30、社長がお呼び
+-+-+-+-+
月曜日、千奈美に店を任せて彼の会社に向かった。
昼前にと言われていたが思ったより早く着いてしまった。受付で要件を伝えると「承っております。そのまま最上階の社長室までお上がり下さい」と愛らしい受付嬢に言われた。
すでに何度か訪れているので、エレベーターで最上階に上がり、秘書課とプレートの置かれたカウンターの横を軽く会釈しながら通り過ぎた。
社長室のドアをノックすると「どうぞ」と声が聞こえた。
「おはようございます」
「おはよう」
「ちょっと早すぎましたよね?」
「大丈夫。先にお花をしてもらおうかな?」
いつも通り、にこやかに微笑む彼に促され、社長室に足を踏み入れる。
「ええと……じゃ失礼して……」
「うん。お願いします」
応接セットのローテーブルに新聞紙を広げ、社長机の横に置かれていた花器をその上に移動する。その横に花材や道具類を置き、作業に取り掛かった。
彼は真剣な面持ちで書類を見ながら、なにやらパソコンをいじっている。
彼女のことを尋ねたかったが、まずは仕事。お互い無言で、作業に没頭した。
そろそろこちらの作業が終わろうかという頃、社長室をノックする音がした。
「どうぞ」
彼が促すと女子社員が入ってきて、お弁当とお茶を置いて出て行った。
「あ、もうお昼ですね」
「うん。一緒に食べようと思って注文しといた」
「え? でも……」
「もう終わるだろ?」
「はい……でも……」
客商売なので、お昼の時間を過ぎてから昼休憩を取ることが多い。店に帰ってから昼食を摂るつもりだったのだが……。
躊躇していると彼は受話器を上げ「ああ、神崎だけど」とどこかへ電話を掛けた。
邪魔してはいけないと思い、整えたお花を社長机に移動させ、ゴミを持って社長室を出た。給湯室のダストボックスにゴミを入れ、簡単に洗った道具を拭いてまとめてから、社長室に戻った。
「彼女、今お昼を食べに行ってるから、戻り次第ここに来るように伝えた」
「彼女?」
「大吾くんの」
「ああ……」
その電話だったのか。
いよいよご対面かと思うと緊張する。正直昨夜は良く眠れなかった。
「これ、カーネーションだよね?」
活けたばかりの花を見て大輔くんが言った。
「あ、はい」
「珍しい色だね」
青いカーネーションは白いラナンキュラスの横で精彩を放っている。
「花言葉は?」
「永遠の幸福、です」
「それはまた……途方もないね」
途方もない? 彼は幸せではないのだろうか?
そう言えば大輔くんが私の家に重い荷物を運んでくれた時、鍵を開けて振り向くと彼が涙を流していたことがあった。昔も今も、穏やかに微笑んでいる印象が強い。そんな彼が流した突然の涙に、激しく動揺したのを覚えている。妻も子もいて、社会的地位があっても何か満たされない思いを抱えているのだろうか?
確かに人の幸せなんて単純に推し量ることはできない。人より多く持っていれば持っているだけの葛藤があるのだろう。
「さ、食べよう」
「ありがとうございます」
「もう仕事は終わったろ? 敬語はおしまい」
「……はい」
今、彼女の事を尋ねるべきだろうか? 『実は俺の娘なんだ。』もしそう言われたら、昏倒しそうだ。しかし倒れている場合ではない。この場で実は大吾は貴方の子だと告白しなければならない。いや、冷静になろう。そんな万が一、無いに決まっている。彼女に会えばわかることだ。
会社での大吾の様子を尋ねながら、上品な幕の内弁当に箸をつけた。勿体ない事に味わうほどの心の余裕は無く。心の内は気もそぞろだった。
「こないだも廊下で大吾と行き会って……」
自然に彼が息子の名前を口にする、気付いているのかいないのか呼び捨てだ、余程親しくしているのだろうか?
+-+-+-+-+
コンコンコンとドアをノックする音がした。
彼が「どうぞ」と言うと「失礼します」とすらりと背の高い女性が入って来た。
「悪いね。仕事中に」
昼食を食べ終えた後、机に戻って仕事の続きをしていた彼が顔を上げる。忙しそうだ。良く考えもせず押しかけたりして申し訳なかったと、今更ながら思う。思い立ったら周りが見えなくなるのは悪い癖だ。
「いえ、どういったご用件でしょうか?」
中々の美人だ。しかしそれよりも背が高いことにどきりとした。芙沙子さんや彼に顔は似ていない気がするが、身長は父親譲りだと言う事もありうる。
互いが話す雰囲気を見るに親子の間合いとは思えないが……。
「まあ、取り敢えず座ってくれ」
促されてこちらに目を向けた彼女と目が合った。
私に会釈すると、彼女は戸惑った顔のまま隅の方に座った。
あれ?
