6、嘘
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彼に嘘をついてしまった。
息子の大吾はもう大学4年生だ。なのに大学に入ったところだなんて……。けれど正直な年齢を言って逆算されたら自分の子かも知れないと気付かれる可能性がある。
そして気付いてしまったら、彼の性格上放っておくことができなくなるだろう。芙沙子さんとの間に出来た子供も、おそらく大吾と同じくらいの年のはずだ。更に弟妹が下にいるかも知れない。彼らの幸せのために身を引いたのに、自らその幸せを壊すようなことは絶対にあってはならない。
やはり、姿を消すべきだろうか? 店を放り出して? 開店まで、思った以上に大変だった。まだ軌道に乗っているともいえない。この状況で逃げたら千奈美に殺されかねない。何より多大な迷惑をかける。
それに両親も老いた。一人娘なのだから二度も同じ心労を掛ける訳にはいかない。
同じ嘘をつくなら、夫と二人暮らしだと言えば良かった。そうすれば大吾の年を尋ねられることは無かったのに。
友達……。
このままごまかし続けるなんて、可能だろうか?
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思えば付き合って半年経っても、一年経っても、彼は手を出してこなかった。
せいぜい別れ際に、触れるだけのキスをするだけ。
彼氏のいる友人たちによると、皆付き合って一ヶ月か二ヶ月程で経験済みだと言うので、お子様な私にはまだそんな気はおきないのだと思っていた。
それが卒業を間近に控えた私の18歳の誕生祝いに、彼が旅行に行こうと言い出した。
『それで……その……一緒の部屋を予約して良い?』
『……良いよ』
『布団は別にしてもらうから』
言い切る彼に、お泊りでも手を出してもらえないのだとがっかりした。
旅行先で温泉を楽しみ、食べなれないご馳走に舌鼓を打った後。
ぎこちない挨拶を交わしてそれぞれ、二つ並べて敷いた布団に入った。
ただ隣に彼が眠っていると思うだけで、体の片側が熱くなった。
眠れなくて何度も寝返りを打ち、ため息をつきつつ天井を見詰めていると『起きてる?』と彼が言った。
『あ……うん。なんか……枕が違うから……眠れなくて』
『……そう』
『ごめんね。ごそごそ、うるさかった?』
『いや……俺も眠れなくて……』
『そうなんだ……』
別に私が隣にいるからとかじゃ……無いよね。
『サトちゃん……卒業まで我慢するつもりだったんだけど……やっぱ俺、限界かも……』
隣から申し訳無さそうな声が聞こえた。
『え?』
『そっち行って良い?』
『え? え? え?』
多分真っ赤になってたと思う。だって、心の準備ができてなかった。
『……ダメ?』
月明かりの中、半身を起こした彼が真剣な顔でコチラを見つめていた。
『……』
『ダメだったら……抱き合って寝るだけでも良い』
『い……良いよ……』
布団の片側を上げて、彼を招き入れた。手が震えていたと思う。
『……怖がらないで』
『怖がってなんか……』
ぎゅ、と体を抱き寄せられ、口から心臓が飛び出るかと思った。
彼の体は浴衣越しでもとても熱かった。
『サトちゃん、柔らかい』
耳元を彼の吐息がくすぐった。
『えと……あの……』
どうして良いか分からずにいると、彼の手が頭を撫でた。とても優しく。
『大丈夫。やっぱ卒業まで我慢する』
『え?』
『まだやなんだろ? 言ってる間に卒業なのに、がつがつし過ぎだよな』
『てか……我慢なの?』
『え?』
『今まで……我慢してたの? 私じゃその気にならないんじゃなくて……』
『……その気にならないような相手と付き合うわけ無いじゃん』
『……そ……そうなんだ』
我慢してくれてたんだと知って、やっぱり嬉しかった。
てことは……すすすすすす……するのかな? 今から? いや……卒業まで我慢て言ったよね?
『ね……あの……』
『ん?』
『もしかして……そのつもりで旅行に誘ったの?』
『……軽蔑する?』
『え?』
『いや、卒業するまで我慢しようと思ってたってのは嘘じゃないんだけど……。いや……我慢します。大丈夫』
自分に言い聞かせるように彼は何度も頷いた。
何が大丈夫かは分からなかったが、彼とこんなに密着したことがなかったので、どちらにしても冷静にモノを考えられる状態ではなかった。
『サトちゃん。良い匂い。困る……』
『えと……えと……』
『キスしても良い?』
『い……良いよ』
キスなら何度もしたことがある。きっとどうってことはない。
おずおずと顔を上げると頬を撫でられ、唇を塞がれた。
『……っ……』
え? え? ナニコレ……。
経験したことのない激しいキスに頭の奥がジンと痺れた。
『だい……すけく……』
『聡美……』
呼吸困難に陥りながら彼の名を呼ぶと、くらくらする程色っぽい目で見つめ返された。このまま何もしないで帰ったらきっと後悔すると思った。
『ひ……避妊……してね……』
『……良いの? しても……』
恥ずかしすぎてそれ以上言葉を発することができなかった。ぎゅっと目をつぶって無言で頷いた。
『優しくする』
その言葉通り、彼は優しく、切なくなるほど優しく私を抱いた。
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その一度だけの行為でまさか孕んでしまうとは、未だに驚くばかりだ。
そんなにジッと凝視したわけではないが、彼はちゃんと避妊をしてくれていたと思う。後にも先にも、ましてや彼以外ともそんなことをしたことが無い。だから残された可能性はその避妊具が破れていたか、あるいは行為の最中に破れたか、漏れていたかしかない。
突然の妊娠には大いにうろたえたが、大吾を産んだことは後悔していない。今はさて置き子供の頃は本当に可愛かった。あのまま普通に内定していた会社に就職していたら、退職せざるを得なかったと思う。最悪のパターンとしては、父に反対されて堕胎させられていた可能性だ。そうなっていたら一生悔やんだことだろう。ありがたいことにあの旅館の皆さんのおかげで、私は働きながら子の成長を楽しむことができた。
彼に一人かと尋ねられた時に咄嗟に『二人』と言ってしまったのも、旦那ではなく息子と暮らしてると言ってしまったのも、大吾の存在を否定したくないと言う気持ちからだったのかも知れない。
私は大吾と暮らしてきて、ずっと幸せだったのだから。
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