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この世界のどこかに  作者: 碇 カマス


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55/56

55、世界は二人の為に

+-+-+-+-+


「まあまあまあまあ、本日はようこそ当旅館へお越しくださいました」


 女将は深々と頭を下げると、いたずらっ子の様に顔を半分あげ、満面の笑顔で聡美を見た。


「女将さん……」

「聡美ちゃん」


 笑顔は見る間に泣き顔になり、二人の女性は愛おしむ様に抱き合った。


「女将さん、ここじゃ何だから、奥へ」

「そうね……」


 そう促す仲居頭らしき女性も瞳を潤ませている。


「ご主人様もようこそお越し下さいました」

「お世話になります」



 披露宴を終え、一路北へ向かった。


 彼女の店の事もあるし、俺自身、急なこともあってあまり長期の休みが取れなかった。新婚旅行を先に延ばすことも提案したが「短い旅行で良いから行きたいところがある」と聡美は言った。


この機会に昔勤めていた旅館に挨拶に行きたいと言う。


「こちら露天風呂付きのお部屋になっております。お部屋の露天風呂は24時間ご利用いただけます。大浴場は夜11時までですのでお気を付けくださいましね」

「え……女将さん、普通のお部屋で予約したはず……」

「差額位サービスさせてよ。身内みたいなもんなんだから」

「女将さん……」

「タダで良いって言っても聡美ちゃんの性格じゃ気詰まりでしょ。気持ちだけのサービスよ」


 またもや聡美の目が潤んでいる。


「ありがとうございます」

「いえいえ、新婚ですしご主人様もその方がよろしいでしょ?」


 お礼を言うと、チラリと露天風呂の方に目をやって、意味深に女将が微笑む。


「え? あ、まあ……はあ……」


 二人で湯船につかる想像がよぎり、挙動不審になってしまう。


「ふふ、大きなお世話だとは思いますが、聡美ちゃんをよろしくお願いしますね」

「は、はい、勿論」

「話は彼女から聞きました。てっきり禄でもない二股男だと思ってたから、再会して結婚することになったと聞いた時はまた彼女が騙されてるんじゃないかと気を揉んでたんですが……大丈夫そうですね」

「はい?」

「新婚を冷やかされて顔を真っ赤にされる位ですから、年齢の割に純情な方なんだろうな、と」

「お、女将さんっ」

「ふふふ」


 彼女から聞いた話によると、確か60を過ぎている筈だがとてもそうは見えない。話をしながらも美しい所作でお茶を淹れる女将は、凛とした佇まいとはうらはらに、どこか少女の様な雰囲気の持ち主である。


「お母様はお元気?」

「あ、はい、お陰様で。あれだけお世話になっておきながら、ご無沙汰してしまって申し訳ないです。母からも宜しく伝えて欲しいとのことです」

「何言ってるのよ、マメに手紙をくれるじゃない。送ってくれた大ちゃんの写真はアルバムにしてあって、今でも時々眺めるのよ」


 大ちゃん、と言う呼び名に一瞬自分の事かと反応してしまう。


 そうか、大吾もそう徒名されてたのか。


「それにしても大ちゃんまで結婚とは驚いたわよ」

「ですよね」

「あの小さかった男の子がねえ……。はい、どうぞ。南部茶です」

「ありがとうございます」


 女将の淹れてくれたお茶からはホッとするような香りが漂う。


「今頃ギリシャに向かう飛行機の中で、大好きな彼女とイチャイチャしてると思います」

「あらあら、ごちそうさま。ギリシャかぁ、良いわねえ。聡美ちゃんも折角のハネムーンなんだから、海外に行けば良かったのに」

「いえ、女将さんはもう一人のお母さんだから、結婚を決めた時に絶対に挨拶に行くぞって決めてたんです」

「まあ……」

「旅館の方が忙しいでしょうから、式に来てもらうのは心苦しいし……。また落ち着いたら、大吾夫婦と両親も連れて家族旅行に来ますね」

「楽しみにしてるわ。あ、良かったら次来る時は両方の花嫁写真も持って来てね」

「はい」

「さて、そろそろ二人きりにして差し上げましょうかね」

「え? いえ、積もる話もおありでしょうから、私の事は気になさらないで下さい」


 腰を上げかけた女将にそう言うと


「いえいえご主人様、邪魔者は消えますよ。じゃ、ごゆっくり」

「あ、後で皆さんのとこに挨拶に伺いますから……」


 名残惜しそうに聡美が言う。


「そうね。そうしないと皆が入れ替わり立ち代わりやって来て、新婚さんを邪魔しそうだものね」

「え?」


 ころころと鈴の様な笑い声を上げながら、女将は静々と低頭して部屋を出て行った。


「ご、ごほん。俺のことは気にしないで良いから、旧交を深めてくると良いよ?」

「ありがとう。でも今、一番忙しい時間だから後にするね」


 言われてみれば、あと30分もすれば夕餉の時刻だ。女将も忙しい時間だろうに、自ら案内してくれるとは、本当に聡美を身内の様に思ってくれているのだろう。


「そうだね。じゃ……お風呂でも……」


 一緒に?


