42、安眠
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日曜日、仕事を終えて彼の家に到着すると、すでに月曜日の為の仕込みは終わっていた。
「折角手伝いに来たのに」
冷蔵庫を開けると大小さまざまなタッパーが並んでいて、彼の張り切りように慄く。コース料理でも出すつもりだろうか?
「まあまあ座って。サトちゃんの食べたがってた筍ご飯炊いておいたから」
「それは火曜日に……」
「今日は気分じゃない?」
ぐう。
炊飯器から漂う美味しそうな匂いに思わずお腹が鳴った。
「気分じゃないこともないけど……」
「はは、じゃ座って」
美味しい料理と美味しいお酒に目がくらんで、たらふく食べた。
そろそろ帰ろうかと思い始めた頃、彼は私の目の前に白い封筒を置いた。
「これ、従弟から結婚式の招待状が届いたんだ」
「……へえ。おめでとうございます」
「あ、その従弟って言うのが、友田くんの昔の見合い相手で」
「え?」
「これが届いたのが先週のことでね、届いた時はもしや大吾を諦めさせるために、コッチとの結婚を決めたんじゃないかとヒヤリとしたんだけど、相手は別の女性だった」
「そう、良かった」
大吾が言っていた相手とは大輔くんの従弟の事だったのか。ん? じゃ大吾は知らない内に自分の親戚と彼女を取り合っていたことに?
「それで、苦肉の策ではあるんだけど……」
「はい?」
「コイツも別会社の社長なんだ。だから、ある程度の規模で式を挙げると思う。しかも親戚は半分はカブってるから、親戚筋からしても二度手間にならずに済む」
「は?」
「合同結婚式にしてもらおうと思う」
一瞬何の話をしているのか分からなかった。
「合同?」
「ん。取り敢えずで悪いんだけど、そこで皆にはお披露目しといて、二人きりで海外ででもちゃんと式を挙げるのでどうかな?」
合同って、私たちとってこと?
「いや、神様が混乱しそうなので1回で良いです……。て言うか……どうして合同結婚式?」
「そうすれば来月末にはサトちゃんと一緒になれるから」
「え? え? それは……だめでしょ?」
「どうして?」
常識として!
「だって……新郎さんはさておき、新婦さんは嫌がるんじゃない? 一生に一度のことだし……」
「ダメもとで聞いてみる」
マジか!
「大輔くん。落ち着いて」
「落ち着いてる。渡りに船だろ? 月曜日、会社に来れる?」
「明日?」
「昼間だったら智樹……あ、結婚する従弟が駒沢智樹って言うんだけどね。明日の昼間なら来られるって言うから呼んである」
すでに?
「合同結婚式のこと、もう話したの?」
「いや、大事な事だから会って話そうと思って」
「……そんなに急がなくても良いと思うけどなあ……」
「ダメもとで、だから」
「うん……」
「まず大吾に結婚の許可を取って、智樹に合同結婚式の許可をもらって……来月には晴れて夫婦かあ」
勝手な妄想を膨らませておられるようですが……ダメもと、なんですよね?
それとも神崎の親戚筋では合同結婚式なんて常識、とか?
まるでもう本決まりのような嬉しそうな彼を見ていると、水を差すのも憚られて、取り敢えず口をつぐんだ。
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そうして月曜日。
コンコン。
「どうぞ」
「失礼します……」
恐る恐る社長室に顔を覗かせ、まだ彼以外誰もいないことを確認して胸を撫でおろす。
「あれ?」
中に入って行くと、大きなカバンを携えた私を見て大輔くんは首を傾げた。
「お花持ってきてくれたの?」
「これはサービスです」
「何の?」
「て言うかて手ぶらじゃ来れないよ」
「どうして?」
「前に来た時の事もあるし……あの花屋、何なんだって社員の方たちが不思議に思ってるんじゃないかと……」
社長室に友田さんが呼ばれて、お茶を持ってきた女子社員が怪訝な顔で彼女を見ていた。あれ、そう言えば何で花屋まで同席してんだ? と私なら思う。
「駒沢専務の知り合いの店って事になってるから、俺ともつながりがあると思ってんじゃないか?」
「……ああ……」
そうか私たちを会社に紹介してくれたのは駒沢専務さん……
「って事になってる?」
まるでそうじゃないみたいじゃない?
