幕間:アニエリアスの覚悟
アニエリアス・エルムタリア。
彼女はエルフ根源10氏族のひとつに数えられる名家の出であり、隠れ里でも有名な才媛である。
6歳で風精霊と自力で契約した彼女は、早くから天才精霊術師として期待を集めていた。
実際にエウレンディア王国滅亡後、ほとんど契約者が出ていない状況下で、彼女の才能は突出していた。
さらに美しい金髪と緑の瞳に彩られたその美貌は、多くの者を惹きつけ、虜にするほどだ。
そんな彼女がワルドと接するようになったのは、里長であり、優れた精霊術師でもあるガルドラに師事していたからだ。
なぜかワルドも、幼い頃からガルドラの元で学んでいた。
そのため2人は机を並べて勉強をすることも多く、多少は話をする仲だった。
「ねえ、あなた、なんでまほうのべんきょーしてるの? まほう、つかえるの?」
「しらねーよ。なんかししょーが、べんきょーしろっていうからさ。こんなことより、もりにいって、かりしたいんだけどな~」
「ふーん、わたしはまほう、つかえるのよ」
「まじかよ。おまえ、すごいんだな? いいなー、おれもまほう、つかってみて~」
ワルドの口調は粗野だったが、飾り気がなくて好ましかった。
アニーがちょっと自慢しても、素直にうらやましがるだけで、嫉妬しないのもいい。
いろいろと面白い男の子だと思っていた。
その後も2人は一緒に勉強を続けていたが、その差は開くばかりだった。
アニーは10歳の時にシルフィだけでなく水精霊とも契約を交わし、稀代の天才ともてはやされていた。
精霊契約がほとんど成功しなくなったこの世界で、彼女はより特別な存在になっていく。
その一方でワルドは生活魔法すら使えず、周囲からいじめられていた。
さすがに10歳にもなると、ほとんどのエルフは生活魔法を使えるようになる。
たとえ少量の水を出したりそよ風を起こす程度であっても、それが使えることに優越感を覚え、使えない者を必要以上に貶める輩は存在する。
そんな心無い者たちからのいじめに、幼いワルドの心は傷ついていた。
「元気出しなさいよ、ワルド。別にあなたは、生活魔法なんか使えなくても強いんでしょ」
「いや、魔法があると戦いの幅が広がるから、使えないとやっぱり不利なんだよな。まあ、その辺の奴らに負ける気はしないけど、弱い奴ほど、俺のことを無能、無能って呼ぶから、ムカつくんだよ」
「ああいうのって感じ悪いよね。でも大丈夫。ワルドはそのうち、凄いことできるようになるよ」
「凄いことって何だよ? だけどありがとうな、アニー。俺を馬鹿にしないのは、師匠と君ぐらいなもんだよ」
この頃になると、アニーは明らかにワルドを好いていた。
数年も一緒にいれば、彼の裏表のない素直な性質がよく分かる。
そしてそれ以上に彼女は、ワルドに強い親近感を覚えていた。
エルフとしては落ちこぼれのワルドだったが、彼女は気にならなかった。
むしろ彼は、他の誰よりも自分に近い存在だとすら思っていた。
だから10歳になって魔法の才能の片鱗すら現れないワルドを、ガルドラが見限らないことも不思議に思わなかった。
ガルドラはワルドをぞんざいに扱ってるようで、常に注意深く見守っていることを、アニーは知っていたのだ。
賢者と呼ばれるほどの男が慎重に見守る少年。
やはりワルドには何かがあるのだろう。
やがて自身も15歳になろうかという頃、ワルドが隠れ里へ妖精を連れてきた。
「ワルド。その妖精みたいなのは何?」
「えっ、アニーには見えるのか?」
「そんなの当たり前……でもないのかしら? 周りの人は気にしてないのね」
ただの妖精かと思えば、それはエウレンディアの守護神、七王だという。
何を馬鹿なと思ったが、アハルドとガルドラから真実が明かされた。
ワルドこそエウレンディア王家唯一の生き残りであり、七王の盾が彼の前に現れたのだと。
さらにアニーは、ガルドラから思わぬ依頼を持ちかけられた。
