困った幼馴染
幼稚園が一緒の子たちは、みんな弟や妹がいる中、私は一人っ子だった。
だからずっと妹か弟がほしかったのに、おままごとをする時も与えられるのは、妹役や弟役ばかり。お姉ちゃんの役はさせてもらえなかった。もっと言えばお父さんがアレルギーだから、ペットを飼うのも駄目だった。
今思えば、当時の私はなにか守ってあげたり、お世話してあげる存在が欲しかったのかもしれない。友達が「妹いらなーい」「弟いらなーい」「芽依菜ちゃんにあげるよー」と言う度に、羨ましい気持ちを抱いていた。
だからずっと空き家だった隣の家に、自分と同い年の子が引っ越してくると聞いた時、すごく嬉しかった。
お母さんはすごく頭のいい子だと言って、お父さんはその子と仲良くしてねと笑っていた。
そうして、桜が満開な春の日曜日。チャイムが鳴って、一目散に扉を開いた私の前に現れたのは、夢みたいに美人なおばさんと、少しだけ厳しそうで冷たそうなおじさん、その二人の後ろに隠れるように立っていた男の子だった。
耳の下あたりの長さの黒髪はさらさらで、幼いながらになんだか大人びていた。今まで見た誰よりも特別に見えるその子に、私はひと目で恋に落ちた。
「こんにちは!」
緊張しながら挨拶をすると、後ろからぱたぱたとお父さんが駆けてきて、「はじめまして」と挨拶を続ける。玄関の前に立つ二人は、「隣に越してきた真木です」と、やや強張った顔つきで頭を下げていた。
その姿が何だか申し訳無さそうで、不思議に思ったことをよく覚えている。確かお父さんが一言二言話をしていて、子供ながらに、何となく大人同士で話がしたそうだなと、私は男の子をお庭で遊ぼうと誘った。
「毎年、紫陽花を育てているから見に来ていいよ」
「夏には神社の近くで縁日をやるんだよ」
「家に望遠鏡があるから、冬に一緒に星を見ようよ」
この子に、いっぱいこの町のことを教えてあげよう。この子と、いっぱい話がしたい。私はかなりはりきった。少し押せ押せみたいな状態だったけれど、彼は引くこと無く話を聞いてくれた。幼稚園が春休みに入っていたこともあり、休みの間は一緒に過ごした。そうして私たちは春休みが終わって、一緒に小学校に通う頃には「真木くん」「めーちゃん」と呼び合う仲になっていた。彼には朔人くんというかっこいい名前があったけど、名前で呼ぶことは無性に恥ずかしかったのだ。
それから、私たちはいつも一緒だった。真木くんはサッカーもバスケットボールも上手で、頭も良かった。
テストはいつも百点満点で、先生の問題のミスもすぐに見抜いてしまう。クラスの子たちが喧嘩をすると、さっと間に入って解決するような、優しい皆のヒーローだった。クラスの女の子たちは皆真木くんのことが好きで、皆彼を遊びに誘ったり、給食のあげパンをあげようとしていた。
でも真木くんは、いつだって私と遊んでくれていた。彼が遊びに誘われ、断るときは必ず優しい言い方をするから、私ばかり真木くんと遊んで不公平だと言われたことは、あまりなかったように思う。
そんな完璧だった真木くんは、今、命がけで高校に通学している。
「真木くん、そっち車道だから、ガンガン車通ってるから!」
もう十月に入ったというのに残暑が残る通学路、バスを待ちながら幼馴染である真木くんの紫パーカーの袖を引っ張る。
周りで私たちと同じようにバスに並ぶ会社員や学生は、いつもどおりの光景にやや呆れ顔だ。一方、ふらふらして車道に出かけていた真木くんは「あぁ」とのんびりした声を出すだけ。長い黒髪からのぞく彼の気怠げな瞳はどこか胡乱で、ぼーっと視線は落ちている。姿勢も悪く、かつてヒーローのように堂々と、ピンと伸びていた背筋はどこにもない。
「え……、あー、そうだ、ねー……。だる……ねむ……おやす……、おっと」
