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9、息子

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「大吾、大学出た後どうするか決めたの?」

「あ?」


 夕食の席で私が問いかけると、卵焼きをかじりながら息子が顔をあげた。


「うーん……絶賛悩み中。取り敢えず日本で海外事業に力を入れてる会社を何社か受けるつもりだけど、良い商品を扱ってるのにジリ貧みたいな田舎の零細企業を海外に紹介するとかも魅力的だし……」

「取り合えず就職はするのよね?」

「一旦はね」


 大吾は子供の頃から、海外で働きたいと言っていた。


「インターンシップで行ったアメリカの企業はどうだったの?」

「面白かった。日本の企業とはやっぱりマナーとかも違うし……」

「いっそ、バーンと向こうの企業に就職したら?」

「そうも思うけど、日本で働いてからが理想かな? 祖父ちゃんと祖母ちゃんも寂しがるだろ?」

「ま…そうだろうけど……」


 大吾が海外に行ってしまえば、彼にバレるかもという心配をしなくて済む。そう思って安直にも提案してみたが、そう上手くは行かないようだ。


「てか母さんは寂しくないの?」

「別に。元気でいてくれるならそれで充分よ」

「あ、そ」


 勿論寂しくないわけではない。高校の卒業記念にと、バイトをして貯めたお金で大吾が海外に旅行に行きたいと言い出した時は、度肝を抜かれた。初めての一人旅が海外とは、我が息子ながら大胆過ぎる。せめて国内で、と言う私や祖父母を説き伏せて、楽しそうに『行ってきます』と出掛けたのが数年前。それ以来、隙あらば一人で、カバン一つでに海外に出かける。


 父からは『すぐに居なくなるのはお前の血か』と嫌味を言われる。私は一度しか居なくなってない。と言いたいところだが、そのやり方と期間の長さもあって、偉そうに言い返すことはできない。


 男の子なんて、昔と違っていずれ嫁のもんになる、と聞く。母子家庭だったせいか、大吾は早くに大人になってしまった気がする。父親がいないことで、辛い思いをしたこともあった筈なのに、大吾はそれを私に言ったことはない。

 3歳までは沢山の大人に囲まれていたせいで人見知りもしないし、早くから自分の事は自分でやる癖をつけている。それは私がそうさせたと言うよりも、周りを見て彼がそう学んだ結果だ。

 母の看病を機にこちらに帰って来たのだが、可愛い孫の威力は絶大で、瞬く間に母は病気を完治してしまった。おまけに小さなころから大吾は、すぐ口げんかになってしまう父と私との緩衝材にもなってくれている。失踪していた娘がいきなり子連れで帰ってきたことに、大層ご立腹の父だったが、孫の可愛さには勝てなかったと見えてなんとか溜飲を下げた。


 それなりに反抗期もあったし、親子げんかもするけれど、そんな息子の夢位応援してやりたい。寂しいけれど、私の元を巣立つ日もそう遠くはない。息子ロスにならないように、との思いもあって、友人の千奈美との起業に踏み切ったのだ。


「店の方は上手く行ってんの?」

「うん。まあね」


 大吾が大きくなるにつれ、間借りしていた実家では手狭になり、実家近くに母子二人で移り住んだ。いつか耳を揃えて返そう、と手を付けずにいた例の1000万円を頭金にさせてもらった。二度と姿を現さないで欲しいと言われた自分に、お金を返す機会なんてそもそもあるはずがない。いつか返しに行こうと思う心が、本当は未練なのではないかと、そこにしがみついている自分に気付いてしまったせいもある。ありがたく使わせてもらうことにして、中古のマンションを購入。もう少しでローンも完済予定だ。


「手伝う事あったら言えよ。バイト無い時は顔を出そうか?」

「い、いいよ! 大吾も忙しいだろうし……また、お願いしたい時は言うから……」

「わかった」


 ドキッとした。大吾が手伝いに来たりしたら、あの人と会ってしまう可能性がある。勿論、会わせてあげられない事は、大吾には申し訳ないと思う。


『男の子ですよ』とお腹の赤ん坊のことをお医者さんに言われた時、ますます知られてはならないと思ったものだ。芙沙子さんの赤ちゃんが女の子だったりしたら、後継ぎ問題に巻き込まれやしないかと、ドラマのようなことを考えてしまったせいだ。


「変な客とか来ない? 大丈夫?」

「だだだ大丈夫」

「?」


 顔はどちらかと言うと私に似ていると思う。目元も口元も……。鼻は少し彼似だろうか? でも何より、その体形や佇まいが最近になって特に似て来たなと思う。彼が店に入ってきた時も、一瞬大吾かと思ったほどだ。一目見た千奈美に疑われる位、やはり二人は似ているのかも知れない。もう会えないと思ったからこそ、彼から一文字もらってつけた名前は、不用意だったと今にして思う。


「そ……そんなことより、彼女とは上手く行ってんの?」

「え?」

「後輩だっけ? 2年下とかの」


 とっさに話題を変えた。


「ああ、別れた」

「……そうなの?」

「一人で旅行に行くのとかも、無言の圧力掛けてくるし……」

「一緒に行けばいいじゃん」

「……何か、違うんだよな……」

「何が?」

「可愛いとは思うんだけど……何か……」

「あんた、女の子にひどい事したりしてないよね?」

「は?」

「ちゃんと避妊してる?」

「それは……ご心配なく」


 あきれた様に息子が言う。


 何よ。人の事言えた義理かとか思ってんの? 大事なことだから、そう思われることも厭わず言ってるのに。


「あ、そうだった。店長にシフトをメールすんの忘れてた」


 大吾が茶碗をシンクに運びながらつぶやく。


「後で洗うから置いといて」

「良いよ。洗っとくよ」

「ワリ……」


 そう言うと大吾は自分の部屋に消えた。


 バイト先にメールか……ん?


「あ……」


 そうだった。メールして欲しいって言われてたんだった。何か頭が混乱して、すっかり忘れてた。


「あんまり遅くなったら失礼よね」


 食器を洗ったらメールしよう。


 そう思うと、なぜか心が浮き立った。


 花を長持ちさせるコツなんて、他のお客さんからもよく聞かれる質問だ。どうということでもないのに、馬鹿みたいだ。


 心に浮かんだ名前のつけられない感情を洗い流すように、勢いよく水道のコックをひねった。


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