「そんなトコに居ないで、コッチに座りなさい。緊張しなくても良い。彼女は私の……友人なんだ」
「はあ……」
席から立ち上がった彼が応接セットの方に移動しつつ彼女に語りかける。
立ち上がった彼女が彼の前に座り直すとまたしてもノック音が聞こえた。
「失礼します」
女子社員がコーヒーを持って現れた。
「コーヒーで良かったかな?」
「はあ……恐れ入ります」
三つのコーヒーをテーブルに置くと、女子社員が何事かと彼女を凝視してから出て行った。
無理もない、花屋の女と社長との三者面談、妙な顔ぶれに好奇心も湧くことだろう。
申し訳ない。私が会いたいとお願いしたんです。変な噂が立たないと良いけど……。
「どうぞ、飲んで」
躊躇している彼女を促すように、彼はコーヒーカップを持ち上げた。
「いただきます」
こちらをチラと見てから、彼女はコーヒーに口をつけた。
やっぱり……彼女をどこかで見たことがある気がする。
心なしか、彼女もあれ?と言う顔をしたように思う。
「どこかで、お会いしたことがありますでしょうか?」
コーヒーカップを降ろした彼女が、おずおずと訊ねてくる。
「私も今同じことを考えてたの」
「え?」
「君たち、顔見知りなのか?」
「う~ん。ごめんなさい。思い出せないわ」
でも確かに見たことのある顔だ。
「友田くんは?」
「私も……申し訳ありません」
友田、さん? 良かった。やはり彼の娘ではないらしい。少なからず胸を撫でおろす。
いや待てよ、他の社員に知られない様に姓名を偽ってる可能性もあるか……
「奇妙なこともあるもんだな……。さて友田くん、プライベートな事に首をつっこむなと不快に思うかもしれないんだが……君、大江くんと付き合ってると言うのは本当かな?」
「……はい」
思わず彼と顔を見合わせた。彼女にそう尋ねると言う事は、この情報は他から得たと言う事か? まさか大吾本人?
「この女性はね。大江聡美さんと言って、彼のお母さんだ」
「……はい!?」
彼女は驚いて大きな目を見開いた。そりゃそうよね。会社に彼氏の親が押し掛けるとか、ありえない事態よね。内の息子、マザコンじゃないからね。私も息子べったりの母じゃないつもりだから!
空しくも心の中で言い訳した。
「初めまして、大吾がお世話になってます」
「……あ、初めまして。友田理恵です」
「近くに来るというのでね。……その……噂の彼女と会ってみてはどうかと、私がおせっかいをね」
大輔くん、ナイスフォロー。
「……そうでしたか」
「ごめんなさいね。仕事中だから申し訳ないとも思ったんだけど、大吾ったらなかなか会わせてくれないもんだから……会社の人だってのも、大輔……えと神崎社長から教えてもらったの。それで……」
「はい……」
言い訳がましすぎるよね。てか言い訳にもなってないか。
「どう?」
「……どう?」
「母子家庭ってのもあって、あの子、子供の頃から大人びてたのよね」
「はあ」
「ま、彼女とかはそれなりに居たみたいなんだけど……。彼女のトコに入り浸るとか、不安そうにしてるかと思えばニヤニヤが止まらないとか、初めてのことでもう面白くて……いや心配で……どんな方と付き合ってるのかなー……てまあ、好奇心です。ごめんなさい」
私、挙動不審じゃない? 明るい雰囲気に持って行きたくて面白がってる風を装ってみたけど……。いや、彼女が芙沙子さんの子かもと考え至るまでは確かに完全に面白がってたんだけど……。
「あの……私、大江くんよりも8つも年上で……」
8歳上!! 良かった。それなら大輔くんたちの娘さんである筈がない。
心配がただの杞憂に終わって脱力する。
「その……社内では私がたぶらかしたとか噂になっているようなんですが……けしてそのようなことは……」
「そんな噂になってるのか? 駒沢専務はそうは言ってなかったけど」
まあそんな噂が? 面白い。いや気の毒に。
こうなればもう、ただただ普通に好奇心を満足させてもらおう。
「大吾から告白したんでしょ?」
「あ……はい」
「それは聞いてるの。猛烈にアタックしてやっと付き合ってもらえるようになったって」
「そうですか……」
「大丈夫? 無理してない? 一つのことに熱中すると周りが見えなくなるタイプだから……」
あれ? その性格って……誰かに似てないか? いや、それは今は置いておこう。
「……迷惑かけてたり……もしかして、いやいや付き合ったりは……」
「だ……大丈夫です。それは、はい」
「……大吾のこと……」
好きなのよね?
「はい……す……っ……好きです」
真っ赤になって俯いてる。大人びた感じの彼女のその仕草にきゅんとした。見た目はきつそうだが可愛らしい女性のようだ。
「そう、なら安心した」
「はい……」
「あ、変に重たく取らないでね。嫌になって別れても『コラー』とは思わないから、楽しく恋愛して下さい」
親が出て来たからといって重たく取らないで欲しい。あ、でも8つ上と言う事は30歳か……
「でも、さっさと結婚しようと思ってくれてるなら、私もそのつもりでバックアップするから」
「いえ、まだ……付き合って間もないですし……」
「サトちゃんは相変わらずせっかちだなあ。友田さんが驚いてるよ」
せっかちと言うのはアレだろうか? 彼女のことを聞いた途端、会いたいと言い出した。そのことを遠回しに言っているのだろうか? けれど私が何を理由にそうしたかまでは彼も思い至らないだろう。今更ながら勝手な思い込みが恥ずかしい。
それにしても、家での大吾の様子を見るに、今までにない本気度だ。あながちせっかちな結論とも思えないんだけど……。
その時いきなり、轟音を立てて社長室のドアが開いた。
「理恵!!」
ドアを破壊せんばかりに入ってきたのは、大吾だった。
ええー!! 気付かれる前にトンズラしようと思ってたのに!
+-+-+-+-+




