36、お持ち帰りですか?
+-+-+-+-+
サトちゃんの家まで車を走らせている途中、耳に飛び込んできた言葉に驚いた。
「え? 千奈美さんと?」
「うん。詳しくは教えてくれないんだけど、兎に角そういう事になったから、って」
あの本屋の末成りが?
「……てかアイツ、生活力あるのか? 失礼だとは思うけどあんな小さな書店、このご時世だから経営も苦しいんじゃあ……」
「木下書店さんはあの辺一帯の地主さんなの。マンション経営とかでも収入があるから、書店は道楽みたいなもんだって近所の人に聞いたことがある」
「つまり、あの息子は碌々働きもしないで親の財産だけで暮らしてるってことか?」
「あ、ううん。達郎さんも趣味が高じてそれなりに収入があるみたい。古書店巡りが趣味で、ネットでは稀覯本ハンターとか言われてて、独自のネットワークでもって、人から依頼を受けた本を探してその手数料で収入を得てるんだとか……」
「はあ……そんなことが……」
うすぼんやりとしたイメージしかないが、あの千奈美さんを口説き落としたと言う事はそれなりに行動力のある男なのかも知れない。
「達郎さんが千奈美に片思いしてたのは私も気付いてたんだけど、千奈美は素っ気なくてその気はないのかと思ってたの」
そうか、あの末成りが狙ってたのはサトちゃんじゃなかったのか。気を揉んで損した。
「それが急に?」
「千奈美は自分に気があるとは気づいてなかったみたい。それが急に告白されて、まあそういうことになったんだって」
「そうか……ゆうちゃんはもう知ってるのか?」
「まだ言ってないみたい。でも、ゆうちゃんは達郎さんに懐いてるから、そんなに嫌がらないかも……」
「近所のよしみで?」
「と言うより、達郎さんゆうちゃんの通ってる幼稚園ではちょっと人気者らしくて……」
「どうして?」
「お話しボランティアに参加してるんだって」
「お話ボランティア?」
「うん。木下書店のおすすめ絵本、とか言って月に何度か……」
それはたまたまだろうか? それとも……。
「実は千奈美に、私たちの事言いあぐねてたの……」
「え?」
「て言ってもま、バレてたみたいなんだけどね。その……千奈美は色々と辛い事があったから、私だけ幸せで良いのかなって……だから、千奈美に達郎さんが居てくれることが本当に嬉しくて」
幸せ? 俺とのことを幸せと思ってくれてるのか。うわっ、テンション上がる!
「上手く行くと良いね」
「うん」
ああ、なのにもうすぐ彼女の家に着いてしまう。ずっと一緒にいたいのに。
先週と今週の火曜日は定時で退社して彼女の家まで行き、自分の家にお持ち帰……いや、連れて帰った。
しかし『私が見てないと大吾がご飯を食べない』と言うので、小一時間程しか一緒に居られず、送っていく手前酒も飲めず、主に夕飯を一緒に作ってタッパーに詰める作業に勤しむばかり。
今夜も二人、清らかな共同作業を終え、タッパーを膝に抱いた彼女を車でこうして送っている。
「あ、そうだ。ゆうちゃん喜んでたよ」
「え?」
「こないだのプレゼント」
「ああ。それは良かった」
「神崎さんと結婚しようかなあ、だって」
「はは……」
さも面白そうにコッチを見る彼女が憎らしい。
冗談だと分かっているだけにすねるのも大人げない。しかし俺だったら、冗談でも彼女が他の男と……なんて考えたくもない。たとえ相手が幼稚園児だとしても。
くそう、帰したくない。何しろ、未だにキスもさせてもらってないのだ。抱きしめるとわたわたする。顔を近づけると真っ赤になって逃げる。強引に『俺のもの』宣言をしたものの、実は彼女が俺を好きかどうかは確認できていない。俺に確認せずに失踪したことを申し訳なく思っていて、罪滅ぼしの為に俺の傍に居るのかも知れない。あるいは息子の父親である俺と結婚するのは自然の流れと思っているだけかも。
隙あらば抱きしめて、ああもしたいこうもしたい……ではなくて、会えなかった間のあれやこれやを埋めていきたいのだが、話は息子の恋の行く末にばかり流れて行き、そういう雰囲気にならない。
友田くんは相変わらず仕事以外では口を閉ざしているらしい。やつれて行く大吾を見ているのは辛いが、社長の権限でもって彼女の口を割るのは得策ではないと夫婦で意見が一致した。夫婦で……。夫婦……。
まだ違うけど。
「友田くん、本当に別れるつもりなんだろうか?」
「……会社ではどうなの?」
「気丈に仕事してるけど、ちょっと様子が普通じゃないね」
「どんな風に?」
「彼女も明らかに眠れてない感じ」
「そう……」
化粧でごまかしているつもりかもしれないが、顔色が悪いのは隠しきれていない。廊下ですれ違った時も、その後姿がフラついているような気さえした。
「頑なに会わないってことは、会ってしまえば決心が揺らぐと思ってるからじゃないのかな?」
「私もそう思う」
「だとしたら脈はあるよな」
「うん……」
「でももし、ホントに二人が上手く行かなかったら……」
「行かなかったら?」
「大吾が落ち着くまで、俺たちの結婚は延期だな……」
「そうだね」
すんなりと言われてがっかりする。嘘でももっと残念そうにして欲しい。
「サトちゃんは大丈夫?」
「え?」
「毎日、そんな大吾といて……辛くならない?」
「……正直……」
「うん」
「ちょっと鬱陶しくなってきてて……」
「え?」
鬱陶しい?
