31、特別
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勢い良く入ってきた大吾が、予想外のメンバーを見て固まった。
「おお、大吾。どうした?」
「大吾、ノックくらいしなさいよ」
ここに来ることは当然息子には言っていないんだろうな。サトちゃんの眼が泳いでいる。
「か、母さん? なんでココに……」
「近くに来たから寄ったのよ。で、だい……神崎社長がアンタの彼女に会ってけって言うから……」
サトちゃんが俺をチラと見て目で謝っている。仕事で来たと言っても、どちらにしたって目当てはこっちだとバレてしまう。なにしろ社長室にまで呼び出しているのだから。
「は?……そんなことで?」
大吾は脱力すると友田くんの隣に座り込んだ。
「どうしたの?」
「席に戻ったら理恵が社長に呼ばれたって聞いたから……心配で……」
姫を助けに来た王子様か。余程心配したのだろう、息が荒い。もしかしてエレベーターが待ちきれずに階段を駆け上がって来たんじゃないか?
「社長とは知らぬ仲でもないから、誤解だって弁明したくて……」
「何を?」
「何か分かんないけど……」
よほど夢中らしい。主に大吾が。
「それにしても……来るなよ息子の勤めてる会社に……」
「あら、アンタに会いに来たんじゃないわよ」
サトちゃん、友田くんに会いに来たって言っちゃってるよ。
「バカ息子に纏わりつかれて困ってるかもしれない女性を気遣いに来たのよ」
「帰れ。おじさ……神崎社長も、母の好奇心に付き合うことないですからね。行こう、理恵」
友田くんの手を当然の様につかみ大吾は立ち上がった。
親の前だからと躊躇ったりはしないらしい。少なからず驚いた。
「ねえ大吾」
出て行こうとする大吾をサトちゃんが呼び止める。
「何だよ」
「私、友田さんを何処かで見たことがあるような気がするんだけど……」
そう言われて大吾が顔をこわばらせた。
「そ……そう……気のせいじゃないか?」
眉間に皺を寄せたサトちゃんが、思い出を手繰るように視線を巡らす。
「あれ? ……友田さん、もしかして……学生の時何かボランティア活動をなさってませんでした?」
「母さん。俺たち忙しいから……」
「え? ええ。……ひとり親世帯の子どもたちに勉強を教えていました」
「やっぱり、友田先生!」
「え?」
「北柴地区で小中とお世話になった大江です」
「はい?」
「大吾覚えてない? アンタが珍しく懐いてた、学生ボランティアの友田先生」
学生ボランティア?
「え?」
驚いた顔で友田くんが大吾を見上げる。
どうやら本当に知り合いだったらしい。
「大吾、もしかして……気付いてた? 友田さんがあの時の先生だって……」
大吾は視線を反らしながら、ほんの小さく頷いた。
「気付いてた?」
友田くんの声が震えている。
あれ? これは……もしかしてマズイ事態では……。
「理恵……」
「すいません……あの……そろそろ仕事に戻らないと……」
彼女は大吾の手をやんわりとほどいて立ち上がると、俺たちに会釈した。
「ああ……悪かったね……」
「理恵……」
「先に戻るね。だい……大江くんはお母さんとゆっくり……」
ドアを開くと友田くんは振り向きもせずそう言った。
「ちょっと待っ……」
「大吾、待ちなさい」
彼女を追いかけようとした大吾は、サトちゃんの声に仕方なく動きを止める。静かに閉じたドアを前に、まるで置いて行かれた子供の様に。
「アンタ、もしかして……先生が居るのを知ってこの会社に入社したの?」
「……」
大吾はため息とともに、また無言のままうなずいた。
「ストーカー!?」
「いや、違うよ」
「ストーカーでしょうよ。なんでこの会社に居ることを知ってたのよ」
「知らなかったよ」
うなだれたままコチラを振り向き、力なくソファに座り込むと、大吾は頭を抱えた。
「去年……おじさんが会社に見学に来いって言ってくれたでしょう? その時に彼女を見かけて……」
「……おかしいと思ってたのよ。アンタ縁故で入社とか嫌がりそうなのに、あっさり神崎のおじさんの会社に就職する、って……。実の息子がストーカーだったとは……」
「違うって……」
「ならどうして先生に自分のこと黙ってたのよ」
「最初は言おうと思ったけど……学生ボランティアとは言え、教え子に違いないだろ? ただでさえ8歳差を気にして相手にしてくれなかったのに、その上出会いが小学生の時だなんて知ったら……」
小学生の時に出会った彼女を忘れられなかったという事か? 何年だ? 単純計算でも、10年……。大人になってからの10年とは違う。成長著しい時期だ。小学生の時の大吾、サトちゃんが子供の頃から大人びていたと言っていたが、どんなだったのだろう? 見当もつかない。
「ああー! なんで急に来るんだよ、母さん!」
「こらこら大吾。お母さんを責めてどうする。騙したまま付き合って、適当に別れるつもりだったのか?」
ずっと好きだったのだろうか? 女性として? それとも、再会して恋に堕ちた?