「え、いや、あの……ゴメン。俺がそう言うことにしてくれって専務に頼んだ」
「……え?」
「彼は俺の母の従弟で……まあ従弟叔父って言うのかな。あ、勘違いの無いように言っとくけど、俺がサトちゃん達の店に叔父さんを送り込んだわけじゃないから。俺の知らない間に、勝手に、いつの間にか常連になってて。ま、俺の事を心配しての事だと思うんだけど。それで……会社の花を頼んだらどうだって提案も叔父さんからで、それでまあ、俺がじゃあ総務に指示しといてって感じで……。サトちゃんあの頃、俺のこと避けてただろ? だから、俺からのお願いだと聞いて貰えないかもと思って……」
早口でまくし立てる彼に呆気に取られた。
ええとつまり、駒沢専務さんの会社の社長がたまたま大輔くんだったんじゃなくて、大輔くんの事を心配した専務さんがウチの店に、ってこと? 確かにあの頃、これ以上関わるまいと彼を避けていた。彼に直接注文を受けていたら、店の利益を無視して断ろうとしたかも知れない。
「つまり……駒沢専務さんは私たちのことを?」
「知ってて後押ししてくれてる」
「大輔くんのお母様の……?」
「従弟」
「じゃあもしかしてお母様ももう……」
ご存じで?
「いや、母には話は行ってない。俺が母とぎくしゃくしてるのは叔父さんも知ってるし」
「そう……」
ギクシャクさせた原因が自分なだけに、胸の奥がチクリと痛む。
「怒った?」
「え?」
「黙ってたこと」
「いや、私も……あの頃は知らなかったとはいえ意固地になってたし……態度悪かったから」
社会人としてもあるまじき態度だった。千奈美にも余計な心配をかけて。
「大輔くん何もしてないのに私に逃げられて、再会したと思ったら今度は避けられて……ゴメンね」
何でまだ好きでいてくれるんだろ?
「そんな終わった話気にしないで。サトちゃんが怒ってないならそれで良いよ」
彼がホッと息を吐いた。
「そうだ、千奈美さん怒ってなかった?」
「え?」
「私用で呼びつけ過ぎだって……」
「うん……」
怒っていないけど嫌味は言われた。
『アンタたち毎日毎日どんだけいちゃつけば気が済むのよ。学生か!』
言ったつもりはないのに、どうして毎日会ってることがバレているのだろう? ここ数日の事だが……。
けれど、恐らく私がここに来ている間に、また達郎さんがこれ幸いと店に顔を出しているはずだ。この間会った時に一応釘は指したつもりだが……。
『達郎さん。千奈美と付き合えるようになって嬉しいのはわかるけど、お店だから……ね』
真っ赤になって目を泳がせた彼は『ち、千奈美……怒ってました?』と猫背の体を小さくした。
怒るような何をした? てかもう呼び捨てにしてるんだ。聞いてるコッチが恥ずかしいよ。
『怒ってたよ。神聖な職場を何だと思ってるんだ、って』
嘘、そんなこと言っていない。でも、そのくらい言っておかないと、何をしでかすか分からない。
「お昼は食べてきた?」
「うん」
また昼食を用意してもらうのも申し訳ないので、前もって食べていくと伝えたのだ。
「大輔く……神崎社長は?」
「神崎社長は先ほどサンドイッチをお召し上がりになりました」
芝居がかった口調でそう言って、彼がにこやかに微笑んだ。
「大吾と友田くんにも昼食後に来るように言ってあるから」
「うん……じゃ、急いでお花活けちゃうね」
息子に実の父は神崎社長だと告白して、結婚の許可をもらい、従弟に合同結婚式にして欲しいとお願いして、息子カップルを食事に誘う。
最後の一つを覗いてこんなに重大なことを、全部一緒に済まそうと言うのか。いや、もし大吾が許せないとなったら、食事会さえも難しくなるわけだが……。
「綺麗だね。それは何て花? 色は違うけど同じ花?」
テーブルの上に広げた切り花を覗き込んで彼が言う。
「うん。トルコ桔梗」
「花言葉は?」
「トルコ桔梗は花言葉が沢山あるんだけど……【良い語らい】とか【永遠の愛】とか……」
「へえ、良いね。今日にぴったりだ」
【花嫁の感傷】とか……
本当に私はこのまま大輔くんと結婚して大丈夫なのだろうか?
