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この世界のどこかに  作者: 碇 カマス


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54、幾久しく

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「謹んで神の大前おおまえに申し上げます」


 新郎の少し緊張した声が、けれど朗々と儀式殿に響く。


「今日の佳き日に婚儀を挙げ、堅く夫婦の契りを結びえたことを深く悦び、今より後は千代に変わらじと、互いに愛しみ、敬い、円満に励み努めてご神徳に応えますことをここに誓います。願わくば永遠とこしえに導き給え。何卒幾久しいご守護をお願い申し上げます。平成〇年〇月〇日、夫、神崎大輔」

「妻、聡美」


 白無垢に綿帽子。我が娘の晴れ姿をこんな荘厳な雰囲気の中で愛でることが出来ようとは、思ってもいなかった。自然と涙がにじんでくる。


 高校を出たての娘が何の前触れもなく姿を消し、慟哭の日々を味わった。数カ月してこの子の声を聞いた時には、安心のあまり電話口でしゃがみ込んでしまった。


『どこに居るの? 大丈夫なの?』

『ごめんねお母さん。心配かけて。実は……』


 妊娠していると聞いた時には耳鳴りがした。その場に倒れなかったのが不思議な位だ。


『……神崎さんの子なの?』

『ち、違うの……えと……違うから姿を消したの……。ごめんなさい』

『聡美が居なくなってから、何度も神崎さんが見えて、消息が分かったら絶対に連絡して欲しいって……』

『……そう……』

『どうしてそんな事……どうして神崎さん以外の人の子を妊娠するような事をしたの?』

『ごめんね……ホントに……ごめんね』

『父親は誰なの?』

『それは……言えない。ごめん、お母さん……』

『どうするつもりなの?』


 誰が父親かを親にも言えないような赤子を聡美は頑なに『産みたい』と言い張った。もしや相手は既婚者なのではないかと気を揉んだ。十代の小娘が、一人で子供を産み育てるなんて無理だと思った。


『どちらにしても帰ってきなさい』

『帰れない。大輔くんにも私の事は黙っておいて。お父さんにも……ごめん』


 そうは言われたが、夫の寛治には聡美から連絡があり、無事だと言う事を伝えた。気丈に仕事には出かけるが、心労からかずっと食欲もない。少しでも安心させたくてのことだったが、口止めされている手前所在は分からないと嘘をつく他なく、夫も半信半疑な様子だった。


 本当の事を知ったなら、聡美のお世話になっている旅館に怒鳴り込んで、無理やりにでも連れて帰ったに違いない。理由は分からないが、帰れないと言う聡美を追い詰めたら、二度と連絡を寄越さなくなる気がして怖かった。


 遠縁の叔母の看病だと夫に嘘をついて、聡美の出産に立ち会った。


 予定日の三日前に生まれたその男の子は、とても元気な声で泣いた。


 母となったばかりの聡美の胸に乗せられると、条件反射の様にその乳を夢中で吸った。若い片親の元で、これからこの子はどんな人生を送って行くのだろう? そんな懸念もその時ばかりは忘れて、溢れる生命力に感動するばかりだった。



「御母堂様?」


 巫女さんの声にはっと我に返る。いけない式の途中だった。


 親族固めの盃は私の番だった。


 慌てて立ち上がり、朱塗りの盃をそっと持ち上げると、お神酒が恭しく注がれる。


 あの時抱き上げた小さな赤子は立派な青年となって私の隣に座っている。そして明日、更にその隣に座っている友田理恵さんと、この儀式殿で式を挙げる。


 一緒に挙げたいと、最初は言っていたが、事情を聞いた婚礼コーディネーターから、まずはご両親を先にされた方が良いのでは、と提案された。


『神様の前で、正式なご夫婦になられてから、ご子息の式に臨まれた方が、よろしいかと。ご親族様には連日のお出ましでご足労をお掛けしますが、遠方のご親戚の方にはご子息様の式を終えられた後の披露宴にだけ出席をお願いすれば、負担は最小限に抑えられると思います』


 真津子さんの知り合いの神社と言う事もあってか、二組の式を連日挙げるとしてもそう高額ではないらしい。挙式の参列者は、新郎側に真津子さんと媒酌人を買って出て下さった駒沢ご夫婦(ご主人は真津子さんの従弟で、大輔さんの会社の専務さんらしい)。新婦側に私たち夫婦と大吾と理恵さん。少人数だが、儀式殿はそう広くないので、思ったよりも気にならない。


 披露宴は近くのホテルを押さえている。明日の為か、理恵さんはとても熱心に式の様子を観察している。


 二組一緒になんて、そもそも神様もビックリするわよね。


 何より「その方がぴちぴちの理恵さんと比べられずに済む」と聡美が言った。ま、どちらにしても披露宴では一緒に高砂の席に並ぶのだけれど……。何にしても、披露宴を一緒にすることを理恵さんのご両親が快く許してくれて良かった。お嬢さんの晴れの舞台にもう一組カップルがいるなんて、友田家的には理解できないのではないかと心配していたのだ。


 それにしても、土曜日に娘が結婚して、日曜日に孫が結婚。なんと慌ただしい事か。


『俺、大江の姓のままでいいかな』


 例の結納の日、大吾がそう言った。


『神崎の姓は……いやか?』


 残念そうな大輔さんに大吾は『嫌じゃないけど、ずっと大江で生きて来たから』と言った。


 ところが


『何馬鹿な事言ってるんだ。実の父親が見つかったんだから、つべこべ言わずに新しい名前にすれば良いんだ』

『祖父ちゃん……』

『名前が変わったってお前は俺の孫だ。変な気を回すんじゃない』


 その言葉に、それまで我慢していたのか聡美が声を上げて泣き出した。


『サトちゃん……』

『お父さん……おかあさ……私……ごめ……勝手ばかりして、困った娘を……今まで……本当に……』


 申し訳なさそうに聡美の背中をさする真津子さんを見て、仏頂面のまま夫は言った。


『神崎聡美と神崎大吾か、悪くない』

『お義父さん……』

『飲め飲め。湿っぽいのは苦手だ』

『いただきます!』

『か、会社での通称は大江のままにするからな!』


 涙目の大吾が意地を張る様にそう言った。


『そうだな、父親に恥をかかさない為にも、一人前になるまではそうしとけ』


 照れ隠しの様にそう言った夫に、年甲斐もなく惚れ直した夜だった。



 親族固めの盃の後、新郎新婦による玉串奉奠たまぐしほうてんを終え、儀式殿を後にした。居を移して記念撮影が始まる。


 真津子さんが持参したご主人の遺影を見て、ああやっぱり血は争えないなと思った。大吾にどこか似ている。息子の大輔さんよりも似ている位だ。


「皆様、お揃いでしょうか? この度はおめでとうございます。美男美女の記念のお写真を撮らせていただく機会に恵まれまして、誠に光栄でございます」


 調子の良いカメラマンがそう言うと「口が上手いわね」と聡美が小さな声で言った。


「俺はさて置き、俺の新婦は世界一綺麗だけどね」


 新郎のその言葉に、夫の寛治が二度三度と咳払いをした。


「大輔、そういうことは二人だけの時にしなさい。これから写真を撮ってもらうのに、お化粧の上からでも分かるくらい、聡美さんが真っ赤になってるじゃないの」


 真津子さんのツッコミに皆がどっと笑った。


「天然の紅ですね。本当に美しいですよ。では3・2・1で写しますよ。皆さん笑顔でお願いします。後に残るものですからね。新婦のお父様、気持ちは分かりますが笑顔で。はい3・2・1!」



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