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理想郷で恋を編む  作者: 稲井田そう
天才の初恋
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せんせい

 沖田くんが久しぶりに登校してから、とうとう週も終わり金曜日。幸い工場は釈放されたお兄さん経由で許可をもらい、明日の休日は布をもらいに行く日になった。その間も明日は飲食、衣装と、大体の予算も固まってきて、必須用品の費用も固まりちょこちょこ買い出しも始まったことで、徐々に生徒会から受け取った予算は減り始めている。


 不思議の国のアリスモチーフの喫茶店と、タイトルだけだと夢のようではあるものの、調理の為のゴムやビニールの手袋、ラップ、ゴミ袋、テーブルクロスが引っかかって誰かが転ばないよう、止めておくガムテープなど、それ単体では童話の世界観を損なうようなものだって買わなければならない。


 きれいなものを作るためには、当然そうではないものだって必要になるし、世界観を損なわない為に、それを隠さなきゃいけないのだ。例えば、遊園地のくまの着ぐるみの、背中のチャックのように。


「真木くん、文化祭の日ウエイターするの……?」


「しないよ。ただチェシャ猫はロッカーの上で寝てるだけでいいみたいだから、それしようかなって。だから、もふの着ぐるみでぽかぽか〜ってしたくて……」


 真木くんは気怠げに欠伸をして、目をしょぼしょぼさせながら歩いている。お昼ご飯を食べ終えた私達は、食堂を出て教室へと戻っていた。彼が何かを能動的にしたがることは、今まであまりない行動だった。トイレに行くことすら面倒くさがり、動けないとしゃがみこむことだってあるのだ。


 この間お出かけした時といい、彼はここ最近とてもよく動いている。文化祭の効果なのか、それかトラウマを克服していっているのかもしれない。


 いつか真木くんだって一人で生きていける日が来るのだ。


 最近の真木くんは一人で出来ることが増えてきた。中学の時は校舎の中を一人で歩くことなんて出来なかったし、着替えだって空き教室で一緒にしていたくらいだ。物音にもびくびく震えていて、夜じゃなくても突然泣き出すこともあった。少し窓を閉じられただけで、石を投げてしまったことだって、一度や二度じゃなかった。彼が苦しむたび、彼を置いていってしまったことを私は後悔した。あの時、私が真木くんと一緒に帰っていたら、一緒に帰っていなかったとしても、せめて彼と話をして、少しでも彼の帰宅時間をずらしていたら。そう考えない日は、一日もない。


 一日もないけれど、二十四回ある時計の巡りの中で、確かに自分の犯したことを忘れてしまう瞬間があるのだ。真木くんが楽しそうにしていたり、一緒に御飯を食べたりーーまるで誘拐事件なんて無かったかのように、そこだけをトリミングして、繋ぎ合わせて消してしまうみたいに、頭の中から記憶が抜ける時がある。


 そして、その恐ろしい現象は、真木くんと私が男子更衣室と女子更衣室に分かれて着替えたり、飲み物を一人で買いに行くなど、一歩一歩真木くんが自分を取り戻していくことと比例して、増えてきてしまっているのだ。


 私は、真木くんが元気に笑ってくれていたら良いと思う。でもこれから先、真木くんが前の、傷つけられる前の彼に戻った時、私は自分の犯した過ちを忘れてしまいそうで、酷く怖くなるのだ。真木くんが自分を取り戻すことはいいことのはずなのに、それによって私は彼を置き去りにして、当たり前みたいに彼の隣で笑うことが怖い。許されたつもりになんて、なりたくない。


「めーちゃんはさぁ」


 ぎゅっと自分の手のひらを握りしめ、手のひらに爪を食い込ませていると、真木くんがもたれかかってきた。びっくりして受け止めれば、彼は「ちゅうがくのやつら、呼ぶの?」と首をかしげる。


「呼ばないかな、そんなに仲いい人もいないし」


 高校に入って、私は瑞香ちゃんという友達が出来たけど、それ以前は全く友達が出来ていなかった。元々、私は真木くんにつきっきりで、ずっとそれでも良いと思っていたし友達を作る気すらなかったのだ。真木くんが大怪我をすることなく、平穏無事に今年を終えればそれだけで良かったから、中学校と小学校でのクラスメイトの名前すら半分も言えない、というのが真木くんだけじゃなく、私にもあった。


 顔と名前を一致させることが出来ず、呼びかけるときは名前じゃなくて、「あの」という二文字のみ。授業は男女別で分かれることが多かったから、女子の名前は分かるけど、男子に関しては中学三年間、誰と同じクラスでどんな人がいて、何て名前だったか、まったくもって記憶がないのだ。


