25、息子の就職先
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「聡美、神崎さんから電話で注文あったよ」
「え?」
配達から帰ると千奈美がそう言った。
「社長室にお花が欲しいんだって。内容はお任せで、都合の良い時に来てもらって構わないそうよ」
「そう……じゃ、今から行ってくる? 千奈美」
「何言ってんのよ。大江聡美さんをご指名よ」
ああ、やっぱりそうか。来るだろうと思っていたが、メールも電話もないから、このままスルーかと都合よく考えていた。
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「俺、決めた」
バイトが休みの大吾と、久しぶりに二人で遅めの夕飯を摂っている最中の事だった。
「は? 何を?」
「就職先」
「え? 内定貰ってたとこにするの? まだ何社か受けてから決めたいって言ってたじゃない」
「それはやめにする。内定貰ってたとこも辞退する」
「は? 他にどこがあるのよ」
「いや、コネで……」
「コネ? アンタどこにそんなもの持ってたのよ。大学のOBの会社とか?」
おかしいなと思った。コネ入社とか一番嫌がりそうなタイプなのに。珍しい事もあるもんだ。余程条件が良いのだろうか?
「いや、多分母さんも知ってる会社」
「何てとこ?」
大吾の口から飛び出した会社名に、思わず固まった。
「……それって……」
「うん、神崎のおじさんの会社」
神崎の……おじさん?
「ええ? 何で? それは、ええとたまたま?」
「いや、おじさんが会社見学に来ないかって言ってくれて……」
「ええ? いつの間に? てかどこでそんな話を?」
「バイト先で偶然会って、これも何かの縁だからって」
偶然? 本当に?
「……でも、だからって何でそこに?」
「うん。良さそうな会社なんだよね。海外事業部は無いんだけど……」
「無いのに?」
「無いけど、どうしてもあの会社が良いんだ」
マジか……。
マジなのか……。なぜ選りにも選ってそこなんだ!
「てか……言いなさいよ。神崎さんに会ったとか……会社見学に行ったとか……」
「だから、今話してるじゃん。店を開店してからこっち、ほとんどすれ違い生活だろ? 母さんは俺が起きる前に出勤だし、俺は母さんが帰宅する前にバイトに行くし……」
「ま……そうだけど……メールとかあるじゃん……」
「何? 母さんに許可貰うべきだったってこと?」
「いや……そうじゃなくて。神崎さんはお店のお客さんでもあるわけだから、お世話になるならコッチも挨拶位しとかないと……」
「ああ、うん。しといて?」
何だ? 就職先が決まって浮かれでもしてるのか? 何か雰囲気が……。
「ホントに……決めたの?」
「うん」
大吾は一旦こうと決めたら梃でも動かない性格だ。私が、他の会社の方が良いのじゃないかと言ったところで心を変えることはないだろう。
近頃は程よい距離で仕事も出来ていたし、もう彼が息子に会うことも無いと高を括っていただけになかなかの衝撃だ。
彼が大吾のバイト先に? 本当に偶然だろうか? だが、どちらにしても……バレた。
引き算さえ出来れば誰にだって分かる。大吾の年を偽っていたことを、彼は当然知ってしまっただろう。来春卒業の大学生なのだ。一年生であるはずがない。
どうする? そんなことは決まっている。
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「ごめんなさい!」
社長室に入った途端、取り敢えず頭を下げた。
「え?」
「息子の年齢を詐称しまして……」
「ああ、うん。取り敢えず、立ちっぱなしも何だから、座って」
立派な応接セットの端っこに荷物を降ろし、小さくなって座った。
「あの……あのね。あの……就職先の旅館でね、そこの板前だった大吾の父親とそういう仲になって……。その少し前まで大輔くんと付き合ってたのに、尻軽だと思われるんじゃないかと恥ずかしくなって、つい嘘を……」
「旅館の板前さんとの間に出来た子?」
