47、知り合いの知り合いの話
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「で、なんとその彼女、彼の知らない間に彼の子を産んで育ててたんですって」
「え? 別れた男の子供を?」
「そ」
西日に目を眇めた私に気付くと、時子さんはさりげなくウッドブラインドを半分ほど下ろした。
「でもその男、他の女を妊娠させてたんでしょ? 最低じゃない。そんな男の子供……」
「まあ、子供に罪はないじゃない?」
そうだった、時子さんは不妊治療で辛い思いをした挙げ句、子供を諦めた人だった。危うく堕胎すべきじゃないかと口にするところだった。亡くなった夫からも物言いのきつさは良くたしなめられていたが、年を取ってもなかなか治らない。
「じゃ、女手一つで?」
「そう」
久しぶりに訪れた弦ちゃん宅で、お茶を飲みながら時子さんと話し込んでいる時だった。
「おい、携帯かなんか鳴ってないか?」
リビングで新聞を読んでいた弦ちゃんが、こちらに顔を向けた。
話に夢中で気が付かなかった。耳を澄ますと、隣の椅子に置いていた私のハンドバッグから電子音が聞こえる。
携帯を取り出し、老眼鏡を掛けてから画面を注視した。
「誰?」
少なからず驚く。息子からだ。
「……大輔だわ……」
向こうから電話をしてきたのは、もしかしたら家を出てから初めてかも知れない。
「早く出たら?」
「ええ……。もしもし?」
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『今夜時間ある? 出来たら8時ごろ、俺の家まで来て欲しいんだけど』
急な呼び出しに驚いた。
しかも自宅まで来いと言うではないか。
あの子は実家には法事の時にしか顔を見せないし、ましてや自宅なんて住所どころか最寄り駅さえ教えてもらっていない。気を使った時子さんがコッソリと車でマンションの前まで連れて行ってくれたことがあったが……。
インターホンを押すと、程なくして大輔が玄関のドアを開けた。
「悪いね。急に。入って」
言葉少なにそう言うと、スリッパを私の前に揃えて置いた。
一体、何の用だろう? もしかして、老後は俺を頼ってくれるなとか、言わずもがなの事を念押しするつもりだろうか? もしかしたら何らかの念書でも書かせるつもりかも知れない。
もやもやとした感情を押し殺しながら、家を出て久しい息子の家に初めて足を踏み入れた。
「一体何なの? 急に家まで来いなんて。あなた今までココには私を……」
無言で先を行く息子に問いかけようとして口をつぐんだ。リビングに人の気配がするではないか。
「……」
私を見て驚いた様に固まる女性が二人、男性が一人。
「聡美、大吾、理恵さん、俺の母の真津子だ」
「え? あ、ああああの初めまして!」
慌てたように立ち上がった女性が、深々と頭を下げた。
後の二人も、小さく頭を下げる。
どういう関係の人々なのかすぐに説明があると思って待ったが、大輔は無言で私を見詰めるばかり。居心地が悪いったらありゃしない。
「この家は客人にお茶も出さないの?」
ここに呼びはしたが、大輔の知人と懇意にさせるつもりは無いと言う事か。
「あ、すぐに!」
「いえ、理恵さん私が!」
女性二人が我先にとお茶を淹れに行こうとする。
「二人共座ってて、俺がするよ。母さんコーヒーが良い? 日本茶?」
「お煎茶」
「はいはい」
ため息混じりの息子の言葉に少なからず傷つく。邪魔もの扱いするなら何故客人が居るのに呼んだのか。
「あ、どうぞお座り下さい」
さっき深々と頭を下げた女性がソファを勧めてくれる。ダンガリーシャツにジーンズ姿、柔らかそうな髪を後ろに束ねている。年のころは30半ば位だろうか?
「じゃ、遠慮なく。……あなた達も座りなさいよ」
「は……はい」
私から少し距離を置くように、3人は腰かけた。
「で?」
「……はい?」
「何の集まりなの?」
「ええと……」
少しの間を置いてダンガリーシャツの彼女が応える。
「ちょっとした……食事会です」
ホームパーティと言う事?
