3、再会
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カウンターの奥に座って、鉢物のメンテナンスをしていると、店先で千奈美がお客様と言葉を交わす声が聞こえた。そのまま店内に入ってくる気配を感じて、作業の手を止めて顔を上げると、そこに彼が立っていた。
「いらっしゃいま……せ……」
呆然とした。
狭い店の通路を塞ぐように立つ大柄なその男性は、この二十数年忘れようとして忘れられなかった人物だ。
きっと他人の空似だ。そう思い込もうとしたけれど、同じように驚いた顔が呆然と私を見ている。
息をするのも忘れて固まっていると、彼が先に口を開いた。
「……大江……聡美さん?」
「……はい」
懐かしい声が私の名を呼ぶ。軽いめまいを覚えた。
「俺の事、覚えてる? 神崎大輔」
「……はい」
はい、と答えるのがやっとだった。
二度と彼の前に姿を現さないと約束して欲しい。
そう彼女は言った。
逃げるべきだろうか? この場から? しかしもう20年もの歳月が流れているのだ。今更、私たちがどうこうなるとも思えない。何より、千奈美と開店したばかりのこの店を放り出すわけにはいかない。
「いやー、びっくりした。今、ここで働いてるの?」
「……はい」
「何? 知り合いの方?」
ぎこちなく話す私を見て、千奈美がそう尋ねた。
「うん……昔の……知り合い」
「そう、じゃ聡美にお願いしようかな。2・3千円の花束をお任せで。ご自宅用よ」
「あ……はい」
「……君の好きな花で作ってくれないか? 俺は花のことは何もわからなくて」
「わ……わかりました」
のろのろと立ち上がり、震える手でショーケースを開けた。明るめの花に少し個性の強いグリーン材ををチョイスして、左手で束ねた花々を彼の方にかざして見せ「こんな感じでいかがですか?」と確認すると、彼が満足げにうなずいた。
作業台に移動して、要らない葉を取り除いて花束にし「ラッピングのお色もおまかせでよろしいですか?」と尋ねた。
「うん」
2種類のカラーペーパーを重ねてラッピングし、リボンで結んだ。
そうしている間、ずっと彼の視線を感じていた。
勿論、それは不思議なことではない。お客様が花束の出来を気にしてこちらの作業に注視するのは当然のことだ。
「キレイだね」
出来上がった花束を彼に見せると、コチラを真っ直ぐに見てそう言った。
「元気だった?」
「……はい」
「そうか、なら良かった」
優しく微笑む彼を見て、少しほっとした。私に対して嫌な感情は抱いていないらしい。もうあれから長い年月が流れた。町も人も変化し、いずれも同じ場所には留まっていない。
もし再会したらどうしよう、とこちらに戻った頃は何度も想像した。彼は何と言うだろうか? 突然姿をくらました私を怒っているだろうか? いや、恐らく芙紗子さんと子供との幸せな暮らしの中で、私のことなど思い出すこともないだろう。それは少し寂しい結論だったけれど、前を向くために必要な答えだった。
会計を済ませた彼を店先まで見送りながら、もう二度と会うことは無いだろうと思った。
「今はどうしてる?」
「え?」
「……一人?」
「いえ……二人で……」
「……そうか……」
そう言うと彼はふと顔を横にそらして、ふっと息を吐いた。
それから目を伏せつつ私の方を向いて「幸せ?」とつぶやくように言った。
きっと突然いなくなった私を彼なりに心配してくれていたのだろう。そう思うと胸が痛んだ。
「はい」
ちゃんと幸せそうな笑顔を作れただろうか?
「……また来るよ」
「え?」
「俺、友達少ないから」
「はい?」
「素敵なお花、ありがとう」
花を掲げると、彼は振り向かずに去って行った。
また来る、と言った。友達が少ないから? 友達になって欲しいという事だろうか? そんなことが可能だろうか?
去っていく彼の広い背中を眺めながら、ハッと自分を省みる。着古したダンガリーシャツにエプロン。カサカサの手。紅を引いただけの顔。無造作に束ねた髪。
高そうなスーツをさりげなく着こなした彼とは雲泥の差だ。
もう少しましな格好で再会したかったと詮無い考えが頭に浮かび、慌ててそれを打ち消した。着飾ったところでたかが知れている。これで良かったのだ。
「聡美」
声に驚いて振り向くと千奈美が立っていた。
「今の人、大吾君にどこか似てたように思うんだけど、私の気のせい?」
「……」
「二人で暮らしてる、みたいなこと言ってたけど……」
「二人で暮らしてるもん」
「息子とね。今の言い方じゃ、パートナーがいると勘違いされたんじゃない?」
「……どっちでも一緒よ。ただの……知り合いなんだから」
「知り合いねえ……」
千奈美は何か言いかけたが、ちょうどそこに客が来て話は中断された。
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