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この世界のどこかに  作者: 碇 カマス


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48、鬼の目にも泪

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「芙沙子さんは私の知人の娘さんだったの。口約束で子供同士を結婚させようと話したことがあって……。何しろこのコはあの頃まだ二十歳で、高校生のお嬢さんと付き合っていて、結婚したいなんて言い出すものだから、目を覚まさせようと縁談を勧めたのよ。芙沙子さんがとっても大輔を気に入っていて、尻軽の女子高生に大輔が騙されてるなんて言うものだから……」


 いや違う、実際には彼女は尻軽だとも騙されているとも言わなかった。


『親しい男性のお友達が沢山いて、とっても人気のある可愛らしい方ですのよ。はすっぱな物言いは今の流行りなんでしょうね。短いスカートから覗くスラリとした足が綺麗で、大輔さんが心奪われるのも無理もありませんわ』


 そう言われて、世間知らずのお嬢さんには見えない人物像が、自分にだけは見える気がしていた。若く小賢しい小娘に入れあげて、熱に浮かされている息子を何とかしなければと躍起になった。

 あれも計算だったとしたら、大輔がかねてから言っていた通り、彼女は一筋縄では行かない類の女性だったのかも知れない。


「ごめんなさいね。女手一つで子供を育てるのは……並大抵の苦労じゃなかったでしょう?」


 みっともなくも鼻をすする老いた背中をさする孫の手は、とても暖かだった。


「終わったことです。それに、芙沙子さんから貰ったお金でマンションを買って、家賃の部分でとても助かりましたし……」


 あっけらかんと言われて拍子抜けする。


 芙紗子さんがお金を渡したと言うのは事実だという事か。それにしてもまた正直な……。余計な誤解を生むかもと恐れたりはしないのだろうか?


 彼女のそんな性格を見越して芙沙子さんが事に及んだのだとしたら、いよいよ悪質だと言える。


「だいご、くん……どんな字を書くの?」

「大きなわれです。あの五の下に口の……」

「ああ……名は体を表すわね」

「コレでも小さな頃は食が細くて、どっちかというと小柄だったんですけどね。中学2年の頃から沢山食べるようになって、ソレに連れて体も大きくなって……」


 懐かしむような眼で聡美さんはそう言った。


「初恋の相手が年上で、早く大きくなりたくて……無理してでも食べてました」

「そうだったの? 知らなかったー……」


 聡美さんが意味深な顔で孫の隣に座る彼女を見る。


「へ、へえー……」


 引きつった顔を浮かべた彼女が視線を反らす。


「まさかその初恋の相手がこの方?」


 大吾くんにそう尋ねると「はい」と嬉しそうに頭をかいた。


 驚いた。中学生の頃から懸想けそうしていたという事? 一途なのは血筋なのかしら。 


「つまり、息子と孫が近々結婚すると言うコト?」

「え? いや……私と大吾……くんは……まだ付き合いだしたトコロで……」

「そんなこと言ったら俺と聡美だって付き合いだしたトコだぞ?」

「いえ、年期が違いますよ!」

「あら、理恵さんだったかしら、ウチの孫が気に入らないの?」

「え? ええ?」

「母さん……」


 なんなの大輔、その幽霊でも見るような顔は。


「ほだされても良いと言う気持ちが少しでもあるなら観念なさい。神崎の男は諦めるということを知らないのよ。私だって……他に好きな男性が居るって何度も断わったのに、大蔵さんたら……」


 若き日の自信に溢れた夫の顔を思い出す。


『じゃ、その好きな男とやらと好きなだけ付き合えば良い。けど良いか。手を握る以外は許さないからな。他は絶対に俺以外の男に許すんじゃないぞ』


 呆気に取られた。なんと傲慢な男かと。


 腹が立つので、従弟の弦ちゃんに彼氏のフリをしてくれと頼んだ。当時まだ中学生だったのだが、上背があって老け顔だったのでバレなかった。


 実は好きな男などいなかった。それまでの恋愛遍歴で、男にはほとほと愛想を尽かしていたのだ。付き合うまでは皆ちやほやと優しくしてくれるが、付き合った途端に『可愛げが無い』だの『お高くとまっている』だの文句をつけては従順そうな女性に乗り換えていく。大蔵さんもどうせその手合いと、最初はなから相手にするつもりが無かった。


『恋人同士ですもの、キス位はしました』と嘘をつくと強引に抱きしめられ、切なそうな目で『そんなに奴が好きか?』と問い詰められた。逡巡していると唇を塞がれ、ショックのあまり泣き出してしまった。


『ファーストキスだったのに!』


 言ってしまってからしまったと思ったが後の祭りだった。


『責任を取る』


 そう言って満足そうに笑った大蔵さんの顔といったら……。



「良い? 理恵さん。時間はいつまでもあるようで、そうでもないのよ。嫌ならさっさと断わって次に行きなさい」

「え? 嫌では……」

「伝えたいことはちゃんと伝えておかなきゃ。急に死なれちゃ、もう文句の行き場もないんだから……」


 会社で倒れ、意識が戻ることなく大蔵さんはそのまま帰らぬ人となった。


「あの人は何度も『好きだ』と言ってくれたのに……結局私がそう伝えられたのは棺桶の中のあの人にだった……。あなたは私と同じ匂いがするわね」

「はい? いえ……別に香水は……」

「違うわよ。気がきつそうな見た目のせいで何かと敵を作って……そのせいで頑なで意地っ張りな性格になった……。違う? 私の気のせいなら謝るけど……」


 いけないいけない。初対面の相手にまたこんな言い方して、孫に可愛げのないババアだと思われちゃうわ。


 チラリと大吾くんを見ると、愛しそうに理恵さんを見ている。


「頑なで意地っ張りなんだけど、正義感が強くて情に脆いんです。かと思うと恥ずかしがり屋で、可愛くて……」

「大吾っ!」


 真っ赤になった理恵さんが彼の口を塞いだ。


 恥ずかしがり屋の所も私に似ている。


 おかしくて笑ってしまった。


「母さん……許してくれるの?」


 まだ信じられないと言うように尋ねる息子に、背筋を正して訊ねた。


「私に連絡しないままさっさと結婚することもできたのに、どうしてそうしなかったの? あなたは私に泣きつかれて仕方なく会社を継いだけど、その代わり俺の人生には今後一切口出ししないこと、と釘を刺したじゃない?」