「どういったメンバー? お友達?」
「はあ……えと……彼と彼女は……カップルで……ついこの間まで喧嘩をしておりまして……すわ破局か、と神崎社長と私の気を揉んでおりまして。なんとかヨリを戻したとのことを聞き及びまして……、お祝いに俺が腕を振るうよと神崎社長が……」
寄り添うように座る男女に目をやりながらそう言う。美人だが少し冷たい印象のある女性と、大柄な青年だ。
この二人がカップル? 女性の方がかなり年上に見える。最近ではそんなこと珍しくも無いのだろうが……。
それにしてもこの青年。どこか懐かしい気持ちを思い起こさせる面立ちだ。と言っても恐らく気のせいだ。最近では人の顔も名前もおぼろげで、テレビに映るアイドルは皆同じ顔に見える。
「大輔が?」
「はい……」
「あの子料理をするの?」
「はい。とってもお上手で……」
「そう……」
自宅に居る時にはお茶の一つも淹れられなかったのに……。
「で? あなたはどういうご関係?」
このカップルについて大輔と気を揉んでいたなんて……あの子に女性の友人が?
「! ええと……旧友と申しましょうか……知人と申しましょうか……」
「ご友人?」
「はあ……」
旧友と言うからには学生時代の知り合いだろうか?
「それがですね……ついこの間から……お付き合いをですね……させて頂く運びと相成りまして……」
仰々しい切り口上に、一瞬意味を理解できなかった。
「付き合い? 大輔と?」
「は……い」
まさか、あの子が?
「お待たせ、粗茶ですがどうぞ」
大輔がお茶を運んでくると3人からため息が聞こえた。いけない、うっかり詰問口調になっていた。
「大輔、あなたこの方とお付き合いしているの?」
「うん」
息子は軽い調子でそう言いながら、皆にお茶を配り終えると自らもソファに腰かけた。
「で、結婚しようと思ってる。なる早で」
「……結婚? あなたが?」
「うん」
「あなた……結婚なんかしないって言ってたじゃない」
「結婚しないって言ったんじゃない。彼女以外とは結婚しない、って言ったんだ」
「そう……。じゃ、もうその彼女のことは諦めたのね?」
何故だろう? とても残念な気がする。いつまでも独り身の息子を案じてはいたが、一人の女性を思い続ける一途さは称賛に価すると親ばかながらどこかで思っていたのかも知れない。
「もしかして、いかにも結婚できなさそうな兄さんトコの智樹が結婚するって聞いて、触発され……」
「いや、彼女がそう、大江聡美さん」
「え……?」
オオエサトミ? そんな名前だったろうか? いや、そもそも名前すらまともに聞こうとしてこなかった。
顔を凝視すると彼女はぎこちない笑みを作った。
「え? あの…お金を貰って男と逃げたって言う?」
「ソレは芙沙子さんの作り話」
作り話?
『お義母様、私とんでもない事をしてしまいました!』
あの日、芙沙子さんは涙で一杯の瞳で、私の膝元にくず折れた。
『大輔さんの大事にしてらした彼女にお金を渡してしまいましたの。とても困ってるっておっしゃるからつい』
『お金って……いかほど?』
「芙沙子さんは二十数年前、聡美に、俺の子を身ごもってると言ったらしい。それをすっかり信じて彼女は、身を隠したんだ」
身ごもっている?
「嘘おっしゃい。芙沙子さんは用意していた300万では足りないと言われて、仕方なく1000万円の小切手を切ったと言ってたのよ? まるで、ヤクザよ」
『今までにも何度も無心されていたのですが……大輔さんの他に男性がいらっしゃったようで……。とても優しい方だから、その内目を覚まして下さると信じていたんです』
世間知らずのお嬢さんを騙して金をむしり取り、男と姿を隠した女子高生。さぞ絵に描いたような悪女面をしているのだろうと、想像を逞しくしていた。
しかし、目の前に座るこの女性……。いや、人は見かけに寄らないと言うではないか。
「それも嘘。お金を受け取らないと言う聡美に、ソレじゃ安心できないと無理矢理金を持たせたんだよ」
「……芙沙子さんは身ごもってたの?」
「だから嘘だよ。彼女には指一本触れてない。頻繁にハニートラップは仕掛けられそうになったけど、俺は聡美以外に興味がなかったから……。でもそれで焦った彼女が、聡美の高校の卒業式の日に校門で待ち伏せするとは……」
頭痛がする。
何? 大輔は何と言ったの?
