51、磯のあわびの片思い
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エレベーターに乗る前に振り向くと、まだ会場に残っている弘樹と目が合った。
そう言えば、今日はあまり話が出来なかったな。
『ニヤけんな』と耳打ちしながらビールを注いでくれただけだ。
『あら、弘樹。元気にしてた?』
『うん。真津子伯母さんは?』
『寄る年波には勝てないわよ』
『そう? こないだ会った時より随分元気そうじゃん。そう言えば、さっき伯母さんたちが騒いでたけど、大ちゃんが彼女連れて来てるって……』
白々しくも、そう言いながら俺の隣へと目をやる。
『あれ?』
『何だよ』
『大ちゃんの彼女って……彼女?』
『そうだけど?』
知ってるだろ。
『お花屋さん……ですよね』
『あ!』
サトちゃんも流石に気付いたらしい。
『あ? ああ! す、すいません。こ、ここ、こんな所でお会いするとは思わず……いつもご利用ありがとうございます!』
彼女が慌てて立ち上がり頭を下げると、弘樹は柔らかく笑って俺をチラと見た。
何だよ。
『そうか、あなたが……』
『はい。すみません』
サトちゃん。なぜ謝る。
『弘樹、あなた聡美さんと面識があるの?』
『俺が時々行くお花屋さんの人なんだ』
『まあ、そう。それは奇遇ね』
『だろ?』
だろ、って……。
『新郎の弟の弘樹と言います。大ちゃんの彼女のお店とは知らずに失礼しました』
『いえ……こちらこそ……。そうですか……智樹さんの弟さん……。大輔くんの従弟さんてことですよね。本当に奇遇ですね。あ、大江聡美と申します。宜しくお願いします』
『聡美さん。また、伺いますね』
『ありがとうございます!』
随分と今日はお行儀が良いな。サトちゃん達の店に行ったのは偶然てことで済ますつもりか。てっきり、何もかもぶちまけて、盛大に冷やかしに来ると思ってたのに。
まあ、良い。どうせまた家に遊びに来るだろう。あまり頻繁だと困るが……。
会場から弘樹が手を振る。
どうでも良いが兄貴の結婚式に猫の柄のネクタイは無いんじゃないか? それ俺が買ってやったやつだろ。ま、似合ってるけどさ。
軽く手を挙げてそれに応え、サトちゃんの手を引いてエレベーターに乗り込んだ。
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奥手だから、未だに童貞なんじゃないかとどっかで思っていたが、やることはやっていたらしい。
息子まで居たのかよ! 嬉しそうに連れてきやがって。俺好みじゃねえかよ! 腹いせに息子に粉かけてやろうかと思ったが、もうお手付きらしい。えらい美人の彼女を連れてる。
智樹兄いから事の顛末を聞いてひっくり返った。
いや、もうね。とっくに諦めてはいたけどさ、眼前にすると破壊力が凄いわ。
あの一団と帰りが一緒とかムリだ。貼り付けた笑顔ももう剥がれ落ちそう。
俺と同じように、まだ席を立ちたくない御仁が一名、テーブルでハンカチを目に押し当てている。ホールのスタッフも、彼女を気遣って申し訳なさそうに撤収作業に入っている。
「大丈夫? 随分泣いてたみたいだけど……」
「……大丈夫です」
「氷持ってきてもらおうか? 」
「……お気遣いなく」
式の間中新郎を睨みつけ、新婦が二度目のお色直しに立ち上がった辺りからさめざめと泣き始めた、白いロリータドレスの女性。
おいおい、智樹兄い、女性関係はちゃんと清算しとけよ。みっともない。春ちゃんだって気分が悪いだろ。一生に一度の晴れ舞台、夫の昔の女が白いドレスで乗り込んできて泣き出すなんて……。皆、気になりつつも見て見ぬふりを決め込むしかなかった。けど、確実に思われてる。女にだらしない新郎だと。そもそも、そういう恐れのある女を披露宴に呼ぶなよ。ま、兄貴に常識を説いてもしょうがないかも知れないけど。
ん? いや、待てよ。
大柄な女性だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。顔は良く見えていなかったが、話しかけてみて分かった。
「俺、新郎の駒沢智樹の弟の弘樹です」
「……そうですか。私の事はお気になさらず、お帰り下さい」
「俺も今帰りたくないんだよね」
「はい?」
「兄貴の事は諦めて、俺とかどう?」
「は?」
「あんな禄でもない男早く忘れた方が良いよ」
「禄でもない……んですか?」
「だって、今まで女をとっかえひっかえ……」
「殴ってやる!」
いきなり立ち上がって拳を握りしめた彼女は、凄い勢いで披露宴会場から出て行った。
「待って待ってっ」
こんな目出度い日に流血沙汰はマズイ。
すんでのところでロリータドレスの彼女をとっつかまえ、口元を塞いだまま、未だ、新郎新婦と楽しく談笑中の親戚たちの後ろを通り過ぎた。
「ふがふが!」
「落ち着いて。兎に角落ち着こう」
エレベーターホール横の待合室に無理やり連れ込んだ。
「暴力じゃ何も解決しない」
「知るか!」
「殴ってやる価値もないよ、あんな男!」
「だったら尚の事、そんな男にハルはやれない!」
「え?」
春?
