5、スキップ
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『今はどうしてる?』
『え?』
『……一人?』
『いえ……二人で……。』
そう彼女が答えた時には頭を殴られたような衝撃を受けた。
『家族構成は調べなくていいんですか?』と言う興信所の所長に『それは良い。』と断ったのは、これが怖かったからだ。
勿論、彼女が結婚していない確率の方が低いに違いないとは思っていた。愛らしいし、性格も良いし、世の男どもが放っておくハズがない。それでもそこは自分で確認したいと、自ら訊ねたのだ。
想像していた以上の打撃を受けるとも知らずに……。
彼女が後姿を見ているかもしれない。せめて颯爽と去りたい。いつも以上に背筋を伸ばして、空虚な心情を悟られないように……。
近くのパーキングに泊めていた車に乗り込み、彼女の作ってくれた花束を助手席にそっと置いた。
それを眺めながら、再会できた嬉しさと、彼女にパートナーが居たショックで泣き笑いの状態だった。
再会できただけでも凄い事だ。あの少したれ目の愛らしい瞳が俺を見てくれたのだ、これ以上望んでは罰が当たる。幸せだと彼女は言った。彼女が選んだのだからきっと素晴らしい相手なのだろう。二十数年と言う月日が嘘の様に、彼女は彼女のままだった。きっとその相手からも愛されて……仲良く暮らしているに違いない。
愛おしい。切ない。でも、あの花屋に行けば、また会える。また会えるのだ。
情けなくも溢れてくる涙を拭いながら。震える手で花束に触れた。色とりどりの花々が慰める様に、かぐわしい香りを放っていた。
友人になるのだ。彼女の良き友人に。
自分にそう言い聞かせようとするのに、涙はなかなか止まってくれなかった。
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朝のコーヒータイムは、自然と彼女の花屋の向かいの喫茶店に足が向くようになった。気付かれるとストーカーと認識されるやもと、あくまで一方的に観察するにとどめた。
そして数日後にまた花束を買いに行った。
「いらっしゃい……ませ」
店内に足を踏み入れると、彼女一人だった。
「今日は。あれ? 今日はもう一人の人は?」
「あ……配達で……」
二人きりだと思うとそれだけでドキドキした。
「そうか……えと……ちょっと聞きたいんだけど。こないだ作ってもらった花束の中で、あの……カサカサした花、なんて言うの?」
「カサカサした?」
「うん、あれだけ枯れないんだけど……いや、枯れてるのかな?」
「ああ、スターチスかな?」
「スターチス?」
「普通の花の倍以上日持ちがします。ドライフラワーにしても色や形が変わらなくて、だから花言葉は【変わらぬ心】。メインにはなりにくいんですが、ボリュームを出したり良い具合に空間を埋めてくれたりするので重宝します」
変わらぬ心。
「へえ。そうか……ふうん」
彼女があの花束にその花を入れてくれたことに他意はない。分かってはいるが、自分の思いが知らず知らずの内に彼女に伝わった気がしてささやかな喜びに酔いしれた。
「ドライフラワーってどうすれば良いの?」
「茎を縛って風通しの良いところに逆さに吊るしてください」
「それだけ?」
「はい。湿度の高いところだとカビたりもするのでそれだけ気を付けていただければ簡単にできますよ」
「……」
「か……神崎さん?」
その物言いから、あくまで客として距離を置こうとする彼女に一抹の寂しさを感じた。
「……大江さん?」
「はい」
「いやサトちゃん」
「……」
「仕事中だから仕方ないとは思うんだけど、良かったら……その昔みたいに……つまり、敬語はやめない?」
思ってもみなかったというように目をまん丸くした彼女に、おどけた様に微笑みかけた。
「えと……」
「友達的には寂しいよ」
「友達……ですか?」
「それとも旦那さんに怒られる?」
「はい?」
「異性の友達とか許さないタイプ?」
「……いえ……それは……」
「嫉妬深い?」
「……あの……二人で暮らしてるってのは……」
「うん? あ、籍は入ってないの?」
「じゃなくてですね……。夫じゃなくて……息子です」
息子?
理解するまでに暫くかかった。
「え!?」
彼女をビクンと竦ませる程驚いてしまった。
「息子? ……その……ご主人は?」
「あ、ええと……主人とはその……早々に別れまして……」
「……じゃ女手一つで息子さんを?」
「はい……まあ」
ドッドッドッドッと心臓が鳴った。つまりあれか? 彼女はフリーなのか? いや息子がいるから同居はしていないだけで彼氏がいるのかも知れない。早まるな。落ち着け!
「そうか……大変だったね」
「ま……まあ。はい」
「いくつ?」
「え?」
「息子さん」
そう尋ねるとなぜが彼女は固まった。
「だ……大学生に……なったとこです……」
つまり18・9か。
「そうか……そんなに大きいんだ……」
「はい。もう口ばっかり生意気になっちゃって……」
「別れたご主人とはたまに会ったりするの?」
「いえ……全く……」
気のせいだろうか? 視線を合わせようとしない。もしかしたら辛い思い出なのかも知れない。
「じゃ友達になってもらえる?」
「はい?」
「嫉妬するご主人はいないんだろ? それとも彼氏に怒られる?」
いじましくも確認してしまう。もうぬか喜びは嫌だ。
「い……いませんよ。彼氏とか……じゃなくてその……そちらのご家族がですね……嫌がるんじゃないですか?」
母の事を言っているのだろう。
「大丈夫。そんなの気にしないよ」
母も老いた。会社を継ぐ条件は、俺の人生には今後一切口出ししないこと、だった。誰と付き合おうと、文句を言われる筋合いはない。
「父も数年前に他界したしね」
「え?」
「急だったんで驚いたけど……」
「……そうですか……。それは……」
「だから安心して、友達になってよ。この年になると損得無しに愚痴の言える友人ってなかなか居なくて……」
「は……はあ……」
下心が漏れないようにごく軽い感じを装うのに必死だった。息子さんが嫌がる可能性を想起させないように何でもないことの様に言った。
「じゃあ……はい……」
「やった!」
また花束を作ってもらって、帰りがけに理由をこじつけて彼女の携帯に自分のメールアドレスを登録した。
「花を長持ちさせる方法をメールしてくれる?」
「あ、はい」
「敬語」
「……うん。メールする」
もしかしたら数センチ、地面から体が浮いていたかも知れない。ときめく心臓とスキップしそうになる足を抑えながら、彼女の店をあとにした。
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