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43.夢の具体化 3

初めての競馬場というものは、思っていた以上に雑多で、ざわざわしていた。


「ここが……夢中競馬場か。」


雰囲気は、駅前の歓楽街と大差ない。 売店、叫ぶオヤジ、ワンカップ酒の匂い。 新聞紙を小脇に抱えた男たちがうごめき、地面にはくしゃくしゃになった馬券が無数に落ちている。


大画面のモニターには、過去のレース映像が流れ、スピーカーからはアナウンサーの高揚した声が鳴り響いている。 どこからか歓声が上がり、別の場所では怒鳴り声が響く。 勝ち負けに一喜一憂する人々の熱気と、タバコや酒、土埃が混ざった独特の空気が、肌にまとわりつくようだった。


ふらふらとさまよい歩くヨウは、紙コップにビールをなみなみ注いでもらうサラリーマンや、馬券売場で目を血走らせる初老の男とすれ違う。 周囲は熱気と期待、そして諦めが入り混じったような空気に包まれていた。


―――――


テンに会いに来た。


わさびから「馬主らしいよ」と聞いてはいたが、それ以上の情報はない。 持ち馬の名前も、レースも分からずに、ヨウは人波を避けながら場内を歩いていた。


(わさびに聞いときゃよかったなぁ……)


あまりに無計画だったことに今さら気づく。 競馬の知識はゼロ。レースの時間も分からなければ、どこに誰がいるかの感覚もない。


「馬主席ってどこだ……?」


それらしき入口を見つけて近づくと、黒い制服の警備員にすぐ呼び止められた。


「ここは、関係者以外立入禁止です。」


「あ、すみません……」


ヨウは苦笑いを浮かべて頭を下げる。 中をのぞいても、高級そうなスーツを着た男たちばかり。 その一角にテンがいるのかもしれない。けれど、どうにもこうにも、今の自分にはその世界は遠かった。


(くそ……どうすりゃいいんだ)


ヨウは手ぶらでふらふらとパドックに向かった。 ここなら馬たちを間近に見られる。周囲には新聞片手の男たちや、カップルが群がっている。


そのとき、ふと思いついたように能力を開放した。 世界の“1秒後”を見る力。


だが目の前の馬たちに変化はなかった。


「なんで能力使おうと思ったんだろう」


ヨウは自嘲気味につぶやき、パドックから離れようとした。 その時、ひときわ異彩を放つ馬がいることに気づいた。


深紅の光をまとい、ギラギラとした敵意を放っている。 そして青色の光が、周囲に波紋のように広がっていく。 他の馬たちの色が変わる。警戒、困惑、威圧——まるで水面に石を投げ込んだように、緊張の渦が広がっていた。


「……あいつだけ、異常だ」


異常すぎる……でも、なぜだ。何が見えている……?


赤は、闘牛じゃないけど、攻めろ! 緑は、安心の色。 青は、欧米で言う警告の色。


あいつの赤色は殺気を表し、周囲の馬の警戒心がマックスってことか。


馬の名前を確認する。


ソライチリーグ。


妙な名前だった。ソライチ、リーグ? よく分からんネーミングだ。 だが、あの赤い“気配”は本物だ。


競馬のときに能力使うとこんな風に見えるのか……。


―――――


どうにもテンの手がかりをつかめないヨウが人混みに流されるように歩いていると、入口近くまで戻ってきてしまった。


どうしたものか………。


困り果てて入口付近でぼーっとしていると、売店にいたおばちゃんが、ヨウを見つけて手を振っているのに気づいた。 ヨウが競馬新聞を買ったピンクおばちゃんだ。


「おーい、あんた、こっち来るといいさ」


「あ、こんにちは……?」


「アンタ、賭けたかい?」


「いえ……まだ」


「じゃ、今から賭けるといいさ。見てきたんだろ? やってみたくなったさ?」


「……ソライチリーグって馬が、ちょっと気になって」


「へぇ、じゃそれに賭けてみるさ。これがマークカードさ。こう塗るんだよ。初めてかい?」


ピンクおばちゃんの手慣れた対応。 言われるがままにマークを進めていると、背後に鋭い視線を感じた。


振り向くと、痩せ型で目つきの鋭い男が立っていた。 髪は後ろで一つに縛られ、スーツはくたびれているのに妙な品がある。


(なんだこのおっさん)


男は何も言わず、ただひとつ軽く頷いて去っていった。 その視線が、能力を使ったことに気づいたかのようで、ヨウは思わず冷や汗をかいた。


(……イカサマでもしたと思われたか?)


「……100円だけにしときます」


「は? あんた、そんなのじゃ変わらんさ。どーんと1万、いっとくさ!」


「えっ、いやいや、ちょっと待ってください!」


「アンタ、何しに来たのさ? 1万で人生終わるってわけじゃないさ」


ヨウは迷ったが、ふと思い直す。 でも、あの馬、あれはヒントなのかもしれない。そしてピンクおばちゃんも。じいさんのヒント、いつも露骨だからな。 それにあの後、コースにいる馬を見たけれど、何色も表示されなかった。


「……じゃあ、1万」


おばちゃんがニヤッと笑った。


―――――


第9レース。 ゲートが開いた瞬間、ソライチリーグは見事に出遅れた。


「おいおい……嘘だろ……」


最後方。やる気なさそうに、とぼとぼと走っている。 隣にいたおじさんが笑って言った。


「ありゃダメだな、あの10番。だいたいあんな感じだ。たまにいい走りするんだけど、今日はまたダメだな。」


「……うん、知ってる。」


これまでの人生、勝負どころで勝ったことのないヨウだ。 まぁ、そうだよねと1万円をあきらめる。


だが、異変が起きた。


先行集団の速度が、明らかに落ちている。 道が、空いていく。まるで、赤の波紋が再び世界を支配しはじめたかのように。


前を走っていた馬が、まるで何かを避けるように進路を変えた。 馬たちが道を譲っている。 親分、どうぞ——そう言わんばかりに。


ソライチリーグの脚が伸びる。 どんどん加速する。風を切る音が聞こえるほど、観客席が騒然としていく。


「おいおいおいおい」


周囲の観客が叫んでいた。 ヨウはいつの間にかソライチリーグから目が離せなくなり、追い抜く姿に拳を握りしめていた。


――ゴール!!


最内から、音もなく抜き去るソライチリーグ。 その静かな勝ち方に、スタンドが一瞬、静まりかえった。


そして、次の瞬間——


「おい……単勝500倍!?」 「万馬券だあああ!!」 「マジかよ、ソライチリーグ????」


紙吹雪のようにハズレ馬券が宙に舞った。 歓声、怒号、拍手、罵声が交錯する中、ヨウはただ呆然と配当を見ていた。


1万円が、500万になっていた。

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