田くんのお兄さんを睨む。「うす」という返事に、「弟妹炊飯器で焼き殺しても、高校生入り口に待たせて轢いても遅いんだからな、いいかお前は……」と、怒り始めた。しかしすぐに私たちを見てハッとして、「ああ、悪い。歳のせいか、細かいことが気になっちまってなぁ……」と、頭をかいている。
「俺も四つ切の生徒だったし、天津ヶ丘高校の文化祭は、成功してもらいたいからなぁ」
四つ切の生徒――? 昔の言葉かなにかだろうか。気になっていると、沖田くんが「四つ切?」と首を傾げた。
「? 四つ切が名前変えて改修したのが天津ヶ丘だろ? 知らないのか?」
梨塚さんの言葉に、私たちは顔を見合わせた。改築したことは知っていたけど、名前まで変えたことは知らなかった。そんな私たちの反応を見て、梨塚さんは「昔は結構荒れてたんだよ。今は見るかげもないけどなぁ」と笑う。
昔は、結構荒れていたなんて知らなかった。梨塚さんはだいたい六十代くらいに見えるから、梨塚さんが学生時代の話なのかも知れない。となると、今から五十年くらい前だろうか。天津ヶ丘高校は、偏差値は普通より少し上だったと思う。真木くんが一年生の頃、オール赤点を取ったとき、騒然としたくらいだ。先生たちは「退学だ!」と怒るというより、なぜ彼が入学してきたのか驚いていた。
「でも、すごい綺麗な校舎になって偏差値も今じゃ天と地の差って聞くからな……ああ、悪い。文化祭で大変だったんだよな。これ、余った布だ。ぎりぎり売りもんにできそうなのも特別に入れておいた。使ってくれ」
「はい! ありがとうございます!」
お礼を言って、私は箱を受け取ろうとする。けれどさっと沖田くんのお兄さんが箱をとった。
「一時間だけ、抜けさせて貰ったから……車で学校まで運ぶ」
そう言って、気まずそうに視線をそらされた。沖田くんに振り返ると、「わりい、ああ見えてめちゃくちゃ人見知りだから」と、手を合わせる。お兄さんは「ころすぞ」と弟を睨み、社長さんに「家族に殺すなんて言うんじゃない!」と、頭を叩かれていた。
「え」
真木くんに視線を向けると、彼は食い入るように逆方向――全く関係ない工場沿いの通りに視線を向けている。でも、まるでその瞳に強い意志があるような気がして、私は胸騒ぎを覚えながら工場を後にしたのだった。