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この世界のどこかに  作者: 碇 カマス


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34、一緒に居たい

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泣きじゃくる彼女を抱きしめながら「ごめん」と何度も謝った。偉そうに『俺のもの』なんて言ったくせに、同時に俺なんかのせいで、という気持ちもせり上がってくる。

 

『大ちゃんに関わったばっかりに、聡美さんは人生を大きく狂わされたんだから』


 時子叔母さんの言葉が重く心にのしかかる。


「何で、ごめん? 大輔くん……何もしてないのに……」


 やっと泣き止んだ彼女が顔を上げる。


「そもそも、俺と関わってなければ、サトちゃんは人生を狂わされることは無かった」

「……そんなの……分からないじゃない」

「え?」

「単に私が、そういう事態を引き寄せやすい性格なのかも……」

「まさか……」

「……高校生の時、同じクラスの男子からね、付き合ってって言われたことがあって……」


 何だその話? 初耳だぞ。


「大輔くんと出会う前、夏休みに入る前の事で、バイトに忙しいし……ムリです、って断ったんだけど。クラスメイトからは何で断ったんだって怒られて……」

「……男前だったのか?」

「……どうかな? せっかく告白してくれたのにバイトで忙しい、って理由があんまりだと思われたのかも……。でもそのコね。その後、コッチの世界に入ったんだって」

「は?」


 言いながら彼女が、人差し指で自分の頬に一筋の線を引いた。


「もし、私がそのコと付き合ってたら、勿論大輔くんと付き合ってなかっただろうし、そのまま付き合ってたら今頃私、極道の妻だったかも」


 いや、きっとそうはならなかったろう。サトちゃんと付き合っていれば、その彼の人生は変わっていたはずだ。髪をきりりと結い上げ着物の片肌を脱ぐ彼女を想像してみたが、エロティック過ぎてムダに興奮しただけだった。


「何で赤くなってんの?」

「着物は似合うと思うけど、極道の妻は似合わないな」

「そうかな? 私結構気が荒いから、そうなってたら案外……」

「舎弟どもが姐さんにぞっこんで、そのヤクザの彼も気が気でないだろうな」

「はい?」


 極道の妻よりは今の人生の方がましだと気をつかってくれるのか。


 少しくらい恨み言を言ってくれた方が罪悪感はぬぐえるのだけど……。


「じゃあ、俺に関わったことは後悔してない?」

「うん」

「妊娠させられたことも、怒ってない?」

「だって妊娠させる気なんて無かったでしょ?」

「あった」

「え?」


 既成事実でもって現実をねじ伏せようと本気で考えていた。


「俺はサトちゃんが好きで好きでたまらなかったけど、サトちゃんはそうでもなかったろ?」

「え……いや……」


 そのクラスメイトは断られるのを想定していないモテ男だったのかも知れないが、俺は違う。断られるのを想定していたから、何度も食い下がった。付き合ってからも、彼女が夢中になるような男と出会う前に、籍だけでも入れられないものかと本気で考えていた。


「早く一緒になりたかったし、いっその事って考えたりもした。流石にそれは自分勝手すぎるなと思って避妊はしたけど……」


 結果的にちゃんとできていなかったわけで……。


「ごめん」

「……てか、私が勝手に産んだことは?」

「え?」

「大輔くんの許可もなく勝手に大吾を産んだことは怒ってないの?」

「まさか。良くぞ産んで育ててくれたと感謝してるよ」

「……そう」

「大変だったろ?」


 そう言うとまた彼女が泣きそうな顔をした。


「私って運が良いから……」

「運が?」


 どこが?


「旅館の女将さんや先輩が一杯助けてくれたし……」

「……板前さんも?」

「え?」

「板前さんとは……本当に結婚したの?」

「……してません」

「付き合っては……」

「いません。全部嘘です。ごめんなさい」


 良かった。さっき見せてもらったお食い初めのお膳。あの気合の入りようはプロ故か。


「じゃ、結婚は……」

「してません」

「一度も?」

「一度も」


 つまり……お互い初婚て事か……


「婚約期間……いるかな?」

「え?」


 年甲斐もなく下を向いてもじもじしてしまった。


「すぐにでも一緒に住みたい。籍を入れて、一緒に住んで、あとから式でも良い?」

「大輔くん?」

「何?」

「ホントに結婚するの?」

「え!?」


 えええええ!?!?!?!?


「一生一緒に居たいって、言っただろ?」

「……そうだけど……大吾のこともあるし……すぐには……」

「大吾が反対する?」

「いや、大吾は反対しないと思うけど……只でさえ今辛いと思うのに……いきなり子供放って同棲とかは……ケジメも無い気がするし……」

「勿論、大吾とも一緒に暮らしたい」

「だったら尚の事もう少し時間を置いた方が良いでしょ?」

「実の息子なのに?」

「彼女とのことが落ち着くまでは、実の……とかその話は待った方が良くない?」


 確かに、自分は失恋したのに同居の親に目の前でイチャイチャされたら素直に祝福できないかも知れない。(いや、イチャイチャは俺の一方的な願望だが)てかそもそも実の父親としての俺を受け入れてくれるだろうか?