「アニーさん、申し訳ありませんが、ワルドと一緒に行ってもらえないでしょうか? 私も同行したいのはやまやまなのですが、ここでやるべきことがあるのです」
「えっ、そんな私……大丈夫かしら」
「少なくともワルド1人で送り出すよりは、確実に成功率が上がります」
ワルドと一緒に王都へ赴き、七王の盾の完全解放を手伝えと言うのだ。
しかもそれは、ハイエルフの資質を持つ自分やガルドラにしかできないことだという。
自分とワルドが、ハイエルフの資質を持つと言われた時、アニーは自然にそれを受け入れた。
今までワルドに感じてきた訳もない共感はそのせいだったのだと、普通に納得がいったからだ。
「アニー、俺を手伝ってくれるか? 情けない話だけど、たぶん俺だけじゃできない」
「分かったわ、ワルド。あなただけに背負わせるわけにはいかないもの。だけど、ちゃんと私を守ってね」
だからアニーはその依頼を受け入れた。
自分とワルドにしかできない冒険が、2人を待ち受けているのだ。
人知れず彼女は、心を浮き立たせていた。
しかしアニーにとって思わぬところに、伏兵が現れた。
最後の火王の解放に、火魔法使いのハイエルフが必要になったのだ。
そしてその条件にピタリとはまるハーフエルフの少女、レーネリアが見つかった。
自分とワルドの関係に割り込むような彼女の登場に、アニーの心はざわめいた。
自分たちだけが特別な存在ではなかったのだ。
ひょっとしてレーネは、自分からワルドを奪い去る存在になり得るのではないか?
最初はワルドを殺そうとしたレーネが、あっさりと和解したのを見ると、そんな気持ちさえ湧いてくる。
アニーはそんな心中の葛藤を見せないよう、レーネに接した。
彼女の不幸な身の上を聞かされては、自身の嫉妬心をぶつけることなど、到底できない。
幸い、レーネの協力で七王の盾は解放できた。
つまりレーネも、ワルドがこれから成すべきことに必要な存在なのだと、無理矢理納得したのだ。
その後、平野部での拠点としてナリム村を再建していると、オークの群れが来襲した。
決死の覚悟で防衛に当たったものの、状況は絶望的だった。
そしてそんな状況を覆すため、ワルドは単独でオークリーダーに戦いを挑んでしまう。
幸いにもワルドが有利に戦いを進めていると、突如オークリーダーが吼えた。
「グガアアアアーーーーッ!」
その声に応じて、オークの群れがワルドと七王に殺到する。
七王はよく戦っていたが、やがてワルドがリーダーに隙を突かれてしまう。
リーダーが放ったこん棒がワルドに激突し、彼の体が宙に舞う。
そのまま動かなくなった彼を見て、目の前が真っ暗になった。
しかし次の瞬間、七王の周辺から暴風と雷撃が発生し、猛々しい獣の吼声が響き渡った。
そしてそれまでの苦戦が嘘のように、七王がオークを蹂躙しはじめたのだ。
狂暴なオークどもが、まるで家畜のように逃げ惑う。
やがてオークを完全に駆逐すると、七王も消えてしまう。
ただちにワルドを救いに走れば、ワルドの胸元でアフィが何かをしていた。
アフィの放つ光に、ワルドのケガが治っていくのが見えた。
「アフィ……ワルドは助かるの?」
「何としても助けるわ。だから集中させて」
その言葉に安堵して改めて周囲を見回せば、とんでもない光景が目に入ってきた。
何十匹ものオークの死体が、あちこちに散乱していたのだ。
おそらく千人の軍勢にも匹敵するであろう魔物の群れが、わずかな時間で全滅したことに、改めて戦慄を覚える。
おそらくワルドが危機に陥ったことで、七王が暴走したのだろう。
オークたちは、七王の逆鱗に触れたことになる。
おかげで無事にオークを撃退したものの、ワルドは瀕死の重傷を負った。
いくら他者を守るためとはいえ、無茶がすぎる。
こんなことを彼に2度とさせないよう、自分も強くならねばならない。
そしてワルドを支え、その隣の座を手に入れるのだ。
アニーは心中に、強く誓った。