夕焼け色の走馬竜・ツェツェネル
車の用意が出来た。の言葉を聞いて、私はてっきり4つの車輪で走る車や馬車を思い浮かべたのだけれど……
小さな屋敷の大きな扉を開けた先に居たのは父のベンジャミンと母のマイアリア。
そして、二足歩行の恐竜のような見目の奇妙な生き物だった。
この生き物が馬車を引く……のかな? 馬っていうか、なんて言えばいいのかわからないけれど。
「どうだい?ネル。素敵だろう?」
その恐竜のような生き物の顎の下を撫で、父が満足そうに頷く。
大きさは大体馬と同じくらい。
夕焼け色のゴツゴツとした肌。
頭には大きな二本の角が生えている。
足の太さは馬よりもふたまわり程大きく、大きくて太い指が前に3本。後ろに1本。
大きくて長いしっぽにはギザギザとした背びれが生えている。
正直、怖い。 澄んだ空色の目で見つめないで。怖い。
「そ、その生き物は……あの、馬車で行くのでは無いのですか?」
「そうよね、そうよね、ネルもこの走馬竜は恐ろしいと思うわよね」
父とは対照的にふるふると震える母。
この母は人一倍心配性なのだ。
どれくらい心配性かというと、毎日私宛に治癒力や免疫力を高め、体力を回復する薬……いわゆるポーションを30本ずつ私の屋敷に届けるほど。
私が1年間引きこもっているのも母の心配性が一つの要因でもあるのだけれど、致し方なく引きこもっている娘に一日30本も送るのは正直心配性にも程があるでしょう?と思ってしまう。
賞味期限があるものなのかは解らないから、アイテムバックで作り出された収納空間の中には大量のポーション、そしてこの度修業に出るにあたって『食べられる薬草図鑑』『お薬になる薬草図鑑』『生き残るためのサバイバル知識』『おうちの医学』『野生生活料理辞典』『とある冒険者の一日』そして何に使うか解らないが、爆薬に除草剤、眠り薬に妖精印の痺れ粉、スリングショットなどなど……必要になるのかならないのかよく解らないうえに子供に持たせて大丈夫なのか心配になる道具まで送ってきた。
スリングショットなんて一種の武器じゃないのか?!と驚いた。
異世界とはいったいどうなっているんだ……。
「いらないです」と一度断ったことがあったのだけれど
「ネルちゃんは……お母様がこんなに心配しているというのに理解してくれないの?!」
とメソメソ泣いた。
正直、愛が重い。重いけれど、アイテムバックにはまだまだ空きがあるし。
ありがたく頂戴しておこう。
子供に痺れ粉を持たせる母親って……毒薬を持たせないのは流石に危険だと判断したのかもしれない。
この世界の爆薬が液体だなんて知りたくなかったけれど。
母親が何故このような危険物を持っているのかも知りたくなかったけれど。
そんな心配性の母が何故今回の修業というものに対して引き留めるなり、監禁なりしないのは子供の成長を望むからなのかもしれない。
これを気に子供離れをしてほしいと思う。物理的じゃなくて、精神的に。
「お前の師匠となる人物が住んでいるのは13の山を越えた先。馬車が見通しの悪い山の中を走ったらあっという間に魔物に喰われてしまうよ」
母の性格に慣れている父は見ないふり。聞かないふりをして。私に言い聞かせるように説明をした。
視線が痛い。母からの視線が痛い。
「その魔物が出てくる山の中に7歳の娘を送り出すの?本当に?」と恨みなのか怨念なのかじっとりと父を睨み付けている。
この世界は「生き返ることができる世界」しかし、私の場合はどうなるのだろう。
この体質で生き残る術を学ぶ事がこの世界で生きていくうえで大切になってくるのなら、やはり今出るしか道はないのかもしれない。
「この生き物は走馬竜という。主人に忠実でどんな命令も聞くし、何より足が早く小回りも効く。旅立つお前に私からのささやかな贈り物だよ」
おくりもの。
おくりものはぷれぜんと。
ぷれぜんと。とは、うん、理解したくはないけれど。
理解したくはないけれど。
「この、らんなーど。という生き物を私に……?」
「あぁ、この種族の攻撃力はスライムなんて一蹴りで倒してしまうし、大地狼が襲ってきてもこの立派な脚で逃げ切ってしまう」
目覚めからの1年でこの世界の常識的なものについては大体理解していたつもり。
7歳になったら師匠を見つけ、修業にでなければいけないということも。
おそらく、その修業が前世でいうところの小学校に値する。ということも。
