唯一無二
「そういえばお前ら、文化祭はどうなってる? 沖田結構休んでただろ! 先生、忙しくてなぁ……全然手伝ってやれなかったけど……」
「えっと、今はドリンクメニューが確定して、注文も終わって……衣装の材料を明日取りに行くことになっているんです」
「お! すごい進んでるじゃないか! 隣のクラス、まだ何もやってないって聞いたぞ。そりゃ安泰だな!」
「でも……実はまだ内装が上手く行かなくて……あの、美術で使ってるモチーフって、お借りしたら駄目ですか……?」
不思議の国のアリスでは、庭園でお茶会が開かれていた。もし雨が降ってしまったら……という問題があるけれど、いっそ外を会場にしたほうが雰囲気が出て備品が少なく済む……と思ってデザインをしてくれた子たちに相談して、文化祭の実行委員会と学校に外でやる使用許可を貰った。華道部から、文化祭の展示用に切ってしまったり、そもそも運搬の途中で散ってしまった花びらを貰う約束もした。園芸部にも、鉢植えを置かせてもらうお願いを了承してもらっているから、花園ティーパーティーみたいになる予定だ。
でも、もう少し予算を切り詰めないと赤字になって、クラスの子達に足りないお金を出してもらう……ということになってしまうのだ。なるべくギリギリにはしたくない。
「あー全然いいぞ? むしろ使ってくれ、ちょうど新しいのに交換するところだったから、古いもので良ければ……。あ、モチーフの他にも余った備品も使ってくれ」
先生は真っ赤な縄や、粘土、木の板など、先程台車で運んでいたものよりずっと多いものを、美術準備室から出してきた。
「ありがとうございます……! 本当に、ありがとうございます……!」
「あ、もうそれ処分予定だから、壊しても大丈夫だからな。使い終わったら代わりに捨てておいてくれ」
少し開かれた扉には、絵画の作品や画集が置かれた棚とは不釣り合いな、火気厳禁のガスボンベが見える。
「先生……それは?」
「ああ、バルーンリリースの備品なんだが、火気厳禁だからって美術準備室、物置にされてるんだよ。そんな危ないもの、科学準備室にでも置いとくかしてくれって言ったら、バーナーがどうとか訳わかんねえ御託並べられてさぁ」
先生はうんざりした様子で扉を閉めた。確かに、科学準備室は鍵が二重になっているくらい厳重にされていて、備品が一つなくなるとかなり大きな騒ぎになる。この間、割った覚えのある生徒はきちんと名乗り出てほしい、とビーカーが一つ足りないと全校集会で生徒指導の先生が話すくらい、あらゆるものに関する管理がとても厳しい。
一年生の頃、真木くんがボヤ騒ぎを起こしたことでお掃除をしたことがあるけど、先生は必ず二回備品の確認をしているみたいだった。個数もリスト化されて、毎日つけているみたいだったし、もしかしたら火気厳禁ではない備品でも取り扱わなかったかもしれない。
「まぁ、バルーンリリースって、文化祭の名物なんだろ? 生徒が喜ぶなら、先生は直射日光で加熱されたガスボンベで焼かれても、文句言えないからな」
ははは! と先生は高らかに笑うけれど、笑い事じゃない。確か文化祭委員で聞いたけど、あのガスボンベは特殊なやつだ。確かバルーンリリースには細かな規定があって、風船は自然に還る素材に、中に詰める空気も環境に優しい無害で純度の高いガスにしなければならないらしい。
だからその分、引火したら大変なことになってしまうし、下手したら学校が大破してしまう。
「わ、笑えないですよ先生……」
「そうか? すまん。先生文化祭だから浮かれてるのかもしれないな!」
「先生も、文化祭楽しみですか……?」
「当然だろ! 教え子の晴れ舞台だぞ? それにお前ら、なんだかんだで文化祭が一番やる気出すし」
