26、足るを知る
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疲れた。嘘を吐くと体力を消耗する。
家に帰ってから何をする気にもなれず、ダイニングテーブルにつっぷしたままウトウトと眠ってしまった。
「母さん、こんなとこで寝るなよ」
深夜、バイトから帰宅した大吾に起こされて、思ったよりも深く眠ってしまっていたことに気付く。
重い目を開けると、無意識に握りしめていたキーホルダーがかちゃりと鳴った。そのまま手を開いて、キーホルダーに下げたチャームを眺めた。
いつか、彼に買ってもらったペンダント。二羽の小鳥が四つ葉のクローバーを咥えているモチーフだ。鎖が切れてしまったので、ペンダントトップだけでもと、キーホルダーにつけて持ち歩くようになった。
良く見ると、片側の鳥の尾っぽの先が欠けている。気が付かなかった。いつの間に……。思えば慌ただしい毎日だった。些末なことに気を配っていられない程に……。こんな風に、色んなものを手放していくものなのかも知れない。失ったとは知らずに。
けれど、年取るごとに鮮やかになる思い出もある。
あれは付き合ってまだ間もない頃。二人で行った秋祭りでの事だ。
『目をつぶって』
『何?』
『良いから』
目を開けると、高校生には不似合いな、一目見て高価だと分かる指輪が薬指に嵌っていた。ビックリしてすぐに指輪を外し『悪いけど、お店に返してきて。これは貰えないよ』と突き返した。今思えば可愛げのない女だ。傷ついた様に俯く彼に『高校生には高価すぎるし……学校では着けられないから失くしそうだし……そうだペンダント、さっき露店で見たペンダント可愛かった。あれが欲しいな?』そうねだると、やっと機嫌を直して『分かった』と手を引いてくれた。
『じゃ、この指輪はサトちゃんがも少し大人になるまで持ってる』
その指輪が相応しい自分など想像できなかったが、彼の気持ちが嬉しくて頷いた。
彼の手で着けてもらったペンダント。焼きとうもろこし。神社の境内で見た花火。初めてのキス。
そんな事があったことすら、彼はきっともう覚えてはいないだろう。それで良い。楽しかった思い出は自分の心の中で生き続ける。
『DNA鑑定を』と言われた時は肝が冷えたが、彼がなんとか私の話を信じてくれて良かった。彼の前に姿を現さないと言う約束は結果的に破ってしまったが、芙沙子さんたちの家庭を壊さないでいられたことに安どする。
大吾が彼の会社に就職することも、最初は驚いたがこれで良かったのかも知れない。おそらく大吾は、いずれ会社を辞めて海外に移り住むだろう。一時期とはいえ、実の父の近くで働けるのだ。そう思うと胸が熱くなる。例え互いがそうと知らないのだとしても。
「母さん? 寝るなら部屋で……」
「言っといた」
「え?」
「今日、仕事で会ったから、息子をお願いしますって」
「ああ、神崎のおじさん?」
「うん」
「何て?」
「しっかりした息子さん、だってさ」
「はは……買い被りだったって言われない様に頑張るよ」
そう言うと大吾は浴室に消えた。
重い体をなんとか起こして、冷蔵庫から取り出した牛乳をパックのまま飲んだ。
「ふふ……怒られるな……」
大吾に見つかったら、いつも小姑のように小言を言われる。
「さ、歯でも磨いて寝るか」
わざと元気に呟いて、洗面所に向かった。
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「おい、人事の片山君に聞いたぞ、珍しく社長のコネで入社する新人が居るんだって?」
「情報が早いな」
「誰だよそれ。得意先のドラ息子とかか? お前そう言うの嫌いだろ?」
人事部長から聞いた話が気になって社長室を訪れた。
「私情を挟んで申し訳ないとは思ってる」
「私情?」
「俺の息子を入社させたい」
「……………………は?」
「大江大吾」
「……大江ってことは、聡美さんの子か?」
「うん」
彼女の息子は俺の息子、てな理屈か?
