97.停戦
帝国と停戦交渉をしていたら、15年前の侵略の黒幕がジブレだったことが発覚した。
俺は今にも奴を殺したくなったが、それよりも停戦が先だ。
これ以上ジブレと話していると、殺してしまいそうだったので、隣の男に話を振った。
「さっきから言ってるように、そっちも苦しいんだろ? もうちょっと前向きになれないかな?」
「し、しかしこちらが一方的に要求を呑んだとあれば、我々の立場がありません。何か、譲歩をいただけないでしょうか?」
男は下手に出つつも、譲歩を求めてくる。
ちなみにこの男、帝国の外交官で、リデル・ハインケルと名乗っていた。
しばしの沈黙の後、師匠が譲歩案を提示した。
「そうですね。それでは賠償金については別途交渉とするのと、エウレンディアの主権については見送り、ということにしてはどうでしょうか」
「はぁ? 賠償金については助かりますが、貴国の主権とはどういう意味でしょうか?」
「本来なら領土を確定するのと同時に、我々の主権を認めるのが筋です。しかしそこまでやっては、帝国は完全にエウレンディアに膝を屈したことになります。とりあえず今回はそれを棚上げし、単純に停戦のみ合意した形にしましょう。実態は何も変わりませんが、多少はそちらのメンツも保てるのではないですか?」
「た、たしかに何も無いよりはマシですな……少々お待ちください」
リデルは他の官僚を交え、小声で相談を始めた。
しかし最上位者であるジブレが、断固拒否しているようだ。
仕方ないので、もうひと押しすることにした。
「そういえばこの間、後宮から救い出した女性から聞いた話がある。どこぞの皇帝が、他国から輿入れした姫に、無体な真似をしたって話だ」
「皇帝陛下がそのようなことをしたと?」
「まあ、単なる噂だけどな。たしか、レギウム王国の王女がどうとか言ってたかな」
後宮から救い出したソフィアとリディアは、豚皇帝にいたぶられながら、いくつか話を聞かされていた。
それは主に、どこそこの令嬢にこんな行為をしたとか、どこそこの姫をいたぶったとかいう話だ。
豚野郎からすれば、ペットに自慢話をするようなものだったのだろう。
しかし彼女たちは俺に救い出され、その情報を詳細に教えてくれた。
証拠能力こそ無いものの、その情報は皇帝の権威を大きく貶めるネタの宝庫だ。
そんな話の中に、レギウム王国の第3王女の話があった。
「レギウムの王女と言うと、数年前に帝国に嫁いですぐに亡くなられた、イレーネ姫のことですかな。何があったのです?」
さすがはアーシム、情報通である。
真相は教えてやらないけどな。
「さすがにこの場では言えませんよ。だけど、ジブレには分かるよな?」
この話を出した時から、ジブレの顔色が変わっていた。
表向き、イレーネ姫は病死したことになっているのだが、実は豚野郎の変態プレイでショック死したらしい。
もしもその噂が広まれば、レギウムの国民は怒り狂い、東部の状況が悪化することは確実だ。
またもやリデルがジブレたちと相談し、やがて口を開いた。
「貴国の申し出について、受け入れたいと存じます。ただし皇帝の裁可が必要ですので、正式な回答については後日、ということで」
「それで結構です。ただし、こちらも安易な譲歩はできませんので、死ぬ気で国内の意見をまとめてください」
「本当に殺されかねませんが、なんとかやってみましょう。でなければ帝国が崩壊してしまいます」
どうやらリデル自身は、相当な危機感を持っているようなので、なんとかまとまるかもしれない。
どうしてもダメなら、また砦をぶっ壊すけどな。
その後、ジブレたちは慌ただしく馬車に乗り、帝都へ戻っていった。
東部地域が危機的な今、彼らは夜を徹して移動し、帝国上層部を説得するのだろう。
はたして何日で停戦が成立するか。
そんなことを考えながら見送っていると、アーシムが話しかけてきた。
「ワルデバルド王、イレーネ姫の変死には何があったのですか?」
「ダメですよ、議長。喋ったら秘密じゃなくなる」
