58.外交官アヤメ
「旧エウレンディア領では、何が起きているのでしょうか? ガルドラ様」
昼食を待つ席で、さりげなくアヤメが質問を放った。
しかし彼女の青い瞳は決意の光を湛え、ただの世間話では済みそうにない雰囲気だ。
「先ほども言ったように、魔物が増えて困っているのですよ」
「どうやらそれは事実のようですね。しかし、ほとんど動きのなかった旧エウレンディアの民が、急に同盟と関係を持とうとするのは、なぜでしょうか? しかも賢者と名高いガルドラ様自らのお越しとは?」
「さすが、外交使節だけあって、いろいろとお詳しいのですね。というよりも、大国とも対等に渡り合う竜人族ならでは、でしょうか」
「お誉めに与り光栄です。それで、ガルドラ様が同盟に支援を求めるのは、やはり何かあったのですか?」
「単純に魔物の被害が増えてきたのですよ。それで外部に助けを求めざるを得なくなった、というだけです」
師匠とアヤメが笑顔を浮かべながら、言葉を交わす。
しかしその裏では、互いの意図を掴もうと火花が散っているかのようだ。
「旧エウレンディア領は、名目上は帝国に属しているはずです。それなのになぜ、同盟なのですか?」
「まさに名目上、属しているだけのうえに、帝国が頼りにならないからです。そもそも魔物が増えているのは、帝国が”竜の咢”の防衛を放棄したためですからね」
「それで魔物の被害が増えているのは、事実なのでしょう。しかし、本当にそれだけでしょうか?」
「他に何があると言うのですか?」
アヤメは少し考えるふりをしてから、こう言った。
「例えば、新たな指導者が現れた、とか?」
「ハハハ、アヤメさんはなかなか想像力が豊かですね、イッシンさん」
ほぼ真相を突かれながらも、師匠は顔色ひとつ変えずに切り返した。
「ガハハハハッ、申し訳ない。職業柄、そういうことを考えるのが大好きなのだ、アヤメは。さて、飯が来たから食おうではないか」
「ごっはん、ごっはん!」
折よく料理がテーブルに並び始めたので、その話は一旦打ち切りになった。
サツキなんか、フォークを振り回して変な歌を歌ってやがる。
本当に食いしん坊だな、あいつ。
話を打ち切られたアヤメも、平然としたものだ。
まだまだ話す機会はいくらでもある、そう思っているのだろう。
昼食を終えてからは、適当に町の中を観光して歩いた。
街並みを眺めたり、いろいろと買い物をするだけでもけっこう楽しいものだ。
今まで町らしい町といえば、せいぜい旧王都ぐらいしか見たことのない俺にとって、何もかもが新鮮だ。
ちなみに武具屋が見つかると、イッシンが目を輝かせて突進していった。
こいつにサツキを任せたのが失敗の元だったのだと、改めて思う。
やがて宿に戻り、夕食を取ってからそれぞれの部屋に引き上げた。
俺は武器と防具の手入れをし、師匠は本を読みはじめる。
すると誰かがドアをノックしたので確認すると、アヤメだった。
「どうしたんですか? アヤメさん」
「大事なお話をしたいので、入れてもらえないでしょうか?」
断る理由も無いので、招き入れて椅子を勧める。
「もし可能であれば、部屋に結界を張ってください」
『我は風精に願う、風の伝わりを断ちて、我らが会話を秘したまえ。風結界』
アヤメの願いで、師匠が即座に結界を張った。
「さすが、エウレンディアにその名も高き賢者、ガルドラ様ですね」
「さあ、ガルドラと言っても、たくさんおりますよ」
「そうですか、ウフフ……それで、昼のお話の続きなのですが、エウレンディアに新たな指導者が現れたのではないか、私はそう考えております」
「そうお考えになるのは自由ですが、だったらどうだというのですか?」
「もしそうだとしても、旧王国民をまとめあげるのは、とても困難でしょう。それがたとえ高名な賢者様だとしても、です」
アヤメの意味ありげな視線を軽く受け流し、師匠は先を促す。
「……それで?」
「一般に、エウレンディアの王族は全て滅ぼされた、ということになっております。しかし、前王の遺児が生き残っているのではないか、という噂もあるのです」
「ほほう。しかしそれは噂というよりも、民の願望のようなものではありませんか?」
師匠が冷静に切り返すと、アヤメがポツリとつぶやいた。
「民の願望……そうなのかもしれませんね。そういえばエウレンディアには、王族にしか使えない不思議な盾があったと聞きます。たしか、”七王の盾”とか。それはどのようなものだったのでしょう?」
「そうですねえ。七王と呼ばれる召喚精霊をその内に宿し、大地に精霊の恵みをもたらす伝説の神器、といったところでしょうか」
「それは凄い物ですね……ところで、サツキから聞いたのですが、あの子の右肩に押されていた焼き印を、ワルドさんの妖精が消してくれたそうですね?」
あ~、それを聞いて怪しんでるのかぁ。
サツキの身を守るためとはいえ、ちょっと迂闊だったろうか。
しかしいまさら否定するわけにもいかないので、俺は適当にごまかした。