「こっちまで気が滅入ってくるし、泣き言ばっか言うし……つい……」
『うじうじうじうじ男らしくない! もういっそ帰宅途中に捕獲して監禁して心身ともに洗脳して来い!』
「え?」
「急に変なスイッチ入れるな、って大吾に怒られた……」
「サトちゃんがそんなこと言ったの?」
「うん。ごめんね。大輔くんの息子でもあるのに……優しい母親じゃなくて……」
「いや……ぷ……」
「あ、今笑った」
「笑ってない」
「笑った」
堪えきれず、車の中で爆笑してしまった。
「そんなに笑わなくても……」
「いや、良いよ。監禁して洗脳ね」
「息子を犯罪者にするつもりかって言われたけど……そうじゃなくて、だってホントに……イライラしちゃって……。彼女だって苦しんでるに違いないのに、自分ばっかり辛そうにして……。まあ、監禁とか洗脳とかは言い過ぎだけど、多少強引でもちゃんと話をしないと……終われないのも、お互い辛いでしょ?」
「そうだな。終わって欲しくはないけどね」
「うん……」
何しろ、大吾が本格的に失恋したら、そのタイミングで父親だと告白するのも気が引けるし、サトちゃんとの結婚も遠のく。許せ大吾、自分本位な父親を。でも心から、お前の恋愛成就を願っている!
「あ、ここで良いよ。ありがとう」
ああ、残念。彼女のマンションの前に着いてしまった。
「大吾、もう帰ってるかな?」
「多分ね」
「来週は何が良い?」
「来週?」
「うん、何が食べたい?」
俺は君が食べたい。こんな風に慌ただしい逢瀬じゃなくて、ゆっくりと……
ああ! 今俺の頭の中を覗かれたら、完璧に愛想をつかされる!
「うーん……筍ご飯とか食べたいけど……帰ってから作ってたら時間が足りないか」
「いや、それなら朝に仕込んどけば大丈夫」
「忙しくない?」
「好きだから大丈夫」
「……あ、ご飯作るのがね……」
ジッと見詰めると目を反らす。
「大輔くん……ホントに料理上手なんだね。手際も良いし……」
「一人暮らしが長いからね」
「……実家を出たの……私のせいだよね」
「いや、俺が子供だったからだよ」
「留年したのも……」
「それも俺のせい。サトちゃん、怒るよ」
何気なく話した俺の不甲斐ないこれまでを、彼女はどうしても気に病んでしまうらしい。こういうのを聞いてしまうと、やっぱり罪滅ぼしで俺の事を受け入れてくれたのだろうかと不安になる。ただ、一緒に笑い飛ばしてくれれば良いのに。
「サトちゃんこそ、俺のせいで実家を出て、俺のせいで未婚の母になって……」
「違う。それは私が選んだことだから……」
「じゃ、やめよう。お互い過去のことで自分を責めるのは」
「……うん」
「あ、そうだ。これ渡しとく」
「え?」
キーホルダーから鍵を一つはずし、彼女に渡す。
「俺の部屋の鍵。忙しいからそうは来れないだろうけど、火曜日とかは……俺が居なくても来てくれていいから」
「……あ、そうか。先に料理の準備とかしといて良いってことね?」
「うん……まあ、それもあるけど……単に俺の家にサトちゃんが居てくれたら嬉しいなと……」
「ん?」
「俺たちって、恋人同士だよな?」
そう言うと彼女が目を瞬いた。
「え……ま……はい……あの……そ、そそ……ソウデスヨネ……」
見る間に顔が赤くなる。
「結婚も受け入れてくれたってことで、婚約者でもあるよな?」
「ま……すぐにじゃないデスガ……はい……」
「だから、あの部屋はもうサトちゃんの部屋でもあるわけです」
「……あ……はあ……ソウデスカ?……そうなのカナ?」
ダメだ。
合鍵を渡して、それっぽい雰囲気を醸し出し、キスする間合いに持って行こうと思ったのに。完全に警戒している。
鍵を握りしめる彼女の手に手を伸ばすと、ビクンと体を震わせる。怖がられてる?
仕方なく手の甲をするりと撫でるだけにとどめる。
「ハンバーグは食べる前にもう一度ソース毎煮込んでね」
「はい……お、おやすみなさい」
「おやすみ」
車を降りて、逃げる様にマンションの中に消えていく彼女の背中を、名残惜しい気持ちで眺める。
大吾……お願いだから早く、友田くんと上手く行ってくれ!!
+-+-+-+-+




