45、嬉しい錯覚
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『なし崩し的に一緒に住み始めたら何か……ケジメがつかないというか、そういうつもりで、式を挙げてからって言ったのね』
私があそこで止めなければ、彼は本気で合同結婚式を実現させそうだった。新婦の芝山さんはさて置き、新郎である智樹さんがあんなに嫌がっているのに、大吾まで便乗しようとしたりして……。何とかこの場を納めなければと咄嗟に口から出た言葉だったが、
『さっさと籍だけでも入れて、一緒に住めば?』
息子よ。物分かりが良いにも程がある。理恵さんとヨリを戻して浮かれてるのだろうが、大輔くんが実の父だったこととか、母親の結婚の事とか、もう少し複雑なあれやこれやがあるもんじゃないか?
まあ良い。大輔くんのお母様の許可を得ずに籍を入れるつもりはないから、きっとまだ暫く猶予はある。
「6時半に迎えに来るってさ」
「え?」
あの後、仕事を理由に逃げる様に社長室を後にした。店に戻ってみると彼から千奈美に電話があったと聞かされた。
「大吾くんも認めてくれたんだって? 神崎さん、子供みたいにはしゃいでたわよ。息子夫婦と食事するんです、って。二人を連れてこっちまで迎えに来るらしいよ」
お恥ずかしい。息子夫婦って何よ。気が早すぎる。
「無理だって連絡する」
店の営業時間は7時までだ、それから閉店準備をして、だから6時半には帰れない。
「無理を承知で今日だけ早引けさせて欲しいってさ」
「……でも……」
「今日は6時くらいから徐々に片付けてこう。清算とか他の仕事はやっとくから大丈夫」
「……ゴメンね」
「良いよ。今日は比較的暇だし」
「千奈美が達郎さんとデートの時には私が残るから遠慮なく言ってね」
「は?」
「そう言えば達郎さんは?」
てっきり居座ってると思いきや、彼の姿は店にはなかった。
「来てないけど……?」
「……ホントに?」
「あのさ、あっちだって仕事をしてるわけだし、そんなに暇じゃないと……」
「千奈美。シャツのボタン、ずれてる」
「え? ええ!?」
慌てた千奈美がボタンをかけ直す。
「……」
「……」
思わずジト目で見てしまった。
「ここは神聖な職場ですよ」
「……はい」
珍しくしおらしく千奈美がうつむく。
と言う事はここでしちゃいけないようなことを、やっぱりしてたってこと?
「何で聡美が赤くなってんのよ」
「なってません!」
まったく。達郎さんたら何考えてるんだか。
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「適当に座って。着替えてくるから、寛いでて」
大吾と友田くんを自宅のリビングに案内してから、サトちゃんの手を取って寝室に入った。
「だ……大輔くん? 私は着替えないんだから一緒にコッチに入る意味無いでしょ?」
「聡美」
「何? 急に呼び捨て。会社でもびっくりしちゃった」
「前に言ってたろ? 人前でサトちゃんて呼ばれるのはちょっと、って」
「……うん。まあ……」
「聡美も何度か大輔って呼んだだろ?」
「……なんか……大輔くん、て呼ぶの……皆の前ではどうなのかなって途中から気になってきて……」
『くん』を小さく飲み込んで俺の名を何度も呼ぶ彼女を見ていると、可愛くて仕方なかった。十代の頃じゃないんだし、人前だし、苗字じゃ俺がへそを曲げるかも知れないし、と気を使ったのだろう。
「息子の承諾も得たし、俺たちは高速でこの二十数年を取り戻さなくちゃいけない訳で……も一回大輔って呼んで」
ためらいがちに彼女が口を開いた。
「大輔……」
ああ、この名前を付けてくれた親に感謝しなきゃな。
『大好き』
そう言っているように聞こえていちいちドキドキする。『これで良いの?』と言うように上目づかいで俺を伺う様も好ましい。
閉じ込める様に腕の中に彼女を囲う。
「良いかも。呼び捨て。これからはそれで行こう、聡美」
「あの……着替えないの?」
「抱きしめても良い?」
「……」
驚いた顔の後、顔を逸らして小さく俯く。
イエスかノーかはもう確認しない。
彼女の腰の辺りで緩く組んでいた手にゆっくりと力を入れる。
彼女のつむじの上に顎を置いて、その感触に酔いしれた。
「……変に思われるわよ。中々出て来なかったら……」
髪を撫で、背中を撫で、シトラス系のシャンプーの匂いを吸い込む。
「キスしても良い?」
「……だめ」
「どうして?」
「……今日、社長室で……びっくりしちゃった。智樹さんたちが入って来る前も急にだし……その後なんて、大吾たちだって見てたのに……」
サトちゃんが可愛いのが悪い。時折君しか見えなくなる。俺と二人きりの時と違って、無防備だったし……。
「今は見てないだろ?」
「だめよ。すぐそこに居るんだから、どんな顔して良いのか困る」
「分かった。我慢する」
彼女の頬を撫でて、その額に唇を寄せると、ビクンと体を震わせる。
「……だめだってば……」
「おでこぐらい良いだろ?」
言いながら頬に口づけようとすると手で止められた。
「大輔くん……」
「ネクタイ外して」
「え?」
「着替え、手伝って」
「……子供じゃないんだから……そんなの自分で……」
「聡美」
「……」
甘えた声で懇願すると仕方なさそうに俺の襟元に手を伸ばす。
「こ……困りますよ。お互い働いてるんですから……こんなんじゃ先がおもいやられ!」
彼女の手を掴んで口づける。
「大輔……」
ちゅ、ちゅ、ちゅ。
もう片方の手にも。
「聡美。大好き」
「あの……」
「好き」
「大輔く……ネクタイ、ネクタイを解けないでしょ。放して……」
「聡美は?」
「はい?」
「俺のこと、どう思ってる?」
「そ……れは勿論、好き……ですよ」
たどたどしくても良い。
「聡美」
「何?」
「名前呼んで」
「……大輔……」
名前を呼び捨てにされる度俺は、愛しい彼女に告白されている気分になれる。
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