そして、その修業に出る際、親から与えられる贈り物がある。
辛くなったらいつでも戻ってきていいからね。という気持ちや、自分一人で歩きださなければならないよ。という想いを込めて『移動』にかかわるものを子供に与えるのだ。
無事に新しい土地へ着けるように。
例えば、魔法に長けた家なら、空飛ぶほうきや魔法の絨毯。
一般的な家なら、二輪車。裕福な家なら馬。
といったように。
それがこの世界の常識だと思い込んでいた。
なので、医者の家系の我が家は裕福な家なので、馬なのだろう。と思い込んでいた。
夕焼けのような色のお馬さんがほしい!と幼い頃父にねだった記憶を思い出す。
そんな私の目の前にいるのは夕焼け色の……二本足の恐竜なのか、トカゲなのかよくわからない生き物、
走馬竜。
「この、竜……?が」
「そう、お前への贈り物だ」
何故、馬ではなく走馬竜になったのか。
理由はわかる。
私のピアニシモという固有スキルのせいだろう。
魔法を無効化する。ということは、道中、大きな怪我をした際、回復魔法が効かない。という可能性も出てくるのだ。
ポーションといった体力を回復する薬で免疫力や自己治癒力の向上は図れるものの、自分の力で薬を飲む事が出来ない場合は死を意味する。
そして、蘇生魔法が効く保証もない。蘇生薬なら効くかも。あるか解んないけれど。
父親として考えに考え、最終的に導き出された答えがこの走馬竜だったのだろう。
7歳の子供が自分の身を自分で守ることが出来ないのなら、守る事のできるものを与えるのが最大の贈り物だろうと思ったのかもしれない。
少々恐ろしいけれど、見慣れてきたら可愛い気さえしてくる。
「サンセット。この子の名前はサンセットにします!」
-キュォォォォォオオ!!
自分の名前を本能的に理解したのか、走馬竜改め、サンセットは嘶いた。
≪従魔:走馬竜:サンセット≫
私の中の魔力が呼応し、脳裏に文字列が浮かぶ。
従魔ってなんだろう。
疑問に思った瞬間に意味が脳裏に流れるように入り込む。
―従魔とは魂の石に呼応し、主人に付き従う魔物を示す言葉である。
名を与えられた瞬間から成長が分岐し、姿を変える。
成長が分岐する……育て方によって変わってくる。ということになるのかしら。
従魔に関する説明文が頭に流れ込んできたのは恐らく、極鑑定の力だろう。
便利というか、疲れるというか。なんとやらだ。
「父様、ありがとう!」
正直驚いたけれど、私の固有スキルの事も考えてくれたのだと思うととてもありがたい。
最初に見た時よりもサンセットも愛嬌のある顔に見えてくる。
安堵の表情を浮かべると父は車とサンセットを繋いだ。
馬車の荷台の半分ほどの大きさなのは、乗せる荷物が少ない事と、できるだけ早く安全に目的地へ着けるように。という心配りだろう。
「あぁ、ネル……とうとう行ってしまうのね」
母が目に涙を貯めてそっと私の体を抱きしめる。
ぎゅうううううううううう……
離れようとするとさらに腕の力が強くなるのは気のせいだろうか。
ぎゅうううううううううううううううううううううううううう……っ
「お、お母様……っ 苦しい……っ」
「あ、あらやだ……っ私たら……つい」
私の苦しそうな声にぱっと手を放すと母は顔を覆った。
恥ずかしさからか顔が真っ赤になっている。
つい。じゃないでしょうよ……と呆れてしまうが、これも母の愛情表現の一つなのだろう。
きっと。
私も正直言うとすごく淋しいし、不安だ。
「私、お母様にお手紙を書きますね!」
精いっぱい胸を張って、馬車に乗る。
長旅に備えられるように頑丈な作りになっている。
馭者は……いない。 自分でサンセットを操作なさいってことなのかもしれない。
7歳にそんなことを任せるだなんてこの世界はもしかしなくてもハードモードなのか……?
もし怪我をしたら……ってその為にポーションがあるのね。
十分すぎるほど持っているわ。13もの山くらい越えてみせるわよ。
繋がれたサンセットの手綱を手に取る。
「サンセット、準備はいい?」
『もちろん!任せて!マスター!』
可愛らしい女の子の声が頭の中でこだまする。
サンセットは自信に満ちた瞳で鼻息を荒くすると……
―きゅぉぉぉぉおおおおおおん!
高らかに鳴くとその立派な二本の足で大地を蹴り上げ、駆け出した。
「しゃ、喋ったああああああ?!」
ツェツェネル7歳。
まだ風が冷たく感じる春先の事であった。