幕間:レーネリアの居場所
レーネリアはこの世界が嫌いだった。
彼女の母親は旧エウレンディア王国の名家 エルムヘイル家の長女レイチェル。
エルフ根源10氏族家の令嬢であり、容姿に優れたレイチェルの将来は嘱望されていた。
しかし彼女が15歳になって嫁ぎ先を探そうかという矢先、帝国の侵略を受けてしまう。
レイチェルの父親は王都陥落後の戦に参加し、領民を森林地帯へ逃がすための盾となって命を落とした。
そんな混乱の最中、主要な貴族や騎士家のエルフも多くが捕らえられ、奴隷に落とされた。
それはレイチェルも同様で、彼女は帝国でも有数の魔術師に下賜される。
粗暴で陰険なその男は、レイチェルを嬲り、陵辱した。
貴族の令嬢だった彼女にとって辛く過酷な日々が続いたが、やがて彼女は妊娠したことを知る。
てっきり堕胎させられるとばかり思っていたが、魔術師は子供を欲しがった。
単人族の血を引いたハーフエルフの、魔法特性に興味を覚えていたからだ。
おかげでレイチェルは子供を産み、屋敷の中で育てることができた。
その子供がレーネリアであり、母親譲りの美しい娘だった。
しかしなぜか彼女は幼い頃から体が弱く、成長も遅かった。
しばしば体調を崩し、ひどく手の掛かる子供であったが、それでもレイチェルは愛情を込めてレーネリアを育てる。
やがてレーネリアが6歳になると、転機が訪れた。
魔術師が彼女に魔術の教育を始めたのだ。
その教育は親としての愛情ではなく、ハーフエルフにどれぐらい魔術が使えるかという実験、ただの興味でしかなかったが。
この世界で最初の魔法は精霊術であり、これは術師の魔力と引き換えに精霊が魔法を行使する。
精霊が精霊界との経路を開き、そこから元素を取り出して魔法を為すのだ。
熟達すればすばらしい魔法が実現する一方で、精霊との契約が必要なため、術者は限られる。
精霊との交信能力に乏しかったヒュマナスは、やがて自らの魔力で行使する魔術を編み出した。
これは自身で精霊界のパスを開き、元素を引き出して魔法を行使する術だが、引き換えに膨大な魔力を必要とする。
しかし瞬発的な魔力放出に優れるヒュマナスには向いた魔法であり、行使スピードや精度で精霊術を凌駕する場合もあった。
レイチェルを買った魔術師は帝国でも有数の火魔法使いであり、魔法の研究にも余念がなかった。
そんな彼の興味の対象が、ハーフエルフに魔術を使わせたらどうなるか、であった。
自身の膨大な魔力と、エルフの交信能力を組み合わせれば、より強力な魔法使いが創り出せないか。
その実験のために彼はエルフの奴隷を手に入れ、レーネリアを産ませたのだ。
6歳になったレーネリアは読み書きを覚えさせられ、魔術書を読むようになった。
彼女にとって魔術は面白くも何ともないものだったが、生き残るためには勉強をせねばならない。
やがて彼女が簡単な魔術に成功すると、父親が手ずから魔術を教えようになった。
彼はまず簡単な火弾を披露し、それをレーネリアにも使うよう命じる。
彼女は勉強したことを思い出しながら、必死に魔術を行使しようと試みる。
やがて彼女の手から、小さな炎が放たれた。
しかしその結果は拙く、魔術師の期待にそぐうものではなかった。
「ハッ、まったくの期待外れだな。やはりハーフエルフなぞ使い物にならんか?」
その後もしばらく魔術の指導は続いたものの、ほとんど上達する気配のないレーネリアに、とうとう魔術師は愛想を尽かした。
それ以来、レイチェルとレーネリアの待遇は悪化する。
きつい労働を押しつけられ、隙間風の吹く部屋でわずかな食事を分け合う2人。
そんな生活が数年も続くうち、とうとうレイチェルは体を壊し、病の床に臥せってしまう。