落ち着こうと、震える唇をお茶で湿らせた。
チラと件の彼女を観察すると心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「決まっていた就職先も辞退して、田舎の温泉旅館で住み込みで働いてたそうだ」
「……」
「で、こっちは嘘じゃないんだけど、聡美は身ごもってた」
「え?」
「姿を消してしばらくしてからソレが分かったらしい。……それから女手一つで立派に息子を育ててくれた。22年も会えなかったのが、昨年、偶然再会して、やっと最近彼女から結婚の許可を貰ったんだ。今回は母さんが何と言おうと俺は聡美と結婚する」
「……」
若くして妊娠、慣れない土地で一人子供を育て、22年も会えなかった恋人同士が偶然再会して……
どこかで聞いた話だ。
今日、お茶をしていた時に時子さんから聞いた『知り合いの知り合い』の話にそっくりだわ。
さては時子さん……。
私は、本当に芙沙子さんに騙されていたの?
「……聡美さん」
「はい」
「それが本当なら、どうして妊娠していると分かった時点で連絡してこなかったの?」
「え? ……ええと、芙沙子さんとですね、幸せな家庭を築いてらっしゃると思っていたもので……。波風を立てるのも嫌でしたし、それに……お腹の子は男の子だとお医者さんが言うもので……芙沙子さんの赤ちゃんがもし女の子だったら、ウチの息子が跡目争いなんかに巻き込まれたり……まあ分かりやすく言うと……息子を取り上げられたりしたらどうしようと……不安だったんです」
「そう……そうだったの……」
息子の彼女に頑なに会おうともしなかった。頭の固い母親のいる家になど、頼る気にならないのも無理はない。彼女が芙沙子さんの言う通りの女性なら、きっとこれ幸いと金をせびりに来ただろうが……。
「親御さんには頼られなかったの?」
「訳あって、地方に就職することにした、とだけ手紙を残して家を出てまして……。後で妊娠してるのが分かったわけですが、ウチの父親昔気質なので、未婚の母とか許さないだろうなあ、と……母にだけ事情を話して保険証を送ってもらったり……。流石に出産間近になると心配になったようで……田舎の親戚の看病に行くとか父に嘘をついて、旅館に暫く泊まって世話をしてくれました」
あっけらかんと話す彼女を大輔が痛々しそうに見つめる。
「旅館の女将さんや先輩たちも本当に良い方ばかりで。仕事の合間におむつをかえたりおっぱいをあげたり……本当に快く見守って下さって。時には私に変わって赤ん坊をあやしてくれたり……私、そういう運はとても良いんですよ。でも、心労が祟ったのか母が入院したと聞いて、3歳になったこの子を連れてこっちに戻りました。父にはこっ酷く叱られましたが、孫の可愛さには勝てなかったようです。今はもう可愛さのカケラもありませんが……」
彼女はそう言って、隣に座る青年を見上げた。
「……コチラが?」
声が震える。
「ああ、はい。息子の大吾です」
「……」
「どうも……」
紹介されて、彼が頭を下げる。
思い過ごしではなかったか。
無意識に立ち上がり、気が付くと歩を進めていた。
「え?」
震える手を、思わず青年の頬に伸ばしかけたが、届く前にその場にしゃがみ込みそうになった。
「だ、大丈夫? ですか?」
「大蔵さん……」
初めて会った孫に手を差し伸べられ、亡き夫の名を呼びながら、不覚にも嗚咽を漏らしてしまった。
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