95.再交渉2
帝国との戦を終わらせるべく、再交渉が始まった。
しかし帝国副宰相を相手に、なかなか交渉は噛み合わない。
「もちろん休戦は大前提です。しかしそれを強く求めているのは、帝国の方でしょうに。ひょっとしてロードサット卿は、状況を把握しておられないのですか?」
師匠の嘲弄を含んだ挑発に、ジブレのこめかみがひくついた。
「な、何をおっしゃっているのか、分かりかねますな。私はあくまで貴国との不幸な状況に、終止符を打ちたいとの思いで、この場にいるのですぞ」
「ええ、ええ。もちろんそうでしょうとも。しかし我々は2度にわたり、貴国の大軍を退けました。しかも兵の損耗はわずかです。それに対して貴国は、捕虜も含めると5万もの兵を失っていますね」
「グッ……帝国にとってその程度、大した損失ではないわ」
強がるジブレに、師匠が追い討ちを掛ける。
「ええ、そうでしょうとも。帝国であれば、たとえ50万の動員も夢ではないでしょう。しかしそれは、他国との関係が良好であれば、の話です」
「……なんのことかな」
「ご冗談を。帝国東部で破壊活動があったと言ったのは、そちらではありませんか。東方の守りを失って、ずいぶんと入り込まれているのではありませんか?」
「ふざけるなっ! 貴様らの仕業だろうが!」
とうとうジブレが激怒して、立ち上がった。
奴は顔を真っ赤にして、額には青筋を浮かべている。
しかしその横で帝国側の2人が、サッと顔を伏せて相談を始めた。
師匠の指摘が、あながち的外れでもないからだろう。
「ええ。ちなみに今回、砦の破壊は私と、陛下のお妃候補2人のみで実行しました。おかげで陛下からは、”エウレンディアの3魔星”との呼び名をたまわっています」
「エウレンディアの3魔星……」
その話を聞いていた同盟の出席者が、青い顔をしてつぶやく。
今は味方だが、それが敵に回った場合の被害を想像しているのだろう。
我が国の安全保障のために、その名は広く流布したいところだ。
「フンッ、何を馬鹿なことを。そんなこと、”帝国の7剣”にすらできんわ!」
「ああ、そうそう。そのインペリアルセブンですが、先の戦いで大半が戦死していますね。こちらで確認しているだけでも、ジードレン、ヴェンデル、アルガス、ジュードは確実です。立て直しは大変でしょうねえ」
「なん、だと……貴様らがインペリアルセブンを倒したと言うのか?……あの、人外どもが死んだ?」
師匠の言うとおり、先の戦で4人の遺体を確認した。
さらに俺たちはハムニバルも始末しているので、仮に生き残っていても2人だけ。
帝国の旗頭として活躍していた彼らの死は、その数字以上に大きな痛手のはずだ。
実際にジブレでさえも、口をパクパクさせて、言葉をなくしている。
やがてなんとか気を取り直したジブレが、休憩を提案してきた。
「予想外のことを聞かされ、少々動揺しております。申し訳ないが、しばしの猶予をもらいたい」
「ええ、こちらは構いませんよ」
「それではここで、少し休憩にしましょう。四半刻ほど後にまた集合ということで、よろしいか?」
アーシムの仕切りで休憩に入ると、ジブレたちは早々に部屋を出ていった。
別室で相談でもするんだろう。
俺たちも与えられた部屋へ下がろうとしたら、アーシムが寄ってきた。
「エウレンディア王国は、ずいぶんとお強いようですね? ワルデバルド王」
「これはアーシム議長。しかし、それほどのこともありませんよ。幸いにも我が国が優勢を保っている、程度の話です」
「優勢どころではないでしょう。10万の帝国軍を2度にわたって撃退し、さらには帝国東部に打撃を与えたとか」
ここで声を潜めて聞いてきた。
「王自ら帝都へ乗り込んで、奴隷と財宝を奪還したというのは本当ですか?」
「その辺は、ご想像にお任せしますよ」
あいまいに答えると、アーシムはニヤリと笑って、また声を大きくする。
「東部の戦いではガルドラ殿と、女性2人が活躍されたというのは、本当ですかな?」
「ええ、我が国には優秀な魔法使いが多くいますからね」