「うん……」
畳みかける様に言った後そう頷くと、彼は腕を組んで天井を仰ぎ見た。
「どうして俺の前から姿を消したの?」
「それは……あの……早すぎる五月病って言うか……。就職したら生活が一変するでしょ? 不安で……。しかも決まってた会社、堅そうなトコだったから、何か逃げ出したくなっちゃって……」
話す私を彼はじっと見つめた。
「大輔くんとのこともね……つり合わないし……とにかく冷静になって一人で考えたくて……ほとぼりが冷めた頃に帰ろうと思ってたんだけど、あっちでそういうことになっちゃって、子供も出来ちゃって……ごめんね……」
「その彼と一瞬で恋に落ちたってこと?」
「ま……そうなるかな?」
彼は大きく息を吸い込むと、ゆっくりと吐き出した。いたたまれない。ここに来るまでになんとか絞り出した嘘の数々は、シミュレーションしている時にはもう少しましな物言いが出来ていた筈だったが……。
「DNA鑑定しよう」
「え!?」
「時期的に俺の子だっていう可能性もある」
「ない! ないない! だって大輔くんはその……避妊してたでしょ? 大吾の父親はそんなの一回もしたことないヒトだったから。だから心配しないで。そ、そう言う勘違いをね、巻き起こすんじゃないかというのもあってあんな嘘をついたの」
「大吾君は俺の子じゃない?」
「ない」
きっぱりと言い切った。落ち着いた口調を心がけてみたが、どう聞えただろう?
「あの日……」
「え?」
「……俺の母さんに何か言われた?」
「え?」
お母さんに? 何を?
「卒業式の日に呼び出されたんじゃない?」
「ううん。そもそも大輔くんのお母さんには一度も会ったことないし……」
そう言うと伺うように顔を覗き込んでくる。
「じゃ、芙沙子は?」
「……芙沙子……さん?」
そうか、奥さんだもんね。今はそうやって呼び捨てにしてるんだ。
「いなくなる前に会っただろ?」
「会わなかった」
「本当に?」
「うん」
何か思うところがあるのだろうか? でもおそらく、芙沙子さんはこのことに関しては秘密を貫いているはずだ。
「つまり……結局、俺に愛想をつかしたから居なくなったってこと?」
「ち、違う違う。私が勝手に不安になって……勝手に逃げただけ……。ちょっと不安定だったのかな? 若かったしね。ごめんね。心配したよね」
「いつこっちに帰って来たの?」
「ええと……大吾が3つの時だから、18年くらい前かな?」
「そんなに前に……」
彼はソファに深く背を預け脱力した。帰っていたのなら、せめても連絡位寄こせよと呆れているのだろう。
「旦那さんとはいつ別れたの?」
「……その……大吾が3つの時。それで実家に帰って来たの」
「……そう」
何か考える様に頭を巡らすと、彼は暫く黙り込んだ後、まるで私を労わる様に「分かった」と言った。
「心配かけてごめんね。その……大輔くんは元気にしてた?」
「……うん」
この話はもう終わりだ。一時はどうなる事かと思ったが、これで心置きなく今を生きることができる。きっと。
「芙沙子さんは……良いお母様になられたでしょうね?」
「え?」
明るくそう切り出すと、不思議な顔で彼は私を見た。
「かな? どうだろ?」
謙遜だろうか? 一緒に長らく暮らしていれば、お互いの嫌なところも見えてくるのだろう。けれど彼女の事だから、夫を立てて、家を大事に守っているに違いない。
「それから大吾の就職の件なんだけど……」
「うん」
「本当にお願いして良いの?」
「勿論」
「一人っ子だから、マイペースなところがある子だけど……」
「しっかりした息子さんじゃないか。いずれ、わが社の戦力になってくれると思うよ」
そう聞いて胸を撫でおろす。
「どうかよろしくお願いします」
立ち上がってから深々と頭を下げた。
「じゃ、作業に取り掛かりますね。こちらの花瓶に生けたら良いですか?」
あらかじめ出しておいてくれたらしい陶器の花瓶を見て、心を切り替えた。
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