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この世界のどこかに  作者: 碇 カマス


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46/56

46、両親

+-+-+-+-+


 暫く出て来ないだろうと思っていたのに、神崎社長と母さんは案外早くリビングに姿を現した。


 理恵に甘えている所だったので少なからず残念に思う。


 ま、仲直りしてから今朝まで、駄々っ子みたいに彼女の家でイチャイチャしまくっていたわけだが……。


 てっきり出前でも取るのかと思っていたが、なんと社長自ら腕を振るってくれるらしい。


「手伝いますっ」


 そう言って立ち上がった理恵を、神崎社長はやんわりと押し戻してダイニングの椅子に座らせた。


「昨日の内に仕込みは済ましてあるから、大丈夫。遠慮なく座ってて」


 腕まくりをしてから、彩り鮮やかな前菜をテーブルに運ぶと、シャンパンを開けて乾杯し、社長は楽しそうにキッチンへ戻って行った。


「何か……申し訳ないです」

「良いのよ。昨日から張り切っちゃって、嬉しくてたまらないみたいよ」

「昨日から?」

「金曜日にアンタ帰ってこなかったでしょ? だから、理恵さんと仲直りしたか世をすねて遁走したかのどっちかだな、って大輔……に言ったのね。私はもうなるようにしかならない、って諦めてたんだけど……」

「諦めて?」


 聞き捨てならない。俺は母さんとは違って潔く身を引けるようなタイプじゃない。いや、確かに、今までの彼女とは比較的簡単に別れてきたわけだが……。


「大輔……ったら自分の事のように心配して、大吾が失恋してたとしたら私達の結婚は暫くお預けだな、って落ち込んじゃって」


 他人である神崎社長の方が親身に考えてくれてたってことか。あ、違った……実の父親だっけ?


 あまりに急な話で実感が湧かない。


「土曜日の夜に思い出したように『今日も理恵ん家に泊まる』ってアンタ、メールしてきたでしょ?」

「ああ、うん……」


 金曜日の夜、駒沢(智樹)さんに頼み込んで理恵を呼び出してもらい、やっと話をすることができた。誰に責められたわけでもないのに理恵は『教え子に手を出した変態』と自嘲した。俺に強引に迫られた結果なのに、母さんへの罪悪感で彼女はずっと思い悩んでいたのだ。


 てっきりストーカーの烙印を押され、気味悪がられて会ってもらえないのだと思いこんでいた。仲直りできた嬉しさで、自宅への連絡をすっかり失念していた。土曜日の夜になってやっとそのことに思い至り、母さんにメールをしたのだ。


「大輔に教えたら、飛び上がって喜んじゃって。息子カップルと月曜日に食事をしたい。だの、大吾は許してくれるかな? だの、俺が父親とか大丈夫かな? だの盛り上がりだして、挙句の果てに、そうださっさと結婚したいから智樹のトコに乗っからせてもらおうとか言い出して……」


 乗っからせてくれれば良かったのに。本当に残念だ。


 楽しそうにそう言う母に安心したのか、理恵が俺を見て微笑む。


「何? 可愛い顔して」


 安心したか? 母さんは全く反対なんかしてないだろ?


「いや……あの……」


 テーブルの下で手を撫でると、顔を赤くして目を逸らす。


「デレデレしちゃって」


 そうだった。母さんの前だった。


「ソッチこそ。道理で結婚を勧めても乗ってこないはずだよ」

「はい?」

「良かったな。気の長いヒトで」


 長過ぎるけどな。


「言っときますけどねえ。私は別に大輔との再会を待って結婚をしなかったんじゃありませんからね」

「あ、そ」

「アンタを育てるのに必死でソレどころじゃなかったんだから……」

「嘘つけ、金持ちの実業家から求婚されてたじゃないか。さっさと受け入れときゃ育児だって生活だって楽だったろうに……」

「その話、詳しく聞かせてもらおうか?」


 料理を運んできた社長がいつの間にか背後に佇んでいた。


 真顔、怖えー……


「あ、運ぶの手伝おうか?」


 母さんが何事も無かったかのように立ち上がる。


「わ、私も……」


 理恵も立ち上がってキッチンに入って行った。


「大吾、今の話……」

「大丈夫です。母さんはドコが気に入らないのか、イケメン実業家をあっさり袖にして、逞しく女一人で俺を育ててくれました」

「そ……そうか……イケメンだったのか……」


 そこか?


 てか母さんに言い寄っていた男はそいつだけじゃなかったけど、取り敢えず黙っておこう。


 料理の皿をテーブルに置くと、社長は俺ににじり寄りつつ「つ……付き合ってたのか?」と心細そうに聞いた。


「いえ、多分……」

「多分? 付き合ってもいない相手に求婚したりするか?」

「はいはい。これで全部? お腹すいた。早く食べよう」


 二人の会話をぶった切り、母さんはテーブルに料理と新たに開けたらしいシャンパンを置いた。後ろから理恵も皿を運んできて、4人では食べきれないほどのご馳走が目の前に並んだ。


