逆浦島連続殺人事件
「はあだるい……動きたくない、土の中にかえりたい……」
学校に辿り着き、校門をくぐると真木くんは大きく欠伸をした。彼は目をこすりながら、そのままゆっくり瞼を閉じていく。足取りも重く、黒いスニーカーもずりずりと引きずってしまっている。
「真木くん、寝るなら教室まで我慢しないと。それに洋服も汚れちゃうし、ここまで来たんだから授業受けよう?」
「えぇ……疲れたよ……もう動きたくない」
真木くんは下駄箱まであと少し、というところでしゃがみ込んでしまった。 スニーカーが黒いからという理由で買った彼の背負ったリュックも、肩紐を最大限まで下げて背負っているので、地面とくっつきそうになっていた。その後姿は、小学生がアリを見つけてしゃがみこんだようだけど、私も彼も高校一年生なわけで、かなり目立つ。
昇降口へ目を向けると、生徒たちはさっさと靴を履き替え、朝練と皆が教室へ急ぐ中、ただ一人蹲る真木くんの様子は皆の視線を集めるには十分だ。体格のいいラグビー部や、サッカー部の男子たちが首を傾げながら校舎の中へと入っていっている。私はなんとか登校させようと、真木くんのの手を引っ張った。
「ね、下駄箱まで手繋いでてあげるから。行けそう?」
「……ありがと、よろしく……おやすみ……」
「真木くん駄目だよ! ここは寝たら駄目なところ!」
私に引っ張られた真木くんはこれ幸いと眠ろうとするから、慌てて肩を揺すり、引っ張っていく。遅刻とまでは行かないけれど遅めの時間ではあるから、廊下は朝練終わりの生徒や、遅刻を免れた生徒たちで慌ただしい。でも、皆揃えるように同じ話題を口にしていた。
「またうちの近く、テレビ映ってたんだけど。そのうち私刺されるかも」
「ニュースマジ同じことしかしないよね。でもあの人、今度ドラマ出る人がキャスターしててさ、コメントしてたよ。怖いねって」
「本当に!? えー見ればよかった」
スマホを片手に、きゃっきゃと盛り上がっている話題は、今流行りのお菓子とか、お笑い芸人とか、そういう明るいものではない。
―― 晩餐川連続猟奇殺人事件、についてだ。連日テレビを騒がせているらしいその事件は、先生たちが登下校のときは気をつけるよう注意するくらい、今の私たちにとって身近な事件となっている。
最初に事件が起きたのは、夏だ。バラバラにした生ゴミとバラバラの遺体を詰めたものが、隣町の公園で捨てられていたらしい。当初は遺体の損壊が激しすぎて、マナーのなっていないゴミと間違われ捨てられかけたところ、ゴミ収集の作業員さんが不審だと通報、遺体発見という流れになったようだった。遺体は百一歳のおじいさんで、百寿のお祝いの写真がニュースに出ていた。
次に事件が起きたのはそれからまだ半月も経っていない頃。裏道で身体に虫を詰められた八十歳男性の遺体が発見された。駆けつけた救急隊が瞳孔を確認しようとしたところ、虫を発見したらしい。そして、そこからやや離れた住宅街で、今度はジュースまみれの車道に、顔を突っ伏して死んだ五十歳男性の遺体が見つかった。舌をわざわざ動かした形跡があるとテレビでやっていて、かなり不気味だ。
現場は公園、裏道、住宅街と多岐にわたり、今なお犯人は見つかっていないという。被害者がみんな男性で、その年齢がどんどん下がっていくことから、浦島太郎の逆をいっているなんて、逆浦島殺人、乙姫の呪い殺人なんて名前をつけられ揶揄され、不謹慎だと炎上するニュースが起きるなど、ここ最近の話題はずっとそれだ。
そんな事情からも、校内では来月の頭に開かれる文化祭と話題を二分している。
「怖いねぇめーちゃん。めーちゃん気をつけてね? 暗い暗いへ行っちゃったらやだよ……?」
寝ぼけ眼の真木くんが、じっと私を見つめた。もちろん襲われたらとか、犯人と会ってしまったらどうしようという恐怖はあるけど、それより怖いのは真木くんが襲われることだ。