「いえ、とんでもない。一生一緒に居たいと思ってます」
「なら、いずれお母さんに紹介した時点で、遅かれ早かれバレたと言うことだろう?」
「……はい」
恐らく母親に会わせるまでに、確固たる関係を築いておくつもりだったのだろうが……。
諦めが悪いのは血筋だろうか?
「さて、それで彼女との事はどうするんだ?」
「あの様子じゃ振られるわね」
「!」
サトちゃんの言う通り、確かに一度は振られるだろう。その位彼女もショックを受けている様子だった。
「今まで付き合ったのって年下ばっかじゃなかった? そんなに守備範囲が広いとは知らなかった」
「彼女は特別なんだよ。年とかどうでも良いんだ」
特別。そうだ、特別なんだ。
「そうか、特別な女に再会しちまったんならリリースはありえんな」
「はい」
「そういうことだよサトちゃん。俺も諦めないから」
「は?」
振り向いてそう言うと、彼女口をぽかんと開けて首を傾げた。
やっと目が覚めた。俺はまだ何もしていない。彼女との未来を手に入れる為の努力を、何も。
「大吾。いい機会だから言っとく。俺は君のお母さんに惚れてる。これからアグレッシブに口説くから宜しく」
「大輔……?」
驚く顔も可愛い。自然と笑みがこぼれる。
「どうぞご自由に」
こっちは全く驚いてないな。バレてたか。
「ありがとう」
「ありがとうじゃないわよ。ふざけたこと言ってないで……」
「神崎社長。こんな下心でこの会社を選んで申し訳ありませんでした」
「いや、仕事は真面目にやってるんだろ?」
「勿論」
「じゃあ問題ない。俺が君でもそうする」
「ありがとうございます」
二人のやり取りに呆気に取られている彼女に大吾が言ってくれた。
「母さん、『俺が君でもそうする』と言ってくれた神崎社長に俺から一票」
「は?」
「早く子離れしろってこと」
「はあ?」
喧嘩なら買うぞと言わんばかりに立ち上がった母親を尻目に、大吾は社長室を出て行った。
「子離れなんかとっくに終わってるっつーの!」
閉じかけた扉に向かって憎々しげに呟く。
「じゃ、俺と付き合ってくれよ」
「はい?」
「子育ても済んで、一段落だろ? 」
「私は昔の男とよりを戻さない主義なの」
何の冗談だと言わんばかりに、彼女が顎を上げる。
「好きな男が居るのか?」
彼女を支えた誰かに未練がある? そんなヤツ蹴散らしてやる。
「居ないわよ。そういうことからはとっくに卒業したの。面倒なの」
「大吾を安心させるためにも、身を固めたほうが良いんじゃないか?」
そう言うと彼女の眉間の皺が一層深くなった。
「はい? 今まで女一匹、楽しくやって来たわよ。男なんかいらないの。だいたい、何よ、急に惚れてるとか……再会してからコッチ、そんな話したこと無いじゃない」
「また逃げられたら嫌だから、良い友人のフリをしてたんだ」
俺が本当に怖かったのは何だ? 彼女を失う事? それとも彼女から否定されること?
「はあ?」
「大吾の父親は俺だろ?」
「……違うってば」
「体つきなんかそっくりだ」
「あの子の父親も大柄な人だったから……」
「じゃDNA鑑定を……」
ホントは違ったって構わない。けれど、それを理由に彼女を自分のものにできるなら何だってする。
「あ、いけないもうこんな時間。仕事中に悪かったわね。じゃ」
彼女はカバンを肩に掛けると、俺が引き止めるのも聞かずに部屋を出て行った。
その態度が答えだろ?
もうこんな風に冷たく突き放されてもめげたりはしない。
もう逃げない。逃がさない。
そう決心すると、いくらでも力が湧いてくるような気がした。
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