レーネリアが必死に看病するも、満足な食事も薬も与えられず、日に日に衰弱していった。
「レーネ、頑張っていれば、きっといいことあるから、くじけちゃダメよ」
「別に……今までいいことなんかなかった。たぶんこれからもいいことなんかないよ!」
「そんなことないわよ。少なくとも私はあなたを産んで、育てることができたんだもの。だからあなたも諦めないで。愛しているわ、レーネ……」
「お母さん、いやだよ、置いてかないで。お母さんがいなくなったら私、どうしたらいいの? お母さん、お母さん!」
レーネリアが12歳の時、レイチェルは死んだ。
やがて彼女たちを疎んでいた魔術師の正妻が、レーネリアを奴隷商に売り飛ばした。
レーネリア、13歳の春である。
正妻の要望により、レーネリアは辺境へ転売された。
そして買い手がつかないまま、彼女はエウレンディアの旧王都へたどり着く。
幸いなことに奴隷商のダリウスは奴隷に優しく、レーネリアは弱った体を癒すことができた。
やがてある日、おかしな客の前に立たされた。
彼らはエルフの男女に、ウルバスの老人だった。
おそらく自分と大して変わらないであろうエルフたちは、奇妙な存在感があった。
その見目の美しさだけではなく、自身の足で立って生きているという自信が、彼らからはあふれている。
自分とはあまりにも違う彼らの存在が、レーネリアにとって眩しかった。
しかしなぜだろう?
初めて会ったというのに、妙に親近感を覚えてしまうのは。
この哀れなハーフエルフに、よく似た存在だと感じるのは、なぜだろうか?
驚いたことに商談はまとまり、レーネリアは彼らの奴隷となる。
とうとう悲惨な奴隷生活の始まりかと思えば、想像以上に大事に扱われる。
あまつさえ、レーネリアには魔法の才能があるとか、ハイエルフがどうとか言いだしたのだ。
この人たちは頭がおかしいのか?
そう思い始めた矢先、エルフの少年がとんでもないことを言いだした。
「そうだな、この際だから言っちまうか。俺の本当の名はワルデバルド・アル・エウレンディア。エウレンディア王家、最後の生き残りだ」
それを聞いた瞬間、頭の中が沸騰した。
そして後先も考えず、火魔法を発動してワルドに掴みかかったのだ。
しかしその命懸けの突撃もかわされ、自身は隷属の首輪に締め上げられる始末。
せめて憎きエウレンディア王家を道連れにして死のうと思っていたのだが、失敗した。
このうえはなぶり殺しにされても文句を言えないところだが、目の前のお人好しは自分を責めなかった。
なので逆に思いきり責めてやった。
無能なエウレンディア王のせいで、母親は死んだのだと。
何十万もの国民が苦しんだのだと。
するとワルドは反論せず、唇を噛みしめていた。
いい気味だ。
そう思っていたら、アニーという女に頬をはたかれた。
「あなたとお母さんが辛い思いをしたのは分かるわ。それはとても、可哀想だとも思う。だけど、なぜワルドを責めるの? ワルドは赤ん坊だったんだし、何より悪いのは帝国じゃない。なのになぜ、ワルドだけを責めるの? おかしいじゃない」
そんなの分かっている。
帝国が一番悪いなんて、当然だ。
だけどエウレンディアの王族も許せないのだ。
死にたいとまで言うレーネリアを、ワルドは責めなかった。
むしろ帝国を討ち倒すまで、自分に協力しろとまで言う。
ああ、なんてお人好しなんだろう。
こんな奴が王国を再興するだなんて、到底無理に決まっている。
でも自分が協力すれば、何かが変わるかもしれない。
ひょっとしたら、自分の居場所も見つかるかもしれない。
しょせん、一度は捨てた命だ。
飽きるまでは、付き合ってやることにしよう。