その髪は肩にぎりぎりかかるほどの長さで、ただでさえぶかぶかなパーカーにより華奢な体型が強調され、背後からなら女の子にしか見えない。
ターゲットがみんな男の人だから、女の子に見られて狙われないといい……。念の為防犯ブザーも持ってもらっているけれど、会わないのが一番だ。私は祈る気持ちで真木くんと一緒に教室へ入っていく。教室はもうすでにほとんどの生徒が登校してきていて、各々友達と雑談していた。真ん中では、男子の中心人物になっている沖田くんが、「やべーマジで文化祭どうしよ!」と焦り顔で頭を抱えていた。
私のクラスは、活発な生徒が少ないクラスだ。隣のクラスは運動部の中でもかなり騒がしい人たちが集まっていて、授業中に笑い声や先生に怒られている声が聞こえてくるほど。
学年は八クラスあるけれど、八組にうるさい人達を集めすぎたことで、この七組は静かになってしまったなんて先生が言うくらいだ。でも、静かめと言われる私のクラスでも比較的声の大きいと言うか、盛り上げ役の男子はいて、それが沖田くんだ。
「なぁ、溝谷お前俺と文化祭委員やってくれよ」
「俺、軽音部でバンドするから全然委員会出れねえけどいいの?」
「じゃあ駄目だ。めっちゃ仕事あるから」
「吉池はどう――ああ、生徒会だっけ」
「本当にごめん、むしろボランティア募集してるくらいだから」
沖田くんは帰宅部だけど、スポーツ万能でクラスの人から一目置かれている。爽やかな短髪で、男子には「頼りになる奴」女子には「面白い」と人気者だ。古文を担当しているおじいちゃん先生は、「ガキ大将」と彼を呼んでいる。
そんな沖田くんは文化祭委員を任されているけれど、彼と一緒に任されていた文化祭委員の戸塚さんは、親が転勤になったとかで、ちょうど先月転校してしまったのだ。
沖田くんと文化祭委員をしたい女子生徒も、いるにはいるのだろうけど、雰囲気的にお断りの空気が出てしまっているのは、やっぱり文化祭委員の仕事が多いからだと思う。
うちのクラスの出し物は、童話喫茶という絵本の世界をイメージした喫茶店をするとコンセプトが決まっているけど、委員はクラスをまとめて、喫茶店の準備を主導しなければならないのだ。自主性を重んじたいとかで、文化祭絡みのホームルームは先生は立っているだけ、というのが決まりになっているし、やりがいもありそうだけど大変だ。去年、隣のクラスでは簡単な展示に決まったのに、皆がまとまらず喧嘩をしたり、泣いてしまった子が出たらしいし。
それでも文化祭で童話喫茶といかにも大変そうなモチーフが飛び出したのは、クラスの人気者である沖田くんが文化祭委員を担っていた、というのが大きいと思う。みんな、彼ならきっと文化祭を成功に導いてくれるはずだと、期待をしたのだ。
私は、喫茶店という火を使う出し物で、真木くんが火災を起こさないかひやひやしていたし、今もしているけれど……。
私は沖田くんが文化祭委員の相手を探すのを横目に、真木くんを自分の席に座らせ、自分も席についた。
真木くんは窓際の席で、私は彼の隣の席だ。今まで同じクラスになることはあれど、座席ががっつり隣になるのは小学生以来で、最近は懐かしい気持ちで授業を受けている。
二ヶ月おきにしている席替えは先週だから、しばらくは真木くんの隣の席だ。そしてもう一方の私の隣は、空席だ。どうやら転校した戸塚さんの席はこのまま教室に置いておくらしい。
彼女と関わったことは無かったけれど、真面目でしっかり者で、真木くんをよく気にしていた印象だ。弟がいるからと、真木くんが何か零すと拭くのを手伝ってくれた。
それにしても小学校の頃は、転校した人の座席は空き教室に置いていた。そして椅子とか机が異常にガタガタしていたり不具合があると、そこにある机や椅子と交換するように言われていたから、無人の座席がずっと教室にあるのは、なんだか見慣れない。