確かに、体育祭とかは、あんまり好きじゃない。運動部の子たちも、体育祭より文化祭のほうが心なしかいきいきしていた気がする。
私は体育祭は真木くんが転がって大怪我しないか不安だったし、実際今年の体育祭、真木くんは高さ五センチの平均台から落下して、腕を打撲した。骨に異常は無かったけど、動かすと痛むらしく、彼は一か月くらいずっと包帯が手放せない状態だった。
「先生の学生時代って、文化祭どんな感じだったんですか……?」
「俺か? 俺……合唱コンクールで、ふざけて皆の笑い取ろうとしてたら女子泣かしたからな、話しづらいんだが……」
その言葉を聞いて、「ああ……」という気持ちになった。なんだか、先生は確かに明るくて溌溂としているけど、そんな感じの雰囲気が確かにある。
「やめろ、引くな園村! っていうか真木、お前寝てないか?」
真木くんに視線を向けると、彼は瞳を開いているもののうつらうつらしていた。お昼を食べ終わっているから、眠たいのだろう。五時間目は歴史の授業だし、眠ってしまうかもしれない。ノート、取っておいてあげないと……。
「ご、ごめんなさい先生、備品ありがとうございます! あ、あとで取りに戻ります!」
「おー、五時間目始まるまでの間、寝かせてやってくれ。鐘が鳴ったら起こすんだぞ?」
「はいっ! 失礼します!」
私は慌てて真木くんを引っ張り、美術室を後にする。彼は目をとろんとさせていて手のひらもじわじわ暖かくなってしまっていた。
「真木くん、大丈夫? 階段登れそう?」
「転がるほうがはやそう……」
「駄目だよ! 教室はこの上の上だよ!」
慌てて真木くんを引っ張って、教室へ急ぐ。彼は「うぅ〜」と、あからさまに寝かせてほしさを出しながら、私に腕を引かれている。
「そういえば真木くん、文化祭、行きたいところ決めた?」
「めーちゃんの好きなとこなら、なんでもいーよ」
「えぇ……もしかして真木くん、文化祭の出し物プリント、失くしちゃったの……?」
昨日、文化祭の出し物のパンフレットが配られた。ただ各クラスの出し物がリスト化された簡単なもので、色々宣伝が書いたりイラストが描かれたりするのは、だいたい文化祭2週間前に配られるから、もう少し先だ。昨日、たしかに真木くんはそのプリントを見ていた気がするけど……思えば、そのまま机に入れていたような気もする。
「ねぇ真木くん……」
ぱっと振り返った瞬間、ガシャン! と硝子が砕ける音がした。驚いて視線を戻すと、ちょうど私達が歩く眼の前に、サッカーボールが転がっている。たぶん、さっき校庭でサッカーをしている生徒達がいたから、その人達のボールだろう。原因も、わかっている。それに私達の前と言っても、すぐ前じゃなくて五メートルほど先だ。なのに心臓がばくばくしてきて、気持ちが悪くなってくる。
「あ……」
「めーちゃん、お腹痛い……お腹痛い、痛い、痛いぃ……」
真木くんは、お腹を押さえ、蹲り始めた。私は慌てて彼の背中をさする。
「お腹痛い、トイレいきたい。漏れちゃう」
「わ、分かった」
顔色が悪くなった真木くんを支える。近くにトイレはない。引き返して、階段を上がらなければ。なのに彼は私をぐいっと引っ張り、自分の顔を私の胸に押しつけた。
「真木くん?」
「お腹痛いよ……めーちゃんたすけて……」
「い、今から病院に……きゅ、救急車呼ぶ?」
「ううう、痛い。ちぎれちゃう。痛い……」
ぎゅうぎゅうに抱きしめられ、真木くんの心臓の音が聴こえる。規則正しく、だけど少し速い彼の鼓動に不安と違和感を覚えていると、彼は私から身体を離した。
「痛いの治った……でも帰りたい、漏れちゃう。トイレ行きたい……」
お腹を押さえて真木くんは俯く。硝子の破片も気になるけれど、今は彼が優先だ。私は彼を支え直すと、トイレに急いだのだった。