座学、魔法の力について。
古い木製の文机とセットの椅子に腰かけたファユファナは深呼吸をしてた。
窓の外ではパタパタと風に煽られるシーツの音が耳をくすぐり、差し込む日差しはポカポカと暖かくて、これって贅沢な時間の使い方だなぁ。とファユファナは思わず目を細めた。
古びた赤色のレンガの乾いた土の匂い。柱の木の湿ったようなこもった匂い。古い本が纏ったほんのちょっぴりのホコリとカビの匂い。
一言で言えばボロい平屋。なのだが、古びたレンガの風合いや木の質感、釘代わりに打たれた不揃いな楔。まるで関西地方にある鹿の沢山いるお寺の楔を思わせるようで、うっとりしてしまう。
このお家が建てられてからどれ位の年月が経っているのかな?と想像しただけでほっぺたが緩んでしまうのだ。
きっとこの決して広いとは言えないこの家は森の魔女と恐れられていた義母が建てた家なのかもしれない。
年若い魔女が一つ一つ丁寧な手作業で土をこね、木を伐り、鉄を作り楔を造る。
まるで一つの物語のようだな、とファユファナが目を閉じて空想していると、右頬を強く突かれる感触がしてきた。
もう少しこの魔女の事を考えたいのに……とつまらなさそうな顔で目を開くと物語の悪役の魔女よりも悪人顔で笑みを浮かべるリタリアが其処にいた。
「いい夢をみていたみたいね?ファユ」
ファユファナをつつく手の反対がわには分厚い本を持っており、その本の背表紙には「現代魔法の今昔」と書かれている。
7歳児で理解できる内容ではないと思うのだけれど、中身が21歳なので理解が出来ないわけではない、と思う。
ただ、日差しが暖かくてお昼寝日和だったから7歳児の本能に逆らえなかったのだ。
「義母さまみたいな、とても可愛い魔女の夢をみたの」
「そ、そうかい……ほら、きちんと書き残しておくんだよ!魔術の基本は自分の言葉で理解し、覚え、書き記すことだからね!!ほらほら、ノートをきちんと開くんだよ!インク壺やペンはどうしたんだい?きちんと用意をおし!」
革で作られた表紙。中は不均等に薄いクリーム色が踊る白紙のページ。
インク壺は小さな鉄鍋のように可愛らしく丸みを帯び、使うようにと渡されたガラス細工のペンは細やかな細工飾りが施され、光に当てるとキラキラと虹色に光を反射する。
不思議そうに首を傾げながらファユファナは口を開いた。
「ねぇ、義母さま。質問があるんだけど」
「もう少し丁寧な口調でお言い」
「義母さま、質問があるのだけれど、よろしいかしら?」
「なんだい?」
「このノートは真っ白じゃないけれど、このガラスのペンは細かい細工がとても綺麗なのはどうして?」
職人さんの技術の問題かしら?と唸るファユファナにリタリアはゆっくりと頷いた。
「いいかい?ファユ。このノートは人間たちの技術でできたもの。こちらのガラスペンは精霊たちの力を借りて作ったものだよ」
「精霊?スライムや角ウサギとは違うの?」
先ほどの眠たそうな表情と違い、キラキラと好奇心いっぱいの瞳で喰いつくように質問をする姿にリタリアは「仕方がないわね」と開いた本を閉じ、ファユファナの机に腰かけた。
「いいかい?精霊というのは水魔法や炎魔法など様々な魔法を使う際に力を貸してくれる存在なんだ。
中には精霊使いといって精霊と行動を共にする魔法使いもいるけれど、大抵は精霊から許しを得て、魔法の力を使うことが出来るのさ。」
「魔法の力で作ったって事?」
「いいや?精霊達は気まぐれでね、水や炎や風といった精霊以外にも物造りや破壊といった精霊も存在する。もしかすると私たちの知らないものを司る精霊もいるかもしれないね。
闇の精霊が悪い奴で、光の精霊が良い奴だ。なんて言う学者もいるけれど、どの力も欠かす事の出来ない大切な力なのさ。
精霊達は光の玉のような姿をしているけれど、何故だか解るかい?」
「さっぱり解んない。だって精霊に会ったこともないんだもん」
悪戯そうに笑うリタリアにファユファナは首を横に振った。
「精霊の数は多い。水の精霊ってだけでも数多く存在している。
私や、お前のように一つ一つ個性がある。数はこの国、もしかしたらこの世界よりも多いかもしれないね。
精霊というのは力の概念のようなもの。この場合だと……何かに宿る力、だね。奴ら、力を持ってはいるが体を持つ事が出来ない。
何故なら、自分の姿を想像する事ができないからさ」
「自分の姿を想像することが出来ないの?」
「あぁそうだよ。精霊達は大抵意志も無い。
自分の力をきちんと保つことが出来なければこの世界で生きていくことが出来ないのは精霊も人間も同じ。精霊の場合は、誰かが魔法を発動する度に消滅していくのさ。
魔法を使う以外では互いに喰いあったりするだろうけれど、消えた精霊はまたすぐに新しく生まれてくる。
中には知恵の芽生えた精霊も居て、消える事を拒む事がある。人間や想像力のある生き物に取引をしてくる。
『あなたの望む品を差し上げるから私に姿を与えてください』ってね。
姿を得た精霊達が住む集落が至る国にあるし、奴らは器用だ。細かい装飾品やガラス細工で生計を立てているし、中には人間と夫婦になる精霊も居る。
お前に渡したガラスペンが其処の集落で買った品の一つだよ」
「義母さまって物知りなのね!!この世界には、いろんな種族がいるのね! すごいなぁ……ファンタジー映画みたい!!」
「ふぁんたじえいが……?一体何の事を言っているんだい?」
ファユファナは時折妙な物言いをする事がある。
先ほどの『ファンタジー映画』もそうだが、スライムを初めて見たときは『おおきな信玄餅!!!』と言って食べれるか否かを聞いてきた。
スライムは食べようと思えば食べれるが、どうしてそんなに野生児のようになってしまったのか。目覚めを経てからファユファナは少々奇妙なところが多くなってきた気がする。
気のせいだったら良いのだけれど。と思うが、キラキラと輝く瞳の前ではそんな心配も消えてしまう。
どうやらファユファナは歴史書や小難しい文面で学ばせるよりも実際にリタリアが経験してきた物事で話したほうが喰いつきと覚えが段違いである事がわかった。
7歳児に大人向けの参考書を読み聞かせて理解させようとしても無理な話なのだが、一般的な7歳児と比べると利発で好奇心旺盛なので少々熱が入ってしまうようだ。
コンコンコン!