 チラと部屋の外に併設している露天風呂に目が行ってしまう。


「そうね」


 あれ? 意外とすんなり受け入れてくれた?


 男物の旅館の浴衣を俺に渡すと、彼女は自分の分の浴衣と着替えを持って立ち上がった。


「行こうか」

「ん? どこに?」

「え? 大浴場だけど?」

「あ……ああ」


 そっちか。


「久しぶりだから、楽しみー」

「従業員も大浴場に入るの?」

「うん。お客様が23時まで入られるから、その後にね」

「へえ」

「景色も良くて気持ち良いの」


 嬉しそうにそう言う妻(!)を見ていると結婚したと言う実感が湧いてくる。。


 昨日の式での白無垢姿も、今日の披露宴でのドレス姿も、眩しいくらいに美しく、愛らしく、聡美とのこれからを考えると幸福のあまり眩暈がした。


 嫁! 妻! 連れ合い! 家内! 女房! 細君! かみさん! ワイフ!


 どれも何て良い響きなんだろう!


 昨日、式を挙げた後、お互いそれぞれの家に帰った。披露宴はまだだったが、式を挙げたのだから本来なら初夜だ。けれど、大吾むすことの最後の夜なので、気を遣ったのだ。一緒にと言ってくれたが、俺が居てはしにくい話もあるだろう。旅行から帰ってきたらそこは大吾と理恵さんの新居となる。息子と二人暮らしてきた部屋で、最後の夜をしみじみと過ごして欲しかった。本当は俺も大吾と、短い期間でも一緒に暮らしてみたかったが『二人のお邪魔虫になるのはゴメンです。それに早く理恵と暮らしたいし』とやんわり断られた。仕方ない。息子との距離は時間をかけて縮めて行こう。


 つまり、今日が本当に本当の、初夜なのだ。


 大丈夫だろうか? 緊張し過ぎて役立たず、なんて事になったりはしないだろうか? 彼女をけがしたくはなかったが、俺も健康な男なので、いけないと思いつつ一人でその……彼女を想像してなんて事は、そりゃあまあ若い頃は、たまに……いや、まあまあ頻繁に……時々? そういう行為に耽ったりもした。近頃はまあ……想像にお任せする。


 女性はどうなのだろう? サトちゃんにもそういう欲求があったり……いや、彼女に限ってそういう事はないか。いや、それは偏見と言うものかも知れない。勿論あったって構わない。一人でも……誰かとでも……。そもそも彼女は俺が結婚していると思っていた訳で……だから、恋人が居たりしたことも恐らくあるのだろう。何しろ求婚されたことがある位だから。


「どうしたの? 暗い顔して」

「え?」

「気分が悪い? 大丈夫?」

「だ、大丈夫」

「休みを取る為に無理して働いたんじゃない?」

「いや、大丈夫」


 そんなのは無理の内に入らない。側近どもから、ニヤニヤして気持ち悪いと言われたぐらいだ。(勿論直接言われた訳じゃない。言わなくても良いのに弦三叔父さんが教えてくれたのだ)


「お風呂、入れそう?」

「大丈夫だってば」


 心配そうに見上げてくる妻が(妻!)可愛いくてこの場で抱きしめたい。


 けれども、生憎大浴場の入り口で、寂しいながらもここで女湯と男湯に別れなければならない。


「じゃ、あんまり長湯はしないでね。倒れると怖いから」

「うん。聡美も」

「だ、大輔くん!?」


 結局抱きしめてしまった。いいよな。旅の恥は何とかって言うじゃないか。


+-+-+-+-+


 風呂から上がって部屋に戻ると、すっかり夕餉の支度が整っていた。何となく奥の和洋室にあるベッドに目が行ってしまう。二つ並んでいるが、やはり一応、両方使ったようにしておいた方が良いのだろうか? と考えて一人ドキドキしてしまう。


 艶めかしい浴衣姿の妻(!)のお酌でビールを飲み、美味しい料理を味わいながら色んな事を話した。


「大吾たちはまだ飛行機だよな?」

「そうね。ドイツ経由で14時間位掛かるって言ってたから」

「長旅だな。ま、二人ならどうであれ楽しいだろ」

「大吾はそうだと思うけど、理恵さんはどうかな?」

「ギリシャに行きたいってのは彼女の希望なんだろ?」

「あ、そうなの?」

「大吾に聞いたらそう言ってたよ」

「へえ」


 彼女はロマンス小説のファンらしく、できればその舞台に行ってみたいと言ったそうだ。アメリカはありがちだし、中東は情勢が心配だしということで何となくギリシャになったらしい。


