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この世界のどこかに  作者: 碇 カマス


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53/56

53、親の思い

+-+-+-+-+


 待て待て、何を言い出す?


「母さ……」

「大輔、お前みたいな下らない男に大切な聡美さんはやれないと、お父様はおっしゃってるんでしょ? そもそもお前は大事なお嬢さんをあろうことか妊娠させ、その一生を狂わせた悪魔のような男です。こちらの敷居を跨ぐことも業腹な筈なのに、まあ、お母様ったらお茶までお出しいただいて……阿弥陀如来のようなお方」


 拝むな、拝むな!


「あの……初めまして、聡美の母の京子と申します……」


 お義母さんも何事かと慄いてるじゃないか! どういうつもりだ!?


 大吾に目で尋ねるも、仏像の様に半眼になってあらぬ方を見ている。


「京子さん、聡美さんと共に大吾くんをお育て下さったそうですね。最近では珍しい立派な青年で、感心しきりでございます。ご苦労も多かったでしょうに、何のお力添えもできずに心苦しい限りです」

「いえ……そもそもそちらのあずかり知らぬことだったと聞いておりますし……」

「我が家が大江家にとりまして、また聡美さんにとりまして信頼するに値する家であったなら、恐らくご連絡をいただけたことでしょう。ところがまなこの曇った姑と、孫の父親にするには不安要素満載のこの男が相手ではそれも叶わなかったことと存じます」

「いえ……神崎さん、内の聡美がええと……芙沙子さんでしたっけ? その方の言葉を鵜呑みにして良く確かめもせず……。私も真実を聡美から聞いた時には本当に驚いて……」

「いいえ、聡美さんは他人の幸せのために身を引いた。なかなかできる事ではありません。そんなことも知らずにウチの息子は落ち込むばかりで大学は留年、挙げ句は親を捨てて遁走。そんなろくでなしの鼻持ちならない顔、不愉快極まりないとお察し申し上げます」


 確かに留年も親を捨てたのも本当だが、それ今言うべき事か?


「……神崎さん」

「はい」


 やっと落ち着きを取り戻したのか、静止画の様に固まっていたお義父さんが口を開いた。


「つまりアンタは二人の結婚に反対だと言うことだな」

「お父様、私に反対する権利などありましょうか。元はと言えば、私が息子の言葉を信じずに聡美さんと会おうとしなかったことが事の発端です。そのことだけでも謝罪さしあげたくて、自分勝手ながらこの阿呆面を晒しに参った次第です。本当に申し訳ありませんでした」


 言いながら畳につかんばかりに頭を下げる。


 あの気位の高い母が、これほど誰かにへりくだるのを、俺は見たことがない。この年になって、ふがいない息子のせいで、本当は苦手な筈の恥をかきに来てくれたということか……。


「神崎さん、どうか顔を上げて下さい。過ぎたことです」


 お義母さんが慌ててそう言ったが、母は畳みに手をついたまま、はきはきと言葉を続けた。


「京子さん、お父様。私の生きている内に、二人の幸せな瞬間を見られないことは当然の罰だと思っています。ですが私も、したからには神崎の人間です。御覧の通り、諦めの悪い事にかけては他に引けを取らない家系でございます。私が死んだ後で結構です。なるべく早めにこの世とおさらばいたしますので、いつか、いつかこの結婚を許してやっては」

「もう良い」


 シーン。


 苦虫を噛み潰したような顔で、すっかり温ぬるくなってしまったお茶をお義父さんは飲み干した。


「良い、というのはどういった……」

「アンタが死んだら化けて出そうだ。そもそも俺より長生きしそうだがな。京子も大吾も二人の結婚を望んでる。所詮俺など多勢に無勢だ……。そんなにしたきゃ……結婚でも何でもしちまえ!」