 そうして真木くんをお世話し続けてきたわけだけど、今はなるべくクラスメイトの顔と名前を覚えようとはしていた。


 この高校には、同じ中学の人も同じ小学校の人もいない。だから少し安心感、というのもある。今まで真木くんは少しでも事件を連想しそうになるたびに、泣いてしまったり、戻してしまっていた。クラスメイトの顔を見て事件のことを思い出してしまうことだってもちろんある。でも、今この高校で事件について思い出す要因となるのは私だけだ。


「めーちゃん?」


 つん、と頬を突かれハッとした。振り向くと真木くんは「また俺のこと忘れてたでしょ……」とジト目で見てくる。


「真木くんのことを考えてたんだよ」


「ほんとにぃ? でもめーちゃん、ずぅっと床見てたよ。さっきまで俺と何話ししてたか、ぜったい覚えてないでしょ……」


「覚えてるよ」


「じゃあ言って……」


「えっと、チェシャ猫のコスプレの話だよね」


「ぶー」


 真木くんは、「大不正解だぁ……と、私にぶつかってきた。かと思えば、「めーちゃん、俺の話なんてどうでもいいんだ……」と、俯いてしまう。


「文化祭、やになってきちゃったな……」


「真木くん!? ごめんね? えっと、どんな話してたんだっけ……」


「それはね……」


 真木くんが何か言葉を紡いでいる間に、重たい荷物を運ぶ台車のガラガラガラ! と力の籠った音が響いた。音のする方へ吸い寄せられるように注目すれば、だいちゃん先生が美術のデッサンモチーフを荷台に積んで台車を押しているようで、お酒の瓶や、バケツ、ティーセット、硝子の板、縄やぬいぐるみなども積まれている。


「先生……?」


「おー! 園村に真木! お前らいっつも一緒だなぁ! ははは!」


 先生は笑いながら台車を押しているけれど、どう見ても笑える状況じゃなかった。積荷は沢山の雑貨が積まれていることでバランスが悪く、荷台から瓶やぬいぐるみが零れ落ちそうになっている。


「先生! 私も運びますよ!」


 私が落ちそうになっている瓶や鍵盤ハーモニカの管を手に取ろうとすると、目の前をすっと真木くんが横切った。彼は「俺もお手伝いします……」と、瓶や縄、バケツに……持たなくても良さそうなビニール袋まで手にしている。


「助かる! でも、真木が瓶持ってると不安になるな……」


 いつも元気なだいちゃん先生が顔をひきつらせている。私も不安だ。先生が運んでいるものを、きっと彼は割ってしまう。ひやひやしながら「持とうか?」と問いかけると、「や」と短く拒否されてしまった。私はひとまず運ぶのに邪魔になっていそうな折りたたみ椅子を手に取る。


「先生、これ、一体何に使うんですか?」


「デッサンの授業のモチーフに使うんだよ」


「ビニール袋もですか?」


「ああ。こういうのは周りの光を反射したり色を受けたりするだろ。透明なものだから、描きごたえのあるモチーフだし……」


 美術室に向かって、私は真木くんと先生と歩いていく。真木くんは瓶をぎゅっと握っていて、滑り落とす心配はなさそう……にも思えるけど、机とか床とかに置き終わるまで油断はできない。でもじっと見て彼を緊張させたり、注意を逸らしてしまってもよくないと、私は窓に視線を移した。


 いつの間にか、真っ赤に染まった紅葉たちは、その縁を陽で焦がして丸めている。校庭には文化祭で使う用具が出され始めていて、雨が降っても大丈夫なよう、テントもいくつか出されていた。次の授業、体育を受けるらしいジャージ姿の生徒たちは、サッカーボールで遊んでいる。風のようにグランドを切って走っている姿は、真木くんが誘拐されていなかったら今頃あんな風にーーのもしかしての可能性を見ているみたいで、目が眩みそうになった。


「ふー、こんなもんかぁ。ありがとな! 園村! 真木!」


 美術室に入って、先生が荷物をどさりと机に置きながら振り返った。昼間の柔らかな日差しの差し込む美術室は、独特の臭いもあって異世界を訪れたように感じる。真木くんは「どーぞ」と先生に瓶や縄を手渡すと、大きく伸びをした。ぼき、ばき、ぐき……と明らかに身体から出ちゃいけない音が響いて、不安になる。


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