96.再交渉3
「エルドナ・エウレリアスという名に、心当たりはありませんかな?」
帝国との休戦交渉の場でジブレが、聞きなれない名前を出してきた。
エウレリアスといえば、師匠の家名だが。
「……私の姪に、そのような者がいましたね」
師匠が静かに答えると、ジブレは満足そうに続ける。
「いるのですよ、生存者の中に。つい先ほど存在が確認され、今は帝都に保護されております」
「ほう、そうですか。それはよかった。ぜひ無事に返していただきたいものですね」
「そのことですが、少し困ったことがあるのです。さすがに反乱軍の主要人物に近い者となると、我が国で敵視する者も多くおりまして」
「つまり、彼女が害されるかもしれないと?」
脅迫じみてきた会話にも、師匠は表情を変えない。
「いえいえ、そのようなことがないよう、気配りはしているのですよ。しかしなに分、我が国も混乱しておりまして」
ようやくこちらの弱点をつかんだと思ったのか、ジブレが嫌らしい笑みを浮かべる。
しかし師匠はあくまでも表情を変えず、突き放した。
「そうですか。しかし私の身内だからといって、特別に優遇することもできません。旧エウレンディアの民は等しく我らが同胞であり、その価値に差はありませんからね」
「いやいや、そうは言っても、五体満足に帰れるよう力を尽くすのも、貴殿の義務でしょう。死んでなければよいと考える者も、いるかもしれません」
とうとう人質を傷つけるとまで、示唆してきやがった。
思わず師匠を横目で見ると、彼が怒っているのが分かった。
表向きは平静に見えるが、殺気がだだ漏れだ。
あ~、昔、俺がへました時に、メチャクチャ怒られた記憶がよみがえる。
やべえ、涙が出そう。
しかしそんな緊迫した雰囲気を、師匠はあっさりと断ち切った。
「もうやめましょう、ロードサット卿。これ以上の駆け引きは不毛です。15年前に行方知れずになった親族はもう亡くなったものと、私は考えております。エルドナがいようがいまいが、対応は変わりません。そちらもあまり余裕は無いはずなので、もっと率直に話し合いませんか?」
「余裕が無いとはどういうことかな?」
「先ほども言ったように、貴国は東方でシェンベルク、レギウム、フレイアに攻められ、相当に苦しいはずだ」
「ハッ、だから我が国が動員を掛ければ10万やそこら、すぐに集まると――」
なおも虚勢を張ろうとするジブレに、師匠がかぶせる。
「それは国内が安定していればの話でしょう。我々は全ての砦を、一撃の魔法で粉砕しました。何しろ第4階梯に相当する魔法です。原形を留めている建物はほとんどありませんよ。生き残った兵士や、近隣の住民はこれをどう思うでしょうねえ? 帝国は何か、とんでもないものを敵に回したのではないか?……そう考えて去就を決めかねている領主が、いるのではありませんか?」
うはぁ、師匠の言ってることも、脅迫だよね。
するとジブレがうつむいて、何かつぶやいた。
「……けんだ」
「は、なんと言われましたか?」
「あまりにも危険なのだ、お前らは。はるか遠い地に神速で移動し、それこそ鬼神のような魔法を使う。しかも帝国の精兵であるインペリアルセブンですら、屠ってみせた。そのような存在は、国家間のバランスを著しく損なう。そうは思いませんかな? 皆さん」
脅迫し返されて気落ちしたと思ったら、またまた俺たちの危険性を訴えはじめた。
さすが一筋縄ではいかないおっさんだ。
しかしここに帝国の味方はいない。
それどころか、即座にアーシムから援護射撃が飛んできた。
「しかしロードサット卿。元はといえば、15年前に貴国がエウレンディアを侵略したのが原因でしょう。それは自業自得と言うものではありませんか? たしか当時、宰相を務めていたのは、あなただったと記憶していますが」
「私が侵略を押し進めたとでもおっしゃるのか? とんでもない! 私は血気に走る馬鹿どもの進言を、必死で食い止めようとしたのですぞ」
アーシムの非難に、ジブレが猛然と反論する。
その様は実に真に迫っていて、彼の言い分を認めてしまいそうなほどだ。
しかしここで、アフィが姿を現した。
「そいつ、嘘をついてるわよ、ワルド」
彼女はジブレをにらみつけながら糾弾した。
当然、ジブレも黙ってはいない。
「なんだこの妖精は? 外交交渉の場に、不謹慎ですぞ!」
「なら、紹介しよう。彼女は光王アプサラス。七王の1柱にして、妖精女王だ。エウレンディアの象徴でもある彼女には、会議に同席する資格は十分にあると思うが」
「フェアリークイーンだろうがなんだろうが、すぐに退去させていただきたい」