「お父さん……」

「祖父ちゃん……」


 ふてくされた様に腕を組むお義父さんを見て、その場にいた全員が射抜かれた動きを止めた。


 隣りに居る俺は気付いた。頭を下げたままの母がニヤリと口角を上げたことに。


「お義父さん、本当に私と聡美さんとの結婚を許して下さるんですか?」

「何だ? 文句があるのか?」

「とんでもない! ありがとうございます」

「ありがとうございます」


 親子揃って平伏した。


「まあまあまあ……もう本当に顔を上げて下さい」


 ありがたくて、何時まででも頭を下げていたかったが、京子さんの手前顔を上げた。


「大吾くん」


 母さんが目配せすると、大吾が脇に置いていた風呂敷包みを手渡した。


「?」

「略式で失礼かとも思ったんですが、善は急げと言いますので、どうぞお納めください」

「はい?」


 ええええ!?


 皆の目の前で母さんが風呂敷包みを解くと、白木の台の上に『小袖料』と書かれた祝儀袋が載っている。他にも目にしたことのないきらびやかな祝儀袋が並び、中央に小さな箱が載っている。


「母さん?」

「神崎さん……もしかして……結納? ですか?」


 京子さんの言葉に母さんがゆっくりと頷くと、お義父さんが一瞬眉を上げた。


 その反応に気付いて居るクセに、芝居がかった腰の低さで済まなさそうに


「京子さん、ご主人の気が変わらないうちに、式の日取りを決めたいのですが宜しいですか?」

 

 と言い放つ。


「しわくちゃババアに免じてこうおっしゃって下さったのでしょうが、私どもが帰った後にまた怒りが再燃しないとも限りませんし……」

「男に二言は無い!」


 ヤケだ。確実にヤケになっている。


「まあ、男らしい。流石聡美さんのお父様だわ」

「内はもう……何時でも……」

「お忙しいとは存じますが、来月の中頃はいかがです?」

「そんなに早く? 今から式場の予約なんて……」

「知り合いに神主がおりまして。神前結婚でいかがですか?」


 お義父さんの口元がピクリピクリと二度ひきつった。最初はなからそのつもりで来やがったな、と言いたげだが飲み込んだようだ。男に二言はないと言ったばかりだ。いまいましげに真津子ははを一瞥して顔を逸らした。



+-+-+-+-+


「まだ、いるかなあ……」


 今日も大輔くんが実家に顔を出している筈だ。メールが入っていないところを見ると、まだ説教が続いているのかも知れない。


 結婚するにはまだ心の準備ができていない。


 真津子さんがすんなり認めてくれた時には、逆にそんな風に慌ててしまった私だが……。父、寛治に好き放題言われてもジッと耐えている彼を見ていると、正直辛い。彼に非はないのに、彼ばかりを責める父が最近では憎らしくさえ感じる。


 昔気質の父親なので、真実を聞いて驚きはしても、大吾の父親が彼なら渋々でも結婚を許してくれると思っていた。実際、彼が挨拶に来る前に事の次第を告白した時には、腕を組みながらじっと小さく頷いていた。まさか、当日彼を怒鳴りつけ、挙げ句に殴って玄関から放り出すとは……。


「罰が当たったのかなあ……」


 まっすぐに気持ちをぶつけてくれる彼に戸惑うばかりの自分だった。


 いっそ私を殴ってくれれば良かったのに。


『毎週通っても成果が得られないとなると、流石の神崎さんも聡美との結婚を考えちゃうんじゃない?』


 冗談交じりに千奈美にそう言われて、単純ながら不安になった。


 そんないい加減な人じゃないと思いつつも、自分にそれ程の魅力があるわけでなし、と気弱になる。


『そんなに結婚したいなら、他の男を探してやる』


 大輔くんを殴ったことを謝って欲しいと言う私に、父は言った。


 言い返そうと口を開いたが、父の疲れたような表情を見て口をつぐんだ。


 年老いた。身を粉にして働いて借金を返し、勝手をした娘をなんだかんだ言いながら受け入れてくれた。頑固だが愛情深いこの父が子供の頃から大好きだった。父と大輔。どちらも大切だから辛い。