「聡美」

「座って座って」


 社長は昔の求婚話を詳しく聞きたそうにしていたが、母さんに押し切られるように席についた。


「じゃ、もう一回乾杯ね」


 シャンパンを注いで、4人でグラスを合わせる。


「美味しいそう。プロみたいですね」

「いやそれ程でも……簡単なものばかりだけど、料理は趣味なんだ」


 社長……趣味の域を超えています。


「と言っても、親しい友人に振る舞うぐらいしかしたことがなくて……夢だった」

「え?」


 隣りに座る母さんに目をやり、俺と理恵を見やると、社長は声を震わせて言った。


「聡美や、子どもたちにこうやって料理を振る舞うのが……夢だった。まさか叶う日が来るとは……」

「大輔……」

「駄目だな。年を取ると涙もろくて……」


 感無量の社長を前に、全員の目が微かに潤んでいる。


「さ、気にしないで食べて」

「では遠慮なく、いただきます」

「いただきます」

「いただきます」


 まだ実感は湧かない。湧かないが、心がどんどん満たされて行く。母さんの愛した男が神崎社長で、神崎社長の愛した女が母さんで、その二人が俺の両親で。自分は父親に捨てられた子供ではなかったのだ。運悪く、俺たちはバラバラに暮らすことになってしまったけれど、それだって悪い事ばかりじゃない。粗忽者の母と、ひたむきな父に感謝しなければいけない。理恵との出会いを俺にくれたのは、紛れもなくこの母で、再会させてくれたのは、この父なのだから。


 

+-+-+-+-+


「……母さん、今日からココに住むんだよな?」


 リビングに移動してコーヒーを喫しつつ、これまた大輔くんお手製のデザートを味わった。


「どう? 初めて作ったんだけど……」

「美味しいです……モンブラン……」


 あれ? 理恵さんあんまり好きじゃないのかなモンブラン。微妙な顔。


 プロのパティシエが作ったと言っても過言じゃない位の出来だと私は思うんだけど……。


 一方の大吾は気に入ったのかニヤニヤしながら食べている。ん? ココに住む?


「え? いや……まずは大輔のお義母さんトコに挨拶に言って、籍を入れてから……」

「そんなこと言わずに住んでやれよ。社長が可哀想だろ」

「大吾……」


 途端に大輔くんが嬉しそうに息子を見る。


「てか……大吾の籍をどうするかってこともあるし……」

「え?」

「大輔と私が先に結婚して、アンタも神崎姓になる? それとも大江姓でいたいなら……」


 あああ、彼がまた涙目に……。


「大吾、神崎の名前は嫌か?」

「え? いえ……別に……どっちでも……」

「じゃ、神崎になってくれ、いやなら俺が大江になるから」

 

 何言ってんの? 訳が分からない。


「理恵は?」

「はい?」

「大江理恵と神崎理恵、どっちが良い?」

「おおえりえ、って言いにくいわよね。かんざきりえ、の方が座りが良いっていうか……どう?」

「はあ……」


 あ、先走り過ぎた! 大吾はまだ理恵さんを口説いてる最中だって言っていたはずだ。


「式は俺達と一緒に挙げるか?」

「え?」

「大輔くんたら……大吾はまだ口説いてるところだって言ってたでしょ?」

「ま、も少し結婚費用を貯めてからにします。理恵もまだ決心がつかないようだし……」


 ちらりと理恵さんを見てすねたように大吾は言った。


「でも、母さんは社長と暮らすから、俺達の家は解約するよね? 俺は理恵のとこに転がり込もうかな……」

「ああ、今住んでるトコ? あれはアンタ名義の分譲マンションだよ」

「は?」


 なし崩し的に同居に持ち込むつもりか! 似たもの親子!


「芙沙子さんからもらった1000万を頭金にそろそろ払い終わるから、なんなら二人で住む?」

「使ったのか!?」

「返そうと思ってたのはアンタを身ごもってるって知る前だから。私の中では途中から慰謝料ってことでありがたく頂戴することにしたの」


 本当は彼への未練を断ち切るつもりでそうしたのだが……敢えて言うこともないだろう。


「向こうが勝手にくれたんですから、もらっちゃえば良いですよ」

「理恵?」


 悪い笑顔で私を見た理恵さんに、思わず吹き出してしまう。


「そう言えば、その芙沙子さんとやらは、今どちらに?」

「彼女の父親がそこそこ大きな会社の社長だったんだけどね。会社の私物化が甚だしくて結局解任させられた。彼女は離婚した母親について、田舎に引っ込んだとか聞いたけど?」

「ソレを聞いちゃうと、お金返したほうが良い気がしてくるなあ…」

「母親の実家も資産家らしいから必要ないんじゃない? すでにどっかに嫁にでも言ったんじゃないかなあ。知らないけど」


 ピンポーン。


 インターホンの音に驚いて顔を上げた。


「誰?」

「来たな」

「え?」


 彼が玄関まで迎えに出て、連れてきたのは……


「一体何なの? 急に家まで来いなんて。あなた今までココには私を……」


 上品そうな着物姿の老婦人が甲高い声を上げつつ大輔くんの後ろから姿をあらわす。


「……」


 リビングに揃う面々に気づき、老婦人は怪訝な顔をした。


「聡美、大吾、理恵さん、俺の母の真津子まつこだ」

「え? あ、ああああの初めまして!」


 立ち上がって、慌てて頭を下げた。


 オカアサマ!!



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