『私、仕事は続けて良いのかな?』
昨夜、正直に彼に尋ねた。
『勿論』
即答だった。
『社長夫人になっちゃうってことだよね?』
『海外じゃないんだから夫婦同伴で云々なんてめったにないから安心して。家事も無理しないで良いし、お互い忙しくてどうしてもって時は家政婦さんを雇おう』
『親戚づきあいとかは……』
『俺自身が疎遠だからなあ……ま、とにかくサトちゃんが負担になりそうな事は俺がブロックするから大丈夫』
話が上手すぎないだろうか? どこかに大きな落とし穴があるのではないかと不安になってしまう。
不安要素がない事に不安になるなんておかしいと自分でも思うのだが……。
いや、ある。
唯一の不安要素、彼のお母様。
私と大輔くんが付き合ってると知ったら、彼のお母さんはきっとショックを受けるだろう。大輔くんは感謝すると言ってくれたが、大吾を勝手に産んだことも許してもらえないかも知れない。年配のご婦人を動揺させることになるのではないかと思うと、申し訳なさで一杯になる。
大輔くんは許可をもらう必要はないと言っていたが、やはりそういう訳にはいかない。大事な一人息子が知らない間に気に食わない女と結婚なんて悲惨だ。疎遠になっているなら尚の事、せめて気のすむまで嫌味でも恨み言でも拝聴しよう。
反対されても今更もう、彼の温もりを諦めることは出来ない。
実は恥ずかしながら、日曜日の夜も彼と一緒のベッドで眠った。
『酒を飲んだから車で送っていけないし、夜道は危ないし、帰ってる時間がもったいないだろ?』
帰ろうと腰をあげた私に、泊まって行けと彼が言った。
『着替えを持ってきてないから……』
『大丈夫持ってきてある』
『え?』
『悪いと思ったけど、サトちゃんとこのクローゼット開けて……』
と言ったきり視線を逸らす。
まさか!
『え? 下着とかも?』
信じられない!
『怒った?』
『怒った』
『でも、でも、コッチにも着替えを置いておいたほうが良いと思うんだよね? パジャマは買ったんだけど、下着や仕事着はサイズが分からないから……』
そういう問題じゃない。
『親しき仲にも礼儀あり』
『……だよな』
そう言って睨みつけても効果は無かった。謝りつつも風呂に追い立てられて、私の家から調達してきた下着と、新品のパジャマを押しつけられた。
比較的キレイな下着を持ってきてくれたようだが……。
もう! 貧乏性で捨てられないヨレヨレのブラとかも仕舞ってあったのに!
『似合う似合う。そのパジャマ、サトちゃんぽいなと思って買ったんだ』
『……ありがと』
風呂上がりにもう少し嫌味でも言ってやろうと思ったのに、嬉しそうな笑顔にごまかされてしまった。
『じゃ、俺も風呂に入ってくる』
『うん。あ、お水もらって良い?』
『冷蔵庫にミネラルウォーターが入ってるからどうぞ。てか、聞かなくても何でも自由に使って』
『はい。いただきます』
リビングでゆったりと水を飲んでいると、早々に彼が風呂から上がって来た。彼の着ている淡いグリーンの縦じまパジャマを見て首をかしげる。
あれ? どっかで見たことが……視線を自分の胸元におろして、口に含んでいた水を吹き出しそうになった。
『お、お揃い!?』
『へへ……』
全く同じパジャマだ。勿論サイズは違うが。
は、恥ずかしい……。
『寝よ』
言葉を失っていると手を引かれて寝室に連れ込まれた。
モノトーンで統一された彼の寝室は、柔らかな間接照明の灯りに照らされている。
部屋の中央に堂々と置かれたベッドは、私のとは違って二人で寝ても余裕がありそうだった。
『これならゆったり眠れるね』
『そう? やっぱ昨日熟睡できなかった?』
『え? あ、ううん』
朝までぐっすりだった。
ベッドの上掛けをめくって、彼が先にベッドに入る。
『どうぞ』
『お邪魔します』
もう躊躇することなく、彼の腕の中に滑り込んだ。
昨日の今日で厚かましいとも思ったが、一晩でクセになる程、彼の腕の中は心地良かった。
大きな彼のふところは温かで、あまりにも安心で、今度はダブルサイズのベッドだったにも関わらず、ぴたりと体を彼にくっつけて眠った。
彼が私に何か話しかけた気がするが、それに返事をしたかどうかは覚えていない。優しい声を子守歌に、とろける様に気持ち良く眠りに落ちて行った。
「えと……従弟さんの婚約者さんも呼んでるの?」
作業を終えて道具をかたずけ、応接セットの椅子に腰かけると、大輔くんが隣に座った。
「うん、内の社員だからね」
「え? 従弟さんの婚約者さんが?」
「芝山くんて言って、内の庶務課に在籍してる」
「へえ……」
社長の頼みなら立場的に断りにくい可能性もある。彼女の表情を良く観察して、少しでも嫌そうにしたなら助け舟を出そう。
「……何か……緊張してきた」
「……じゃ、緊張を解くおまじない」
「え?」
顔を上げると視界が遮られて、彼の唇が触れた。
私の唇に。
「!」
驚いて固まっている内に、ガチャリとドアの開く音がした。
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