狩人
「沖田の、お兄ちゃん、人殺しなの?」
「え……?」
「だって、めーちゃんのお母さんって、人を殺したり、襲ったりする人を捕まえる人、なんでしょ?」
確かに、私のお母さんは捜査一課の刑事で、殺人や強盗の捜査をしている。窃盗や万引、不法侵入とかは、別の部署だ。喧嘩とかも別になるから、お母さんが沖田くんを連れて行ったということは、彼のお兄さんがそういった事件を起こしたということだ。
「殺人鬼は、みんなとさよならするんだよね……? 沖田もさよならする?」
「分かんないけど……でも、お母さんがきっと犯人捕まえてくれるよ」
安心させるために、真木くんの背中を撫でる。けれど彼は「捕まえられないよ、悪いやつなんて」と、そっけなく呟いた。
「めーちゃん」
「なあに?」
「めーちゃん」
「めーちゃんは殺されたりしないで、ずぅっと俺の隣で、笑っててね」
そう言って、真木くんが私の二つ結びの髪を撫でる。その目はどこか暗闇にも似ていて、なにを想ってのことなのか、いまいちわからない。
「真木くん?」
「なんでもなーい」
彼は「入って入って」と私を、私の家の玄関の前へ押していく。恐る恐る鍵で扉を開くと、「またね」と、真木くんは玄関の門から動かない。私が家に入るのを、待ってくれているのだろう。手を振ってから慌てて家に帰ると、ちょうどお父さんがぱたぱたと駆けてきた。
「おかえり芽依菜、真木くん、誤認逮捕されたんだって?」
「ただいまお父さん」
どうやら、夕食の準備の最中らしい。そこはかとなく、ごま油や炒めた野菜のいい匂いがする。「なにかの犯人と間違えられたみたいで」と話を続けながらスリッパに履き替え手を洗っていると、お父さんが「たぶん、これだろう」とスマホを見せてきた。
「この間から続いていた連続猟奇殺人があっただろう。あれの容疑者が捕まったらしい」
「え……」
「事情聴取をしようとして、逃げて、公務執行妨害での逮捕らしいが――二十そこらの若者みたいだ」
お父さんの見せてくるサイトには、道路で取り押さえられる容疑者の写真があった。そこにはさっき見た男の人――沖田くんのお兄さんらしき人と同じ服装をした男の人が、沢山の警察官に取り押さえられるところが、スマホの写真におさめられていた。
「ひとまず、これで事件が収まったのはいいけれど、悲しいなぁ」
そう、お父さんが悲しげにスマホの電源を落として、「じゃあ夕食、あと温めるだけだから」と、洗面台を後にする。でも、その後をすぐ追う気分にもなれず、立ち止まる。
沖田くんのお兄さんが、人殺し――?
テレビでは、その猟奇性を散々指摘されていた。あまりに残酷なその遺体への振る舞いから、ずっと、自分たちの世界から遠い、身近じゃない、そんな人だと思っていた。
でも、恐ろしいと思った事件の犯人が、クラスメイトの兄弟かもしれない。どこか画面越しで他人事だったそれが、ひたりと真後ろに突きつけられたようで、私はしばらくその場を動くことが出来なかった。
◆◆◆◆
真木朔人は、隣人であり幼馴染でもある園村芽依菜が自宅へと帰っていくのを見送ると、その姿が消えるのを待って自宅へと帰っていった。その足取りは酷く軽く、虚ろだった視線にも意思がやどり、気怠げだったリュックの背負い方すら変わっている。
彼の両親が購入した5LDKの玄関に繋がる廊下は、明かりが灯されていないことで、闇へと続くように伸びているにも関わらず、そんな暗所を転ぶこともなく、昼間とは打って変わってすいすいと真木は歩いた。
朝に体操着を落とした手つきとは打って変わって、平然と手洗いを済ませると自分の部屋へと続く階段を登る。ポケットからリングにいくつもの鍵がつけられているキーケースを重怠そうに取り出して、特に迷うこともなく鍵を選び、部屋を開けた彼は、デスクに座ってパソコンを起動させた。
パスワードを打ち込み、網膜認証を経てようやくログイン可能となったそれで、いくつかのアプリを開いた後、写真フォルダを開く。
パソコンに表示された画面には、見るも無残な姿の男性や、血なまぐさい殺人現場の画像が並ぶ。およそ人だったものが、朝に出されるゴミのように詰められたもの、目玉に損壊が見られる八十代の男性、そして、オレンジジュースが散乱した車道に、懺悔させるように伏せた男の姿。
それは、紛れもなく巷で話題になっている猟奇殺人事件の死体の画像だった。やがて彼は溜息を吐いて、家の玄関や、壁、庭先の映った画面を開いた。そこは紛れもなく、彼の隣に住まう園村家の玄関先や庭を写した映像で、夜間、泥棒でもいなければ通ることもない場所を映し出している。
その後、彼はまた別のシステムを起動させ、園村芽依菜のトークグループのアカウントを、淡々とした眼差しで眺めた。そこには、先日沖田が芽依菜に対して送ったトークの形跡が表示されている。
真木は頬杖をついて、じっくりとトーク履歴を眺めた後、窓際のカーテンを見つめた。ぴったりと閉じられた布と硝子の向こうは、園村芽依菜の部屋のベランダがある。
彼の両親がここに引っ越してくる時、「隣人の部屋の距離の近さ」について、不動産屋は何度も確認した。それは真木家がこの家に目星を付ける前、資料だけで契約手前までいった夫婦が隣人との距離の近さに気づき、不動産を詐欺師だと罵り、揉めたからだ。
こんな距離が近いなんて聞いていない、隣人がおかしい人間だったらどうするんだ。騒音だって問題があるだろう。夫婦の言い分は妥当と判断され、契約はすぐに取り消された。
以降、真木たちがこの家に越してくるまでの間、部屋と部屋の距離の近さによって、ずっとこの家は家主を失っている状態であった。そんな、いわく付き扱いをされている窓とその先を見つめ、真木は「めーちゃん」と、聞こえるはずもない幼馴染へ声をかける。
「ずっと、俺が見てるよ。だから、安心してね」
そう呟く言葉通り、真木のパソコンのホーム画面は、彼の隣人である園村芽依菜の写真で埋め尽くされていた。