 大吾と理恵さんも私たちを気遣って、結婚の予定を決めかねている。一緒にするにしても別にするにしても、大吾の父として出席したいと大輔くんも考えている。


 大輔くんはダメだと言ったけど、やっぱり母さんや大吾から説得してもらおう。特に孫の大吾からの援護射撃は効果があると思う。


 仕事終わりの疲れた体を引きずって、実家の敷居を跨いだ。


「ただい……ま」

「おう、帰ったか!」

「聡美さん、お帰りなさい」

「……お義母さま!」


 ちゃぶ台を囲んで、真津子さんが父の寛治にお酌をしていた。


「え? え?」


 何故ここにお義母さまが?


 大輔くんと大吾も、一緒に卓を囲んでいる。


「お帰り聡美」


 台所から小鉢になにやら盛って母が出てきた。


「お母さんどうなって……」

「お仕事ご苦労様。さ、座って」

「え……え……?」

「聡美、ここに座れ」


 お父さんが自分の隣をバシバシと分厚い手でたたく。


 戸惑いながらも父の隣に座ると、大輔くんが居住まいを正して私の方を向く。


「大江聡美さん」

「はい……」

「この度は……」

「ああ、まだるっこしいのは無しだ。もう酒も入ってるんだから、ちゃちゃっとな」


 父さん? 何をちゃちゃっと?


「はい……。えと……お義父さんのお許しが出た」

「え?」

「聡美さん、結婚してください」

「……、……、はい?」


 許しが出た? 


 思わず父を凝視するも目を合わせてくれない。


「大輔、指輪を渡しなさいよ」

「え? あ、今日は持って来てない。間抜けだな……」

「何言ってるの。そこに入ってるわよ」

「え?」


 お義母さんが示した方向を見やると、部屋の隅の方になにやらきらびやかな物体の数々が見える。


「神崎のお義母様がお持ち下さったのよ。結納」

「え?」


 母がコッソリと教えてくれる。


 彼が立ち上がって、その山の中から小さな白い箱を手に取った。私の向かいに戻って座ると、その箱を開いて「サイズ、合ってる?」とお義母様に尋ねる。


「合ってると思うわよ。私、大蔵さんと結婚する前、宝飾店に勤めてたから」

「そ……うなのか」

「聡美さん、勝手をしてごめんなさいね。大輔の選んだ指輪が良かっただろうけど……実は私、嫁に指輪を送るのが夢だったの」

「お義母さま……」

「早く嵌めなさいよ」

「え? あ、うん……」


 彼が箱から取り出したダイヤの指輪の価値は分からないけれど、キラキラととても綺麗だった。


「気に入らなかったら、大輔にもっと良いの買ってもらいなさい」

「いえ……気に入りました。ありがとうございます」


 私の薬指にぴたりと嵌ったその指輪は、水仕事で荒れた手を明るく照らした。


「お父さん、見て」


 父の前にかざすと、困ったように笑った。


「綺麗だな」

「うん。……本当に良いの?」

「何だ、嫁に行きたく無くなったのか?」

「……」

「金持ちの家に嫁いだら、苦労するのは目に見えてる。そう思ってたけどな。このお姑さんなら大丈夫だろ。ま、よろしく頼みます」

「こちらこそ」


 深々と頭を下げ合う両親とお義母さまに続いて、私と大輔くんも頭を下げた。


 イキナリの展開に戸惑いはしたが、ホッとしたような母の顔に実感が湧いてきた。


 私は彼の奥さんになるのだ。


 久しぶりに見る、彼の心からの笑顔にドキドキしていると


「ああー、やっと理恵と結婚できる」


 私たちの一人息子が、心底安心したようにそう言った。


 

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