木製のドアをノックする音が部屋に響く。
今日は来客の予定はなかった筈だけれど……とリタリアが足早に出迎えると、ファユファナと同年代くらいの青銀髪の少女が肩で息をしながら辛うじて立っていた。
「おやまあ!!一体如何したんだい!! ファユ!!すぐに風呂に湯を溜めな!!」
少女の片手には手綱がしっかりと握られており、その先には夕焼け色の走馬竜が少女を支えるように少し屈み、リタリアへゆっくりとお辞儀をした。
「あの……っ、私……っベンジャミン・ユエハの娘、ツェツェネル・ユエハと、申します……父から貴女の元で修業をするように命じられて……」
「ベンジャミンの……!! あの坊主、自分の愛娘をこんな山に一人で放したのかい?!」
ベンジャミンとは30年前気まぐれでリタリアが色々と世話をした少年の名前だ。
少々捻くれた性格だった頃のリタリアは当時7歳だったベンジャミンを山に放置した事が何度もある。師匠の言う事は絶対!と信じて疑わなかった純真無垢なベンジャミンは恐らく、可愛い子には旅をさせろ。とでも言うように胸を張ってツェツェネルを山に放り出したのだろう。
リタリアの影響だというのは本人がよく知っている。30年前の自分をぶん殴ってやりたい。
幸い、ベンジャミンは愛情を持って娘に接していたらしく、娘の手綱の先に居るのは走馬竜。一匹につき馬300頭分の価値があると言われている魔物の一種であり、古くから人と共に生活を共にしてきた種の一つとも言われているものだ。
「……もう何も言わなくて大丈夫。うちにはアンタと同じ年頃の娘が居るんだ。まとめて面倒見てやるよ」
まさか自分が30年前に蒔いた種がこうして芽生えるとは思ってもみなかった。
部屋の中を歩かせるのも酷だろうとリタリアは杖を取り出し、少女に振る。洗濯魔法の時のように物を浮かせ、移動させるためだ。
しかし、少女は動かない。
「……一体どういう事だい?」
何が起こったのだろうか。魔法は発動したのは確認できるが、少女の元へ届くまでに空気に溶けて消えてしまった。
庭先の植木鉢へ杖を振る。
ふわりふわり、と浮き上がった。
まさか。
「ちょいと失礼するよ!!」
リタリアは慌てて少女の上着のポケットをまさぐる。紙の手ごたえがあった。
取り出してみるとリタリア宛の手紙だ。
手紙に書かれていた事を要約すると、娘の固有スキルがピアニッシモであるということ、目覚めから外の世界と隔てて育ててきたということ、どうか娘の師匠になってくれ。といった事が書かれていた。
ピアニッシモとは魔法を無効化する固有スキルだ。フォルテッシモと対になっている。とも考えられており、たとえ強大な魔力を持つフォルテッシモの魔法でさえ無効化してしまう。
どんな魔法も無効化する反面、魔法発動といった事が不得意であるスキルでもあるし、回復魔法でさえも無効化してしまうと言われており、フォルテッシモ同様使いどころを間違えてしまうと大変危険な事になるスキルだ。
「ちょいとお前のご主人を中に運ぶからね。手伝いな」
『ご主人食べない?』
「食べられるのを心配するんならとっとと動くんだよ!」
ツェツェネルを走馬竜に乗せ、走馬竜のお尻をぴしゃりと叩くとリタリアは家の中へ招き入れた。
「あんれまぁ、変わったお客さんだねぇ」
「ファユ、この子はツェツェネル。長旅で疲れているから静かにね。こっちの走馬竜は……」
『サンセットだよ!』
「だってさ。ファユの部屋に寝かせてあげるから、この子が起きるまでファユは私の部屋を使うんだよ」
「はいな!」
ツェツェネルをファユのベッドに寝かした後、リタリアは心配そうにツェツェネルの顔を覗き込むサンセットの頭を撫でた。
「お前、本当に偉いね。よく此処まで辿り着いたよ。良い鼻を持っているね」
引っ越した事など家族や馴染みの商人くらいしか知らない筈なのに。
魔力の残り香を追ってきたサンセットはとても優れた走馬竜のようだった。
『へへへ……ご主人大丈夫?』
「あぁ、大丈夫。私が立派に育ててやるからね。
お前も疲れただろう?ゆっくり休みな」
ある晴れた日の事。
かつて森の魔女として恐れられたリタリアの元に二人目の弟子がやってきた。
一人は義理の娘ファユファナ。
もう一人はかつての弟子の娘ツェツェネル。
そして、ツェツェネルの愛竜サンセット。
騒々しくも楽しい日々はこうして幕を開けるのだった。