真木くんは歩道側に下がろうとして、歩いていた工事の人とぶつかってしまった。作業着を来てヘルメットを腰に下げた金髪の男の人は、「いってえな」と呟く。
「す、すみません!」
私が慌てて謝ると、工事の人は舌打ちをして去っていく。真木くんも「ごめんなさい……」と続くけれど、もう工事の人の姿は見えない。
「あ、真木くん、体操着落ちちゃってるよ!」
気がつけば、真木くんが持っていた袋が落ち、体操着とジャージが地面に飛び出していた。一方、信号を待つ白いワゴン車の後ろから頭を出すようにバスが見えていて、私は慌てて体操着とジャージを拾い、袋に詰める。
「ありがとう……めーちゃん……。地面にお洋服が落ちたから、今日体育出なくていーい?」
「出なきゃ駄目だよ! 出席点ちゃんと貰っておかないと、真木くん進級できなくなっちゃうよ」
「えぇ……めんどい……」
彼のぼんやりとした欠伸を眺めている間に、停留所にバスが滑り込んでくる。私たちは一緒にバスへ乗り込み、奥の窓際の席に座った。閉所が苦手な彼のため、私は座席に座って早々に窓を開く。閉じられ籠っていた空気がふわっと抜け、十月の涼しい風が入ってきて、呼吸がすっと楽になった。
私はいつも、すぐ窓が開けるよう、そして真木くんが窓から落ちたりしないよう窓際に座っている。ついでに言えばバスに乗って揺れても大丈夫なよう、彼の鞄の持ち手も握ったままだ。
同い年、しかも高校生同士なのに世話を焼きすぎ、と言われてしまうかもしれないけど、本当に真木くんは生きるのに不器用だから、私が気を付けないと彼は死んでしまう。
歩けば転び、転ばなければ彼のゆったりとした足取りは、自然と車や自転車に向かう。階段なんて何度も落ちかける。靴紐は秒で解けるし傘の差し方も下手で、気付けば両肩がびちゃびちゃになる。昨日の雨でも凄まじく濡れていた。なにか物を落とすのも日常茶飯事だ。
基本飲み物は零しお菓子の袋は破裂させる。とにかく何でもかんでもひっくり返すし、料理も裁縫も芸術も何もかも壊滅的で、特に料理は指じゃなくて手首を切り落としかけるくらいだ。裁縫も酷い時は服にいくつも針が刺さっている。
この間の科学の実験だって、危うく教室を爆破しかけたのだ。
その脱力癖、面倒くさがり、不器用さは年々加速していくばかりで、目が離せない。
「もうすぐ、文化祭だねぇ」
ふわぁと欠伸をしながら、真木くんが車窓に目を向けた。真っ赤に染まった紅葉や鮮やかな黄色のイチョウも、徐々に端から枯れて冬の訪れを報せている。
来月頭に開かれる文化祭には、枯葉が結構落ちているかも知れない。真木くんがよく葉っぱで足を滑らせるから、この時期はそわそわして好きじゃない。
「おだんご食べたい、あと、親子丼も、ソーダも飲みたいなぁ……めーちゃんはなに食べたい?」
「なんだろう、たこ焼きとかかな?」
でも、たこ焼きは真木くんが口の中をやけどするから、やっぱりアイスとかがいいかもしれない。あんまり熱くなくて、程よくぬるい食べ物だ。つまらせる心配のない。そして真木くんは、たまにポテトチップスでも口の中をズタズタにしてしまうから、そういう食べ物が一番いい。
答えを変えようとすると、真木くんはすやすやと眠っていた。ぎゅっと私の手をにぎる手は子供みたいで、長いまつげの寝顔は女の子みたいだ。私はせめて真木くんが今ぐっすりと眠り、授業中はちゃんと授業を受けてくれるといいな……と願ったのだった。
※2018/12/07アップ短編、2019/04/22にアップしていた連載の改稿版です。
※他サイトにも掲載しております。
※視点は芽依菜視点です。
※タイトルとサブタイトルは、物語の起点となる更新日で、物語に合わせて1度変更予定です。