「そんなに目くじら立てるなよ。それでアフィ、こいつの何が嘘だって?」
すると彼女はフワリと、俺の肩に舞い降り、訴える。
「あいつが同僚を止めたって言ってたことよ。むしろ、裏で糸を引いてたみたいね」
「な、帝国の副宰相に向かって無礼な。アーシム閣下、ただちにこいつをつまみ出してもらいたい」
「フェアリークイーンをつまみ出すなど、とんでもない。それに妖精は、人の嘘を見抜くと言われますしね」
ジブレの要求も、アーシムは肩をすくめながら拒否した。
そして嘘を見抜くと言われたことで、ジブレは警戒を強める。
「ふむ、興味深い話だな。15年前の侵略の黒幕は、お前だったのか?」
「濡れ衣だっ! 妖精のたわ言で私を侮辱するのなら、このまま帰りますぞ!」
「まあまあ、ロードサット卿、このまま帰って困るのは、むしろそちらの方でしょう。軽はずみな行動は慎んだ方がよろしいかと」
「アーシム閣下までそんなことを。こんな怪しげな奴らの肩を持つとは、自由都市同盟のトップとしてふさわしくありませんぞ」
ジブレの猛抗議に、アーシムも1歩も退かない。
「そんなことは貴殿に心配されることではありません。ちなみに貴殿はご存知ないでしょうが、我々はすでにエウレンディア王国との協力を模索しております。たしかにエウレンディアの力は脅威に成り得れど、逆に地域の安定を目指す構想も温めています。今日の話を聞く限りでは、我々はエウレンディアを盟主として、まとまる必要があるように思えますな」
「下等なエルフの国が地域の盟主だと? それは我々、アルデリア帝国でなければならんのだ。断じて認めんぞ!」
アーシムの言葉に、ジブレがキレた。
目を血走らせ、額に青筋を浮かべて怒りを露わにするその姿は、まるで魔界の亡者か幽鬼のようだ。
それを見た師匠が、ポツリとつぶやいた。
「なるほど。それが望みでしたか」
「望みって、何が?」
「自身の手で、帝国を大陸の盟主に押し上げる。それこそが彼の望みだったのでしょう。それには大魔境の門番として尊敬を集めるエウレンディアが、目障りだった。そこで手先を送り込んだり、皇帝を焚き付けたりして、侵略したというところなのでは?」
「デタラメだっ! 何の証拠も無しに使者を貶めるなど、無礼千万。とんでもない国だ、エウレンディアは!」
つばを飛ばしながら、ジブレが否定する。
しかしそんな奴に、アフィがとどめを刺した。
「どうやらガルドラの言ったとおりみたいね。図星を差されて、ずいぶんと動揺してるわよ」
「黙れ、この汚らわしい妖精がっ! 誰が貴様の言うことなぞ、信じるものか!」
なおもあがこうとするジブレに、冷たい視線が集中する。
すでに帝国の官僚ですら、奴の言うことを信じられないだろう。
「ふ~ん、そうか。お前が黒幕だったのか? なら責任は取ってもらわないとな。まずは停戦について合意しようじゃないか」
「だからそれは、お前らが速やかに降伏すれば――」
「いいかげんに黙れよ。ところでガルドラ、こいつの領地ってどの辺だっけ?」
「たしか、帝国でも東方寄りです……そういえば、ちょうど今、レギウム王国の侵攻を受けている地域ですね。大方、自分の領地に火の粉が降りかかりそうなので、こうして自ら交渉に乗り出してきたのでしょう」
「そうか、それならレギウムとはもっと仲良くしようかな。何か手伝えることがあるかもしれない」
「やめてくれ! これ以上何かあれば、本当に領地が危うくなる」
やはり相当な危機感を抱いているらしく、みっともなく騒ぎ出した。
「じゃあ、停戦するよな?」
「馬鹿な。金貨25万枚を払うなどと言えば、儂が殺されてしまう」
「いやいや、そこをなんとかまとめるのが、お前の仕事だろう。それに素直に払っておかないと、困ったことになるぞ」
「……何がだ?」
「このままだとお前の領地にも、戦火がおよぶかもしれないって話だ。しかも帝国側の砦はなぜか突然、崩れてしまうんだ。ドカ~ンってな」
俺が身振り手振りで砦の破壊を臭わせると、師匠も乗ってきた。
「ひょっとしたら、領主の関係者にも悪いことが起こるかもしれませんね。係累がさらわれるとか、館が炎上するとか」
「この帝国副宰相である儂を、脅迫するつもりか! 無礼だぞ」
「無礼だあ? 15年前の侵略の張本人が偉そうに。いいか、お前に選択の余地は無いんだ。停戦するつもりも能力も無いんだったら、今すぐ死ね。身内も後から送ってやる」
俺は本気の殺意を込めて、奴をにらみつけてやった。
その日、俺の中の断罪リストに、奴の名がはっきりと刻みつけられた。