「しかし、砦を壊すほどの魔法となると、まるで夢のような話ですな。しかも王の妃候補は、世にも美しい女性と聞く」
「ええ、まあ。俺にはもったいないくらいですね」
「それは実にうらやましい」
俺が謙遜すると、アーシムが大げさにうらやましがってみせた。
しばしそんなやり取りをしていたが、やがてアーシムが表情を引き締める。
「ところでワルデバルド王、貴国はいったいどこまでやるおつもりですかな?」
「賠償金と捕虜の返還さえしてくれれば、そんなには追い詰めませんよ。どうせそんなに余裕はないですから」
アーシムの探るような目に、ニッコリと笑って返す。
すると彼も安心したのか、笑顔を見せた。
「どうやら信じてもよさそうですな。それではかねてからの計画どおり、例の安全保障体制について、進めさせてもらいますぞ」
「ええ、よろしくお願いします」
アーシムが心配しているのは、エウレンディアのやりすぎだ。
あまり帝国を追い詰めすぎると、政情が不安定になって、他国へも影響が出かねない。
それぐらいならほどほどに留めておいて、他国との連携を深めようという話だ。
呼びかけの方は自由都市同盟にお願いするが、エウレンディアが盟主となる可能性は高いだろう。
その後しばし休憩を取ってから、交渉が再開された。
「先ほどはお見苦しいところをお見せして申し訳ない。どうやら我々は、エウレンディア王国の力を大きく見誤っていたようだ。今後は貴国を対等の存在と認め、改めて交渉させていただけますかな」
「もちろんです」
「結構です……それでは休戦の条件は別として、条約が発効すれば現状の支配地以上には侵攻しない。それはよろしいですな?」
「ええ。ただし支配地というのはあいまいなので、15年前と同じ国境で確定させていただきたいですね」
「ふむ……まあ、それはいいでしょう。それでは次に条件です。貴国は捕虜の返還に合わせて、賠償金の支払いを求めていますが、これはあまりに法外と言わざるを得ません」
ジブレは強気の態度で迫るが、師匠はそれを鼻で笑い返す。
「それは心外ですね。これでもずいぶんと割り引いているのですよ。幸いにも新生エウレンディアの人的損害は少ないので、賠償金の算定根拠には含んでいません。15年前の侵略で我が国から失われた人命と捕虜が約5万人になりますので、それに金貨50枚を掛けただけです」
「それでは金貨250万枚にもなるではないか。15年前の犠牲者の数など全く信用できないし、1人当たり金貨50枚という基準もいいかげんすぎますな」
ジブレがテーブルをドンドン叩きながら反論してきた。
それに対し師匠は、不思議そうな顔で答えた。
「そんなことはありません。15年前の敗戦後も、我々はそれなりに人口を把握していたのです。約1万が初期に命を落とし、その後もさらに4万もの命が失われました。1人当たりの金額も、成人奴隷の相場に準じております。これは妥当だと思われませんか? アーシム閣下」
「む……そうですな。たしかに15年前、我が国にも難民が流れ込んできましたが、それなりに統制が取れていました。エウレンディアで人口を把握していても、なんの不思議はないでしょう。それに奴隷の相場も、妥当なものだと思います」
いきなり話を振られたアーシムも、戸惑いながら妥当性を明言してくれた。
それを聞いたジブレが、歯ぎしりしながら反論する。
「戦争による被害を言うなら、我が国も受けている。それこそ5万を超えますぞ!」
「何をおっしゃいますやら。帝国軍は死霊魔術を使うために、兵士を無駄死にさせていたではありませんか。そんな安い命と比べられては、我が国民は浮かばれません。ああ、1万人ほど捕虜がいるので、それは身代金と引き換えに返して差し上げますよ。捕虜の交換にも応じましょう」
またもや師匠に鼻で笑われて、ジブレの歯ぎしりが激しくなる。
そのうち歯がなくなるんじゃないかって、心配になるぐらいだ。
しかし奴は急に息を整えると、猫なで声で話しだした。
「フーーッ……ところで宰相殿。エルドナ・エウレリアスという名に心当たりはありませんかな?」
エウレリアスってことは、師匠の身内か?