「我々は盟友になるのですから、少しぐらいよいではありませんか」
「だ~め~で~す。現役の政治家に話せる内容ではありませんよ。諦めてください」
「おそらく噂の出処は、マルレーンの双玉。今度、会えることを楽しみにしておきましょう」
「おっと、これは口止めが必要ですね」
停戦の糸口が見えたので、そんな軽口を楽しむこともできる。
結局、その日はアーシムたちと夕食を共にし、次の日に王都へ戻った。
それから10日後、ようやく帝国から連絡が届いた。
すぐにでもカラバで停戦協定の調印をしたい、との内容だ。
少しでも早く停戦するため、早馬を飛ばして連絡してきたのだろう。
翌日にカラバへ飛ぶと、すでにリデルが待っていた。
だいぶ無理をしたのか、本来ぽっちゃりとした男が、げっそりとやつれている。
「だいぶ男前になったな、ハインケル卿」
「これはワルデバルド陛下。グリフォンでひとっ飛びとは、うらやましい限りですな。私など普通は5日掛かるところを、強行軍で3日に短縮してきたのですぞ」
「そいつはご苦労さん。ところで俺たちの条件は、受け入れられたのかな?」
「はい、なんとか。最初は揉めましたが、ロードサット卿が強引にねじ伏せました」
「ほう、がんばってくれたんだな。それなら、さっさと調印を済ませよう」
どうやらジブレを脅迫しておいたのが、よかったらしい。
奴を許すことはできないが、もうしばらく生かしておいてもよさそうだ。
その後、俺たちは無事に停戦を約する書類にサインをし、ここに停戦は成立した。
事実上のエウレンディア大勝利だ。
それから場所を変え、リデルも交えて昼食を取る。
「これからエウレンディア王国は、どうされるのですかな?」
「まあ、まずは国内の復興だな」
「やはり自由都市同盟との間で交易を盛んにするので?」
「それもあるけど、北のヴィッタイト王国も巻き込む。了解が取れれば、北にも街道を作る予定だ」
すると聞き耳を立てていたアーシムが、会話に割り込んできた。
「ほほう、ヴィッタイトとも。すでに話は進んでおられるのですか?」
「まだ具体的な話はしてませんが、この後すぐに話をしにいきます。あまり放っておくと、絡んでくると思うんですよね。あそこの王は腰が軽いから」
「クライブ王ですな。陛下はけっこう気に入られていると聞きますが?」
「気に入られてるのかな~。以前、身分を隠して面会したら、剣の立ち合いに付き合わされて、ボコボコにされましたよ」
「それはまた。クライブ王は剛の者として名高いですからな」
「ただの筋肉馬鹿ですよ」
すると大きな笑いが巻き起こった。
1国の王に対して失礼な話だが、場を和ますネタとしては恰好のものだ。
やがて笑いが収まると、リデルがポツリとつぶやいた。
「しかし、エウレンディアがヴィッタイトとも国交を開くとなると、帝国がさらに孤立してしまいますな」
「孤立どころじゃないぞ。エウレンディアはこれから、同盟やヴィッタイトと通商条約を結んで、関税を軽くする予定だからな。するとどうなると思う?」
「物流がエウレンディアに集中しますな。本来、帝国を通るものまでそちらに回ってしまいそうです」
「そうだ。こっちは復興が進む一方で、帝国は徐々に経済が停滞するだろうな」
「それは困りますな。しかし、なぜそのようなことを教えてくれるので?」
リデルが本当に不思議そうに聞き返す。
「お前に期待してるのさ。早い内に味方を増やして、帝国とエウレンディアの間を友好関係に持っていってくれ。俺たちはいつでも扉を開いて待っているからな」
「なるほど。私はそのための駒ですか……はあ、まだまだ楽はできませんな」
「ああ、俺もガルドらにこき使われてるからな。お互い様だ」
「陛下、人聞きの悪いことを言わないでください」
師匠の絶妙の突っ込みに、皆が笑い声を上げた。
ついこの間まで戦争をしていたというのに、ずいぶんと変わったものだ。
しかし現実に戦争は終わったのだから、これからは友好的な関係を築きたいものである。