「私はハルの友だちなの、ハルを傷つけるような男のところに嫁になんてやれない!」
「ん? 春ちゃんの?」
「放して!」
「ちょっと落ち着こうか。あれ? 春ちゃんの友人なの?」
「そうよ」
「それは尚の事辛いね。友人の旦那に片思い」
「……は? 誰が?」
「……君が」
「あんな熊男、好きなわけ無いでしょ! 私が好きなのはハルよ! ずっと、ずっと昔から……ハルの事だけを見て……」
また、さめざめと泣きだした。
「ええと……つまり……その……女装をしているけれど、異性愛者だってことか。そうか、それは失礼」
「違うわよ。性同一性障害のレズビアンよ」
「あ、そっち? ごめんごめん」
ロリータドレスは趣味なのだろうか? ガタイが良いので、もっと別の服装の方が似合うと思うが。
取り敢えず。椅子に座らせて、誤解を与えてしまった事を誤った。
「ええと……さっき、兄貴の事を禄でもないと言ったのは、君が兄貴への思いを断ち切れないんだと勘違いしたからであって……ええと、ま、禄でもなかった。に訂正させてもらおうかな。過去形ね。あくまで過去形。春ちゃんとの結婚が決まってから、他の女には見向きもしなくなったし、そりゃあもう一途に春ちゃんの事を思ってる。結婚なんて絶対したくない。誰か一人に束縛されるなんて真っ平ゴメン。て言ってた兄貴が春ちゃんと出会った途端に『ビバ一夫一婦制!』って叫びつつ帰って来たんだから。俺が春ちゃんと親しく話してたらすげー目で睨んでくるし……。今まで兄貴が嫉妬してる姿なんて見たことも聞いたこともないんだぜ? 何なら、自分の付き合ってる彼女を友人に取られてもどこ吹く風。だからさ、春ちゃんを悲しませるようなことは、しないよ。兄貴は」
言葉を尽くして説明したつもりだが、彼女の涙は止まらなかった。
「あの……」
「……分かってるわよ。披露宴の時に二人の様子を見てたんだから……。ハルが人目を気にせず大喰らいをやめないのを、愛おしそうにあの熊男……」
そうだった。自分の分の料理まで春ちゃんの前に差し出して、じっと花嫁を見詰めていた。
結婚前の両家での食事会の時も驚いたが、細身の体に似つかわしくない食欲。いっそ気持ちいい程の食いっぷりに、暫く見とれてしまった。
披露宴ということもあって、いくらか口を小さめに開けていた気もするが、飲み込んでいるんじゃないかと心配になる様なそのスピードは変わらなかった。
兄貴が時々、愛し気にナプキンで口元を拭いてやる様子が見てられなくて目を逸らすと、大ちゃん達のテーブルが目に入る。こっちもこっちでイチャつくカップルが二組。ゲンナリして目を高砂の席に戻すと時子叔母さんと目が合った。憐れむようなその視線。やめてくれ、余計傷つく。
「……好きな相手の幸せを願う事ができたなら、それが本当の愛だとかさ……そんな境地には簡単にはなれないよな」
「う……ハル……」
大ちゃん。だからこそ、幸せになってくれなきゃ。
春ちゃんも、あんな兄貴だけど、よろしく頼む。
「どっか飲みに行こうぜ」
「……はい?」
「俺、大柄なヒト好きなんだよね」
「大柄言うな。これからスレンダー美人に改造予定なんだから」
「そうなの? そのままで良いのに」
「アンタ……ゲイ?」
「バイ」
「私の話……聞いてた? 私好みのかわいこちゃんならさて置き、なんでアンタなんかと……」
「好きなものは好きなんだからしょうがない。男だから嫌い? 女だから好き?」
俺は大ちゃんがどっちだって構わなかった。
「そんなこと言われても、性癖なんだから……」
「ゲイと付き合うノーマルだっているんだからさ、バイセクシャルと付き合うレズビアンが居たって良いだろ?」
「ないわ。まず、アンタが好みじゃないわ」
「冷たい事言うなよ。失恋したもの同志、仲良くしようぜ」
「……え!?」
やっと泣き止んだかと思うと、彼女は驚愕の表情で俺を見た。
「何?」
「……それは……辛いね」
「は?」
失恋が辛いのは当然だろ?
「そか……分かった。飲みに行く位付き合ったげる。行こう!」
何が分かったのか、彼女は俺の腕を掴んで立ち上がった。
「そう言えば、君名前は?」
「阿刀田武志」
「よろしくタケシ」
「ノーマルの実の兄貴に恋とか何重苦だよ……」
「はい?」
飲みに行った先で、タケシが俺の失恋の相手を兄貴(!)だと勘違いしていたと知り。腹を抱えて笑った。大ちゃんと聡美さんの幸せな姿がチラついて今夜は眠れないと思っていたのに、たらふく飲んで二人でホテルにもつれ込み、笑いながらぐっすりと眠った。
一応タケシと俺の名誉のために言っておくと、いやらしいことはしなかった。忘れるために誰かと寝るなんてはしたない事は、この恋に限ってできようはずもなかった。
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