「てことはあれか? 彼女を口説いて結婚まで漕ぎつけられそうってコトか?」
「いや」
いや? やけにきっぱり否定するな。
「彼女の息子が居酒屋でバイトしてるって聞いてたから、興信所に頼んでバイト先を突き止めてもらった。偶然を装って客として訪れて、会社見学に来ないかと誘ったんだ」
「いつの間に……」
こないだ、情報は全て掴んでると時子に豪語したのに。バツが悪い。
「社内を見学したその日に、入社したいと言って来た」
来ていたのなら会わせてくれれば良いものを、水臭い。
「ほう。良かったじゃないか」
「うん」
「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、だな」
「いや」
「は?」
何だその達観した様な顔は?
「ま、座ってよ」
俺に椅子を促すと、大輔はその前に腰を下ろして大きく息を吐いた。
「彼女が本当の事を話さないのは、それなりの訳があると思うんだ」
本当の事? イキナリ何だ?
「居なくなった理由を聞いたのか?」
「うん。就職に不安を感じて、俺との将来の事も先が見えないと踏んで、姿を隠したって……。その後、就職した旅館の板前と恋に落ちて、息子を産んだ、って」
「それが嘘だと思うんだな?」
「嘘だ。そんな理由で彼女が親を置いて姿を消すはずがない。それに、大吾は俺の息子だ」
そう言って真っすぐこちらを見た。
「……どういうことだ?」
「最初彼女は、息子は大学に入ったばかりだと言っていた」
そうだ、確かにそう聞いた。そうか、わが社に来春入社すると言う事は……
「今は幾つだ……21?」
「そうだ」
「しかし……それだけでお前の息子だとは……」
「俺も本人に会っていなければそう言ったと思う」
「そんなに似てるのか?」
「顔は彼女似だと思うけど……」
そう言ったっきり大輔は黙り込んだ。何かを探るように虚空を見詰め、小さく首を振ってから顔を上げる。
「18年も前に、こっちに戻ってたんだって」
「え?」
「そうとは知らずに色んな所に足を運んだなあ……」
「大輔?」
「彼女が居なくなってから、色んな地域で大きな地震や災害があっただろ?」
「あ? ああ……」
「その度、巻き込まれてはいないだろうかと胸のつぶれる思いだった。行ける時にはボランティアにも参加したけど、怖くて新聞の死亡記事は見られなかった。今は彼女がどこに居るか分かっていて、やりがいのある仕事に就いて、幸せに暮らしている姿を確認できる。幸い大吾はウチの会社を選んでくれた。息子を傍で見守ることも出来る。もうこれ以上望んだら罰が当たると思うんだ」
「大輔」
「彼女の良き友人として、ずっと見守っていこうと思う」
思わず盛大にため息をついてしまった。
「他の男が彼女をかっ攫って行っても同じことを言えるのか?」
「うん。彼女を取り巻く全てを目に焼き付けて行こうと思う」
悟りでも開いたか? 後光が見えるわ、バカヤロウ。
大輔は信じ切っている様だが、その息子とやらが本当に実の子かどうかは妖しい。そもそもまっちゃんの決めたとか言う元婚約者の言っていたことが事実かも知れないのだ。男ができてトンズラしてどこぞで子を生した。そんな話は珍しくもない。見たところ誠実で優しそうな女性だが、それだけに強引で自分勝手な男に魅入られたらひとたまりもなさそうだ。
まあ、それはどうでも良い。恐らく、その息子とやらが実の子でなくったって、傍に置きたいと思うのだろう。しかし、それと彼女を諦めるのとは別の話だ。余程冷たくあしらわれたか?
「時子が悲しみそうだ」
「え?」
「何でもない」
こんな結末、誰が納得するか。
「ま、その息子とやらの入社を楽しみにしてるよ」
ここは一先ず撤退だ。
「父親に似てヘタレなのかな?」
怒らせるつもりで言ったのに、大輔は曖昧に笑っただけだった。
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