「それに、大輔くんのお母さんは?」

「そんなの文句を言わせない。サトちゃんが会いたくなければ、無視したって良い」

「ちょ……ちょっと落ち着こう。それはダメよ。やっぱりちゃんと、許してもらわないと」

「芙沙子の事に、俺の母親が関わってたとしたら?」

「そうなの?」

「本人は知らないって言ってたけど……」

「もし、そうだとしても息子のことを思ってしたことだろうから……」

「サトちゃん。そう言えば……芙沙子の事は怒ってないの?」


 二人で居られることが嬉しくてすっかり失念していたが、事の発端はヤツだった。


「芙沙子さんのことはショックだけど……はい、ショックです」

「それだけ?」

「その位、大輔くんのことが好きだったんだなって……」

「そこ?」


 人が良過ぎないか? それともやっぱり俺への執着がなさすぎる?


「だって、順番から言えば、芙沙子さんの方が先でしょ? 婚約者になったのは」

「いや、俺は全く知らなかったからね。俺からしたらサトちゃんの方が先だよ」

「大輔くんはそうかも知れないけど、芙沙子さんは何年も前に親からそう言われてたって……」


 知るか。どうせ母親同士の茶飲み話だろ。子供の人生良いように決めるなんて、一体いつの時代の話だよ。


「……あ、そうか」

「え?」

「前にサトちゃんが『芙沙子さんは、良いお母様になられたでしょうね?』って聞いたのは俺と所帯を持ってるって思ってたからか……」

「……はい」

 

 俺はあの時、あんな女が子供を産んで繁殖してるなんてゾッとする、と思っていた。世間話程度にとらえていたが、あの時質問の真意を尋ねていれば、もっと早くお互いの誤解が解けていたかもしれない……。


「あの後、芙沙子さんは……」

「暫く付きまとわれたけど、無視し続けた」


 実家を出た時、親にも新しい住所を伝えていなかったのに押しかけられて恐怖した。反応したら負けだと思い、兎に角無視し続けた。そうこうする内、芙沙子の父親であるワンマン社長の良くない噂を聞き、これ幸いとマスコミにリークした。母親の方は旧家のお嬢様だったらしく、世間の誹謗中傷を避ける様に娘を連れてあっさりと田舎に引っ込んだと聞く。


「……あんな綺麗な人に好かれて、どうして?」

「綺麗? どこが?」


 恐怖体験でしかない。


「昔から思ってたけど……大輔くん変わってる」

「サトちゃん以上に魅力的な女性なんて、俺は知らない」

「!」

「ちょっとおっちょこちょいで、可愛くて」

「タイム!」


 タイム?


 顔を反らして何かをじっと耐えている。昔からそうだ、俺が彼女の良いトコロを褒めたたえようとすると必ず途中で待ったが入る。


「分かったよ。取り敢えず大吾の方が落ち着くまでは我慢する」

「何を?」


 いちゃいちゃしたいのを。


「色々。色々我慢する」


 なるべくね。


「だからその間、どんな男が寄ってこようとよろめいたりしないように!」


 かなり本気でそう言ったのだが、コレが彼女には大ウケした。


 笑わせようとしたんじゃない。釘を刺したんだが……。


 涙のあとを拭いながら笑う彼女を捕まえて、唇を重ねようとしたその時、無粋な電子音が鳴った。


「大輔くん、電話」

「……分かってるっ」


渋々彼女を開放して、胸元から携帯を取り出す。


「……あ! 大輔くん! もうこんな時間!」


 壁時計を見て彼女が驚きの声を上げる。感覚的にはここに来てまだ数分しか経ってない様に思うのだが、確かにとっくに昼の休憩時間は過ぎていたようだ。


『社長! 今どちらですか?』


 秘書室長の矢野くんだ。


「ごほごほ……今、病院だ」


 そう言うと、彼女が目の前で驚いた顔をする。可愛い。


『え? どうされました?』

「ちょっと風邪をひいたみたいでね。薬だけでも貰おうと思って来たんだが、待ち時間が長くて……どうした? 急ぎの用事か?」

『KRY工業の桐山会長からお電話がありまして……』

「わかった。こちらからかけ直す」

『2時半には来客の予定も……』

「うん。間に合うように戻る」


 ああ、嫌だいやだ。こんなに仕事に戻りたくないと思ったのは初めてだ。


「そんなウソ、社長がついて良いの?」


 電話を切って胸にしまうと、サトちゃんに睨まれた。サボリ慣れていると思われただろうか?


「正直に言ったら困るだろうなと思って」

「え?」

「泣き虫の妻をあやしてたとか」

「……妻じゃありません。まだ……」


 再度顔を寄せたが、よけられた。顔が真っ赤だ。ああっ、もう!


「会社に戻るよ」

「はい」

「また、連絡する」

「はい」

「……サトちゃん」


 玄関でまた抱き寄せてしまう。


「早く行かないと……」

「行ってらっしゃいのキスは?」

「大輔くん!」


 怒られた。


 せめてもとフェイントをかまし、辛うじて頬にキスをお見舞いして彼女の家を出た。


 彼女が上げた小さな悲鳴を、閉まりつつあるドアが飲み込む。


 ああもうっ。可愛い。


 身もだえしながら駐車場に向かった。



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