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この世界のどこかに  作者: 碇 カマス


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28、春

+-+-+-+-+


 新年を迎え、1月も半ばになる頃、彼女らのお花屋さんは定休日を火曜日に決めた。年末年始は交代に休みも取れていなさそうだったので、少なからずホッとした。


 彼女という存在を近くに感じながら眺める季節の移り変わりは、何もかも特別なように思えた。


 2月が過ぎ、3月が過ぎ、年度末の慌ただしさに紛れている内に、新入社員が入社する季節となった。


 真新しいスーツに身を包み、緊張の面持ちで初出社した彼らの中に大吾の顔を見つけホッとする。


入社式で大吾を初めて見た弦三叔父さんが、俺の方を見て仕方なさそうに頷いた。まあ、そうかもな、といったところだろうか?


 配属先が決まるまで適正テストやマナー研修が続く。我慢していたがやはり気になって、研修に使われている会議室を覗きに行った。


「社長」

「ああ片山君、今年の新人はどう?」


 研修に立ち会っている人事部長に問いかけると


「個性的なのが揃ってますよ。社長のお知り合いの息子さん、大江くんも物怖じしない性格の様で、営業が向いてるんじゃないですかね?」

「そうか、じゃあまず最初は材質管理辺りに放り込んでその後現場だな」

「実は……木山部長が彼を欲しいとさっき耳打ちして行ったんですが……」


 営業部長だ。


「営業しか知らない営業は弱い」

「ええ、社長がそうおっしゃるだろうとは伝えたんですが……」

「1年待てと伝えてくれ」


 これは、俺が社長に就任してから人事に提言していることだ。即戦力になる人材を早く育てたいという気持ちは分かるが、営業畑しか知らない営業と現場はぶつかることが多い。そんな訳で、新人にはそうと伝えないが、配属の半分は仮配属だ。当然、このやり方をまだるっこしいと不満に思う向きもある。理解してもらうためにはまだ数年を要するだろう。


 ただそれとは別に、大吾の配属には少し思うところがあった。


+-+-+-+-+


「どうだい? 仕事は」


 廊下で行き会ったので大吾を呼び止めた。


「はい。慣れないことばかりで、迷惑のかけ通しです」

「はは、最初は誰もがそうだよ」


 新人の配属が決まり、どの職場も心なしか浮足立っている。それぞれに着いたマンツーマンリーダーも四苦八苦している事だろう。人を指導することで自分も成長する。慣れ親しんだ仕事を新鮮な目で感じてもらえると良いのだが……。


「ま、頑張って。困ったことがあったら何時でも相談に乗るから」

「ありがとうございます」


 良かった。表情が明るい。


 毎年、配属が決まって暫くすると、不安げな顔の新人を見かける。自分の想像していた生活とのギャップがそうさせるのだろう。学校を卒業すれば得られると思っていた自由が、幻想でしかないと気付く頃だ。正体のない不安を、どう飼いならして行くか……一人暮らしを始めた頃のがむしゃらな自分を、この季節になると思い出す。


+-+-+-+-+


「大吾君どう? 会社慣れたって言ってる?」


 早朝、最近ではすっかり体調も良くなった文子さんが、荷降ろし作業をしながらそう言った。


「まだまだ戦力になるには程遠いみたいで……」

「はは、まそりゃそうだろう」


 細身ながら年配とは思えないほどフットワークの軽い千歳さんが豪快に笑う。


「ま、俺は会社勤めの苦労は知らないけどな。親父から花屋を継いで、この世界だけでやって来たから」

「私は知ってますよ。これでも商社でOLやってたんですから」

「え? 文子さんそうなの?」

「そうよ。受付嬢で、もてもてだったんだから」

「何言ってやがんだか」


 恐らく本当だろう。千奈美と文子さんは良く似ている。キリッとした和風美人だ。若い頃は今に輪をかけて美しかったことだろう。


「何言ってやがんだ、って言ってる本人が、花を配達した先で一目惚れしたらしいけどね」


 こそっと千奈美が私に耳打ちする。


「そうなんだ……」


 なんとなく想像できない。頑固な千歳さんが、受付嬢だった文子さんを口説いてるところなんて……。


「取り敢えず一年は頑張んなきゃな。仕事なんて8割は地味でつまんないもんだ」

「そうですよね」

「大吾くんなら大丈夫よ。しっかりしてるもの」

「ありがとうございます」


 しかし、配属された先で大変だという割には、これと言って疲れた顔も見せない。五月病もどこ吹く風、楽しそうにも見える。


 余程水が合ったのだろうか? 


「たださ……何か……時々、様子が変なんだよね」

「五月病じゃない?」

「いや、違う。そういうんじゃなくて……」


 あの反応は……。


 

+-+-+-+-+


「だ……社長!」


 役員会議を終えて自室に帰ろうとする俺を弦三叔父さんが引き留めた。何やら慌てた様子だ。


「どうしました?」


 他の役員が退室するのを待って、叔父さんが口を開く。


「大江くんに彼女が出来たの知ってるか?」

「え?」


 大吾に?


「入って間もないのに年上に手を出すとか、お前の子とは思えない」

「それ本当か?」

「本当だ。本人がそう言うんだから」


 叔父さんこそ、いつの間にそんな話ができる程親しくなったんだ?


「しかも相手はあのだ」

「どのコ?」

「俺が前に言ってたあの……智樹の見合い相手だった友田くんだ」


 智樹の見合い相手? そう言えばそんな話をしたような……


「いやー、彼が年上好きとは意外だったなあ」

「友田くんて、大吾の隣の課だよな?」

「そうだ」

「彼女が智樹の見合い相手?」

「ああ」


 目鼻立ちのハッキリした、勝気そうな女性だ。


「彼女に合いそうな見合い相手がいたから釣書を持って職場に行ったんだ」

「叔父さん、仕事中にそういう事を……」

「分かってる! 分かってるが、今朝エレベーターで会った時に、話を聞いても良い様な感じだったからな。気の変わらない内にと思って……まあ、それはどうでも良い」


 どうでも良くないだろう。何しに会社に来てるんだか。


「そしたら近くに居た大江くんが『俺と言うものがありながら酷い』てなことを言い出してな」

「え?」

「友田くんも『こんなに若い彼が居るとは言いづらくて、すいません』てな」

「いくつ違う?」

「8つとか言ってたな。うん。確か彼女は30歳位だったと思うから、そのくらいだな」

「そうか……」


 やはり気のせいではなかったようだ。


 会社見学の際、彼女とすれ違った途端大吾の表情が変わった気がした。それまで、会社よりも俺の方に興味が向いているようだったが、途端に『入社試験は何時ですか?』と尋ねて来たのだ。


『今年は生憎もう終わってるんだ』


 見学に誘った時はまだ大学一年だと思っていたから、あくまで布石のつもりだった。


『どうしたら入れますか?』


 切羽詰まったように問われて『聡美さんの息子さんだし、やる気があるなら俺が口を利くけど?』と言った。


 実は初めからそのつもりだった。どうやったらその気になるか考えあぐねていたところだ。


『ありがとうございます!』


 全力で最敬礼した大吾には驚いた。


 やはり彼女が目当てだったか……。つい好奇心で同じフロアへの配属を示唆してしまった。本当に付き合いだすとは驚きだ。叔父さんは俺の息子と思えないと言うが、俺だってサトちゃんと知り合ってそう日も経たない内に彼女を口説いた。若さとはそういうものだ。怖いもの知らずで、まっすぐで、勢いだけはある。


 何故か胸の奥がじくりと疼いた。青臭い感情を垂れ流していた昔の自分への悔恨だろうか? それとも……。



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