「ええ、俺に懐いてる妖精がいましてね。彼女の治癒魔法で、焼き印を消してもらいました。うまくいってよかったですよ」
「本当にその件については、いくら感謝してもしきれません。しかし、焼き印を完全に消す術など、私は聞いたことがありません。少なくとも、一般人の為せる業ではないと思います」
「あ~……まあ、気まぐれな妖精のすることですから」
「ただの気まぐれで、そこまでするでしょうか? もしワルドさんが助けてくれなければ、あの子は死んでいたか、奴隷商に再び捕まっていたことでしょう。ドラグナスが命を救われた場合には、命を懸けて恩人に報いるという掟があります」
アヤメがことさら真剣な表情になった。
「そ、そんなに大げさに考えなくてもいいですよ。子供を助けるなんて、当たり前のことじゃないですか。サツキが幸せになってくれれば、それでいいです」
「残念ながら、これだけの恩を受けておいて何も返せないようでは、私たちの沽券に関わります……ですので、私を信用して打ち明けていただけないでしょうか? もしワルドさんが何か、大きなことをしようとしているのなら、私たちに手伝わせていただきたいのです。お願いします」
そう言ってアヤメは、静かに頭を下げた。
これは相当、こっちの事情を察せられているようだ。
だいぶ話が重くなってきたので、師匠に視線で助けを求める。
「ふむ、そこまで思っていただけて、我らも嬉しく思います。しかし、しかし仮に我々が秘密を持っているとして、それを昨日会ったばかりの人に打ち明けると思いますか? 仮にも国家レベルの秘密を、です」
「それは…………そのとおりですね。私としたことが、少し焦りすぎたようです。とても重要な縁に、巡り合ったような気がしたものですから」
「それはそうでしょう。仮にあなたの想像どおりならば、周辺諸国の力関係が大きく変わりますからね」
「そのとおりです。そしてそれはドラグナスにとって、他人事ではありません」
「それって、どういうことですか?」
師匠は分かっているようだったが、俺には話が見えなかったので、素直に聞いてみた。
するとアヤメが説明してくれる。
「仮に強大な王に率いられたエウレンディアが復活すれば、周辺諸国に新たな秩序が生まれるでしょう」
「う~ん、そうかなぁ。エウレンディアが復活するってことは、帝国が敗れるんだから、そこにつけ込む国が出て、荒れるってこともあるんじゃない?」
「帝国の負け方にもよりますが、一時的な小競り合いで落ち着くでしょうね。その後はエウレンディアの発言力が増し、むしろ安定に向かう可能性が高いと思います」
「ふむ、興味深いですね。しかしそうなると、ドラグナスにとって少々、都合が悪いのではありませんか? 戦が減れば黒竜鉱の需要も減り、利益や影響力が損なわれるでしょう?」
黒竜鉱ってのは、ドラグナスにしか作れない希少金属で、これを少し鉄に混ぜるだけで強度が高まるって代物だ。
そのため、鉄以上に重要な軍需物資として、世界中の国が注目しているんだそうだ。
そしてドラグナスはこの金属の取引きをコントロールすることで、大国並みの影響力を維持しているって寸法だ。
「黒竜鉱による影響力など、危ういものです。あれを狙う国家間でバランスを保つため、我々がどれだけ苦労していることか……」
「それはそうでしょうね。そのためにあなたたちは誰よりも情報を求め、外交使節を多く派遣している」
「そのとおりです。私たちにとって、周辺の国々は飢えた狼か狐のようなもの。しかしもしエウレンディアが復活し、同盟が結べれば、そんな苦労から解放されるかもしれないのです」
「それはどうでしょうか? エウレンディアも所詮、国ですよ」
「いいえ、エウレンディア王国だけは千年の長きに亘って、侵略を行わなかった唯一の国です。その精強さ、豊かさ、そして高潔さは、他国とは比較になりません。もしそのような国と同盟が結べるのなら、我らは努力を惜しまないでしょう」
なるほど、サツキの恩だけでなく、自分たちの利益のためにも、ドラグナスはエウレンディアに協力する備えがある。
そう言いたいわけか。
「なるほど、いろいろと興味深いお話をありがとうございました。旧エウレンディアの民として、あなたの申し出はとても嬉しく思います。もし、もしもそれに近い状況が起こり得るなら、改めて相談させてもらうことがあるかもしれません。もちろん、全て仮定の話ですが」
「そうですね、今のところは全て、仮定の話です」
師匠がにこやかに話しかければ、アヤメも艶然とそれに応じる。
今は打ち明けられないが、いずれ協力できる可能性があると悟ったのだ。
彼女は最後にまた丁寧に礼を言って、帰っていった。
「はあー、ようやく終わったね、師匠。しかし問題はどこまで信じるか、だよね」
「そうですね。しかしドラグナスと連携する可能性が見えただけでも、大きな収穫だったと思いますよ」
「まあ、純粋な恩返しって言われるよりは、分かりやすいかもね」