『そう言うの興味無さそうな顔して、結構可愛いとこあるでしょ?』


「嬉しそうにノロケてたぞ」

「恥ずかしいヤツ」


 まあ、俺も大差ないと弦三叔父さんに突っ込まれたが……。


「そう言えば、会社の人たちには大吾の事はなんて説明してるの? 一緒に披露宴したりして変に思われてない?」

「え? 隠し子だって言ってあるけど?」

「え?」

「役員連中にはだいたい知れ渡ってると思う。ま、大吾の職場にもその内知れるかもね」

「……良いの?」

「何が?」

「その……社長の面子に傷がついたり……」

「たいした面子じゃないから大丈夫。それに、別に突っ込まれて困るようなこともないし」

「そうかも知れないけど……」


 そもそも皆、あまり突っ込んで来ない。俺的には聡美や大吾の事を皆に自慢したいから、どんどん聞いて来て欲しいのだが、変に気を遣われている気がする。親交を深めたいと思ってくれているのか、気後れすることなく尋ねてくれるのは大吾の奥さんとなった理恵さんだけだ。


「ふう、もうお腹いっぱい」

「だな」


 デザートのマスカットババロアを平らげ、食事を終えた。


 部屋の窓からはしつらえた様に大きな満月が見える。


 腹ごなしに浴衣のまま、旅館の近辺を散策した。恥ずかしがる彼女の手を取り、夜道をゆったりとした速度で歩く。懐かしそうに時折あげる彼女の歓声と小川のせせらぎが耳に心地よい。


「じゃ、ちょっと挨拶行って来るね。眠かったら先に寝てて良いからね」

「え?」


 旅館に帰って部屋に戻りかけた俺に聡美はそう言った。


「あ、部屋の露天風呂に入っとくのも良いかも」

「それは、まあ……うん」


 それは二人で入りたいのだが、嫌がられるだろうか?


 時計はもうすぐ午後11時を指す頃だ。そう言えば女将に後て挨拶に行くと言っていたな。すっかり忘れていた。


「い……行ってらっしゃい」


 聡美が居た頃の従業員のほとんどは既に退職か転職しているらしい、それでも夕餉の料理を運んできてくれた仲居さんの中には、親しくしていたメンバーが居たようで「後でね」と小さな声で囁いては出て行った。俺の事は気にせず話して行けば良いのにとも思ったが、忙しい時間だから仕方がないのかも知れない。


 そんなわけで、聡美を見送った俺は一人寂しく部屋に戻り、見るともなしにテレビをつけて、彼女の帰りを待った。


 部屋で一人になって、今更彼女のさっきの言葉が気になる。


『眠かったら先に寝てて良いからね』?


 横になって休んでいて良いということだろうか?


 そのままうっかり寝てしまったら、今夜は?


 20年ぶりに再会する仲間だから、恐らく話も尽きないだろう。二泊する予定だから、今夜は旧友たちに譲るべきだよな。俺と聡美はこれから好きなだけ一緒にいられる。彼女に気を使わせないためにも、遅いようなら先に寝て置くか……。


 テレビを消して歯を磨き、ベッドに入った。俺の腕の中で眠る彼女を思い出してみる。結婚前に互いの家に何度か泊った。気持ちよさそうな安心した寝顔。それも良いけど……。


 うつらうつらとしかけた時、部屋の入り口が開く音がした。静かにふすまが開く。


「遅くなってごめんね」


 問いかけるような囁き声が聞こえる。


 眠ったままにしていたら、彼女はどうするだろう? 俺を起こさないようにもう一つのベッドに入る? そうしたら、トイレに起きたふりをして、一緒のベッドに潜り込もう。


「大輔?」


 少し舌足らずな愛らしい声。


 どうやら酒を勧められたらしい。


 一緒に飲んでいてもほとんど酔う事がない。相当飲まされたのか?


 ギシ……


 俺の眠っているベッドのへりがきしむ。


 上掛けを上げて、そろりと彼女が俺の懐に入って来た。


 彼女自ら俺の所に来てくれたことが嬉しくて、寝ぼけたふりして妻を抱き寄せる。


 腕の中で、小さな笑い声が漏れた。


「起きてる?」

「寝てる」

「ふふ、ゴメンね遅くなって」

「楽しかった?」

「うん。皆変わってなかった」

「お酒、飲んだ?」

「うん……お酒臭い?」

「いや……」


 柔らかな光の中、ゆっくりと瞼を開けて、彼女を見た。


「私の好きな日本酒を用意してくれてて、一升瓶が瞬く間に何本も……いや、私一人で飲んだんじゃないんだけど……歯を磨いてくるね……あ!」


 体を起こしかけた聡美を捕まえてベッドに組み敷いた。


「大輔……」


 唇を合わせると、小さく震える。


「後で、一緒にお風呂に入ろう」

「え?」

「折角24時間入れるんだし」

「だ、ダメダメ」

「どうして?」

「だ……ダメ」


 まあそれは、コトが終わった後になし崩し的にそう持って行こう。


 お互い汗をかいて、ま、きっと、俺の新妻もそうしたいと思うだろうし?


 脱がせた浴衣を着る前にさっぱりとしたいだろうし?


「大輔くん?」


 妻の瞳を見詰めているとこれまでの事が思い出される。


「長かった」

「え?」

「でも、あっという間だった」


 不思議そうに見上げてくる彼女の柔らかい髪を撫で、最後まで取っておいた好物を味わうように、何度も唇を合わせた。


「ん……だめ……お酒臭い…で…しょ……」

「大丈夫」


 このまま君に酔って溺れたい。



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