「それは……聡美が母さんの許しを得てからでないと駄目だと言うから……」

「そう。ありがとう聡美さん」

「いえ……そんな……」

「どうせ私なんかとひねこびて、息子や嫁や孫に好かれる努力もしないままあの世に行ったら、私を好きだと言ってくれたあの人に申し訳がたたないものね」

「母さん……」


 息子と聡美さんに目で頷いてから、大吾くんと視線を交わす。またもや涙がこぼれそうになった。


 大蔵さん? これで良いのよね?


「……大吾くんの目は大蔵さんに似てるわね」

「そうか?」

「あの人はあなた達ほど大柄じゃなかったけど、大きな耳の形もソックリ。3人並べて見たかったわね」


 私を置いて急に逝ってしまったあなたを恨んだけど、後を追わなくて良かったわ。こんな日が来るなんて、長生きはするものね。


「大輔、お酒はないの?」

「え?」

「もう一生見られないと思ってたあなたの嫁と孫に会えたのよ。コレが飲まずに居られる?」


 大輔は笑いを堪えながら「仰せのままに」と席を立った。


 あらゆる種類の酒をテーブルに並べた後、手際よく酒の肴を用意しだした息子に目を丸くする。


「ばあちゃん……あ、いや……なんて呼んだら良い?」

「ばあちゃんも良いけど、急に老け込んだ気になるから、名前で呼んでもらおうかしら?」

「じゃあ真津子さん、何飲む?」

「おビールをもらおうかしら、大吾」

「了解!」


 息子の嫁と孫の嫁がグラスを運んできて、楽しい酒盛りが始まった。まだ婚約者と呼ぶべきかも知れないけれど、どうせそうなるんだから良いわよね。


「今日はびっくりすることばっかり」

「母さん、鬼の目にも泪だな」


 塩茹でにしたそら豆が載った皿を差し出しつつ、息子が破願する。


 私の好物を覚えていたらしい。


「また憎たらしいこと言って」


 息子の笑顔を見たのは何年ぶりだろう? 憎まれ口を叩きながらも本当に嬉しそうだ。子供の為に良かれと思ってしたことが、私たち親子に大きな溝を作ってしまった。一人息子に死に水も取ってもらえなかった夫の事を思うと、今更ながら申し訳なくて仕方がない。


 会えば良かった。勝手な思い込みで会おうとしなかった。会えばわかった筈だ。今目の前で笑っている彼女が、自分が想像していたような人物かどうか。彼女は、今までの苦労をモノともせず大らかに笑っている。芙沙子さんの妄言を信じて息子を失った私と、恋人を失った彼女。今許し合わなかったら、一生後悔することになる。


 似合いの二人だ。その上、夢にまで見た孫まで居る。もう友人の孫自慢に辟易させられることもない。早いとこ理恵さんと結婚してもらえれば、ひ孫を抱ける日も近いかも知れない。


「式は何時頃を考えているの?」

「すぐにでもしたいんだけど、式場が空いてなくて……」

「神式でもいいなら、知り合いの神社に問い合わせてあげるわよ。大吾たちもね」

「ええ?」

「ソレまでに大輔も大吾も、あちらへのご挨拶と許可をちゃんともらっておきなさいよ」

「え? ああ、うん」

「私なんかよりずっと聡美さんのお父様のほうが手強いんじゃなくて? 聡美さん本人に結婚の許しをもらって、嬉しくて忘れてたみたいだけど」

「……」


 そうだった。夢中になり過ぎると肝心な所が抜け落ちてることのままある息子だった。


 おかしくて吹き出しそうになったが、大輔の顔があまりに真剣なので何とか堪えた。


「私たちは、まだあの……も少しお金を貯めてから……」


 おずおずと理恵さんが言う。


「……そんなこと言って私が急逝したらどうするの?」

「え?」

「老い先短いババアを焦らさないで、孫の晴れ姿を見せてもらえないかしら? 勿論、費用は私が出すから」

「え?」

「ありがとうございます!」


 無邪気に笑う孫を見ていると何とも幸せな心持ちだった。


今日出掛ける前、何となく思い立って昔姑がくれたイエローダイヤの指輪を付けてきた。きっとそういう事だったんだろう。息子の嫁には後日、私が自ら買った指輪を送ろう。でも今日は、苦戦しそうな孫にこの指輪を持たせてあげよう。デザインは古いが、私に似た彼女に似合いそうだ。



「やっぱりもっと早く再会したかったですか?」


 皆の酔いが回ってきた頃、理恵さんが大輔にそう尋ねた。


「来世でもいいから会いたいと願った相手に今生こんじょうで会えたんだ。これ以上のことはない」


 カッコつけなところは大蔵さんそっくりね。


 天国から見てる? まだ暫くそっちには行けないわ。これから忙しくなりそうだから。


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