文化祭準備
「文化祭で使う布って、大きさとか指定ない?」
「うん! いらない布だったら何でも大丈夫だよ! ただ、ギラギラしたスパンコールとか、羽毛とかちょっと特殊なのは上手く使いこなせないかもしれないけど……」
「そんな感じじゃないよ! 実はね、うちの近く、カーテンとかクッションとか作ってる工場が近くにあってさ、切った布、ごみ処理トラックで出してるっぽいから問い合わせたら貰えるんじゃないかなーって」
「教えてくれてありがとう……! その工場の名前聞いても良い?」
「うん。なしづか縫製工場ってところ……確か沖田くんの家の方向だったと思うんだけど……」
彼女は頬を赤らめ、不自然に俯いた。思えば沖田くんの住んでいるところは「なしづかアパート」だ。もしかしたら同じ地区にあるのかもしれない。私はメモをしながら田淵さんにまた視線を合わせると、彼女は縋るように私に一歩近づいた。
「沖田くんって、彼女いるか知ってる?」
「え?」
「いそうとか、いなそうでも大丈夫なんだけど……」
必死な声色や落ち着かない視線に、さっきまで瞬間的に覚えていた疑念がふわりと溶けていった。きっと彼女は、沖田くんのことが好きなのだろう。私は「彼女の話は聞いたことないよ」と答えた。
「ほんとに!?」
「うん。沖田くんとは文化祭委員の話をするだけだけど、そこで彼女が〜とか、一言も聞いたこと無いよ。一回朝に真木くんと私と沖田くんで学校集まった時あったけど、一人で来てたよ」
「そっか! そうなんだぁ……!」
彼女は花を咲かせるみたいに顔を綻ばせた。その笑みは恋する乙女の標本を切り取ったかのようで、淡い恋心がありありと伝わってくる。
「おはよー久しぶり」
少しだけ騒がしい教室に、太陽を思わせる溌溂とした声が通った。田淵さんはばっと勢いよく教室の扉に顔を向ける。そこにいたのは沖田くんだ。彼はやや寝不足気味らしく、大きく開いた瞳とは対象的に、その薄い瞼の下には色を落とした隈があった。
「園村、文化祭のこと出来なくてマジでごめん……」
クラスでは、沖田くんの欠席は風邪として処理されていた。殺人事件については、沖田くんのお兄さんが公務執行妨害で逮捕されながらも確固たる証拠がないことで、名前も非公開だった。そのことについて知っているのは、クラスメイトの中では私と真木くんのみ。
よって何も知らないクラスメイトからすれば、彼の欠席は厄介でしぶとい風邪に罹患したものでしか無く、当然出迎えも暖かくほのぼのとしている。沖田くんは男子達に背中をばしばし叩かれ、他の女子生徒から欠席中のノートを写したルーズリーフを受け取りつつ、こちらへと真っ直ぐ向かってくる。
「え、ウソ、こっちきたっ」
ぴゅっと音でもたちそうなくらい素早く田淵さんが退散してしまう。残された私は、まず「おはよう、大丈夫だよ」とだけ言葉を返した。
「昨日のメッセ見た。買い物ありがとな。それであとは内装と衣装か……」
「あ、衣装は田淵さんがいい工場教えてくれたの。ね、田淵さん」
ささっと離れ、ロッカーで荷物の出し入れ――をするふりをしていた彼女に声をかける。工場についてまだわからないことはあるものの、情報を教えてくれたのはありがたいし、少しは田淵さんの恋心に報いたい。
「ありがとな田淵!」
「別に……あ、あとそれと、確定とかじゃないから、電話して聞かなきゃわかんないし」
田淵さんは、顔を赤くしながら教室を出ていっってしまった。不思議そうに眉を動かした沖田くんは、今度は真木くんに視線を移しながら、私の前の席に座った。
「また真木寝てんのか……ってか本当にさんきゅな。文化祭のこと任せっきりで……今日からはとりあえず普通に学校来れるから、文化祭も園村が頑張ってくれた倍働くわ」
学校に、平常通り戻れる。それは沖田くんの生活が変わったことを示しているはずだ。私の様子を窺う視線に何かを悟った彼は、声を潜めて呟く。
「兄貴、今週中に戻ってくるかもって」
「ほんとう?」
「ああ。完全な証拠出なかったのもあるけど、新しく起きたろ、事件。それで犯人違うんじゃないかってなったらしくて」
新しい事件が起きたことで、沖田くんのお兄さんは救われたことになるのか。でも、元々犯人が事件なんて起こさなければ、沖田くんのお兄さんが捕まることがなかったし、人だって死んでいなかった。そう考えると、複雑な気持ちになる。
「正直、最低だとは思うけど新しい事件が起きてほっとした。弟や妹にも、ずっと嘘ついてるわけにもいかないし……」
家族に、大切にしているもう一人の家族が殺人事件を起こしたなんて、とても言えない。それに二人とも、幼かった。炊飯器の中のご飯を焦がして泣いてしまうくらいには。そんな二人に、「お兄ちゃんは人を殺したから捕まったの」なんて、言えるわけがない。その気持はすごくよく分かる。もし私が彼の立場であったなら、躊躇っていただろうし、もし真木くんが捕まったままだったらと考えると、新しい事件を心の底から悲しめるか聞かれたら、無理だ。
「でも、沖田くんの立場だったら誰だって悩むよ。私も真木くんがあのまま捕まったままだったら、ほっとしない証明なんて出来ないから」
「ん……。あ、そういえば工場、布貰えるとしたら、多分取りに行く感じだよな」
「うん。なしづか縫製工場だって」
「そこ兄貴の職場だわ。今、休んでるけど」
「お兄さんが……?」
尋ねると、「多分、車出してもらえるかも。つうか出させるわ。俺が言っても多分シカトされるだろうけど、自分の可愛い弟と妹が炊飯器で燃えかけた時助けてくれた恩人って言えば、絶対手伝うだろうし」と、スマホをタップする。やがて「やっぱ兄貴の働いてるところであってる」と、頷いた。
車を出してもらえるなら、こんなにありがたいことはない。でも、沖田くんのお兄さんにとって私の存在は、気不味いものではないだろうか。だって、自分を捕まえたカテゴリに属する人間でもあるわけだし、そう思う一方でお母さんは疑うのが仕事だと庇う気持ちもある。彼の様子を窺うと、私の躊躇いが伝わったのか「大丈夫」と短い答えが帰ってきた。
「園村の家、たしかに警察だけどさ、兄貴も朝出入りしたり不審な行動とってたわけだし」
「そういえば……お兄さんの不審な行動って、結局なんだったの?」
「縫製工場の正社員の他に、道路の夜間工事のバイトもしてたらしい、警察の人が教えてくれた。兄貴、俺がバイトするって言うと必ずやめろって止めてきて、バイトするくらいなら実家戻れなんて言われてさ。兄貴のバイトの話聞いてすごいびっくりした」
「バイト……」
「実家戻れとか、戻りたいわけないだろと思ってイライラしてたけど、今思えば俺に勉強とか学校とか、そういうの考えてほしかったのかなって、なんとなく気づいたんだ。だから文化祭終わったら、やっぱりバイトしようと思う。兄貴、俺ら食わせるためにすげぇ根詰めてるし、今ならお前が馬鹿やった分金足り無いって言えるし」
苦笑する沖田くんの笑顔は、過ぎた夏空を彷彿とさせる。完全に吹っ切れたような、括られていた糸が断ち切られ軽快に動き出したような、まるで別人の印象を受ける。廊下で怒鳴っていた彼は、消失してしまったみたいだ。
「ひとまず……兄貴の会社にいらない布わけて貰えるか聞いてみるよ。で、布貰えるようなら回収は週末でいいか? その頃だったら、兄貴も家帰ってきてるだろうし」
「うん。あ、そういえばそろそろ当日の当番も決めておきたくて。午前と午後に分けるほかに、委員会とか部活でそっちに行く子もいるから……」
私は、スマホをタップしてスケジュール帳を開く。新着ニュースの欄には、「新たなる猟奇殺人!」と、テロップが流れている。今日もずっとこの話題でもちきりだろう。私は早く犯人が捕まればいいと祈りながら、沖田くんと文化祭の相談をしたのだった。