24、猫になりたい。
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僕は猫になりたい。
あの時、確かに俺はそう思った。
大ちゃんの家は昔、白くて大きな猫を飼っていた。真津子伯母さんがかいがいしく世話をするのに、なぜかその猫は大ちゃんのことが大好きで、彼が座ると必ずやってきてその膝を独占した。大きな体を一所懸命丸め、笑った様な顔で満足げに目をつぶる。まるで、ここは私の場所なの、と言うように。
『シロ、シロ、おいで!』
兄貴や俺が何度誘っても、シロ(本当は伯母さんがつけたおしゃれな名前があったのだが、俺たちはそう呼んでいた)はまるで聞こえないかのように無視をした。
恐らく俺が幼稚園児の頃の記憶だろうから、大ちゃんはすでに高校生だったのだと思う。
子供の頃は良かった。大ちゃんの膝を猫と奪い合う位で済んで。
年の離れた従兄は時折そうやって、俺たちの母親に俺と兄貴の子守りを押し付けられていた。嫌な顔一つせずに遊んでくれる従兄を好ましく思うのは当然で、猫ばかりか兄貴とも大ちゃんを取り合った。力で兄貴に勝てない俺は、弾き出されては悔しくてよく泣いた。すると、大ちゃんは俺を膝に乗せ、よしよしと背中を撫でてくれる。『ずるい』と睨む兄貴とシロを見て、こっそりと舌を出したものだ。大ちゃんの膝の上は暖かで安心で、この場所を自分のものだけに出来たらどんなに幸せだろうと思った。
大ちゃんが実家を出たと聞いたのは、俺がまだ10歳位の時の事だったと思う。
なぜ遊んでくれなくなったのか、親に聞いても『大ちゃんも社会人だからね。いろいろと忙しいのよ』とはぐらかされるばかりだった。
思春期を迎え、自分がどうやらバイセクシャルというカテゴリに属する人種だと理解し始めた頃、ああ、あれは俺の初恋だったのかと得心した。
付き合う恋人が、性別に関わらず背が高いのは、大ちゃんのイメージが根底にあるからなのかも知れない。
甘酸っぱい、良い思い出だと思っていた。
ところが数年前、大蔵伯父さんが急死して、大ちゃんと再会することになった。葬式ではあまり言葉を交わせなかったが、こんな時に不謹慎だと思うのに、胸が高鳴るのを抑えられなかった。十数年ぶりに見る従兄の姿は、悲しい席だと言うのにこれ以上ない程魅力的だった。
罰が当たったのだろう。後日、強力なライバルがいることが分かった。しかも蹴散らそうにも実存しているかどうかも怪しい。大学生の時に1年と数か月付き合っただけの彼女を、大ちゃんは今も思い続けている。今はどこに居るかすら分からない相手を、何年も何十年も。
『女なんてクールなもんだからさ、今頃とっくに他の誰かのモノになってるよ』
『彼女が幸せなら、それで構わない』
『会えもしない、どこに居るかも分からない相手に操を立ててるの?』
『彼女じゃなきゃ嫌なんだ。そうでなきゃいけない理由なんて分からない。分からないけど、嫌なんだ。だから会えなくても、彼女が触れてくれた体で、他の誰かに触れたくない』
病気だ。異常だ。ヤバい奴だ。
そんなひたむきな大ちゃんにきゅんとかなってる俺も相当だ。
分かってる。大ちゃんはそもそも異性愛者だ。(未だに好きになるのに性別が何の関係があるのか理解できないが、異性か同性かしか愛せない人種からすると俺みたいなのは中途半端な尻軽に見えるらしい)彼女の事が無くったって俺が恋人候補になることは難しい。
でもどうだろう? 恐らく大ちゃんはこのまま独り身を貫くだろうから、傍に居て、いずれは介護を理由に一緒に暮らして、あの猫の様に大ちゃんの膝を占領するくらいはできるんじゃないだろうか?
ささやかだけど、あざといけれど、ある意味確実に彼を手に入れることが出来る。
が、だ。
ここにきてその完璧な計画が揺らぎ始めた。
らしくもなく花を買ったり、わけもなくニヤニヤしたり、急変した大ちゃんの様子に俺のセンサーが警鐘を鳴らした。
大ちゃんの家に泊まりに行った朝、いつもなら休日一杯家に入り浸っても文句の一つも言わないくせに、早々に帰れと追い返された。先に出るフリをして、駐車場で待った。鼻歌交じりに車に乗り込む大ちゃんの後を探偵宜しく追いかけた。とあるパーキングに車を泊めた大ちゃんは、そこから5分程歩いて喫茶店に入った。
ここのウエイトレスが相手か? そう広くない店だ。バレるかなと思いつつ顔を背けながら喫茶店に入った。大ちゃんは窓際の席で食い入るように外を見ている。ウエイトレスには目もくれない。そこそこ可愛い若い女の子だが……。この分なら俺に気が付くはずはない。
「すいません。チョコパフェ」
普通に注文してやった。
聞きなれているはずの従兄弟の声に微塵も反応することなく、向かいの花屋に大ちゃんの意識は集中しているようだった。
暫くそうして外を眺めた後、おもむろに立ち上がり、会計を済ますと喫茶店を出て行った。
ええ?何?
向かいの花屋に目を凝らすと、花屋の店員らしき女性が店に入っていくところだった。
つまり、意中の彼女は花屋の店員か。
彼女以外嫌なんだとか言っても、やっぱ大ちゃんも普通の男だったか。
「何か……苦いな……」
甘いはずのチョコレートパフェをやけ食いして、この恋が実らない様に呪いをかけた。
多くを望むわけじゃない。大ちゃんの膝の上で丸くなりたい。大ちゃんと同じベッドで眠りたい。頭や背中やあごの下を撫でてもらって、額をその手に擦り付けたい。大ちゃんの読んでいる新聞の上にどっかと横になり、大ちゃんのパソコンのキーボードにのしのし登り、しょうがない奴だなあと言われたい。
「お前……何やってんだ?」
テーブルに広げた新聞の上に両腕をのせると、大ちゃんは驚いたようにこちらを見た。
「にゃん」
「何がにゃんだ。早く飯を食え」
「ゆっくり食えとか早く食えとか、うるさいなあ」
「片付けるぞ」
「最近冷たいなあ」
「てか、車に乗ってきてるなら酒を飲むな」
昨夜、またもや酔った勢いで大ちゃんの家に転がり込んだ。冗談めかしてキスでもしてやろうと顔を近づけると『酒くさ……』と顔を背けられた。
「今日も彼女を見に行くの?」
「……何で後なんかつけたんだ?」
「教えてくれそうにないから」
「知ってどうする」
「もう、あの人のことは諦めたの?」
「え?」
「ほら、例のあの人」
そう言えば名前すら教えてもらっていない。
「未練たらしく思い続けてたくせに……。新しい女と付き合ってる間に、彼女と再会でもしたらどうすんだよ?」
「母さんにチクらないか?」
「うん……」
「叔父さんや叔母さん、智樹にも?」
「うん」
実は彼女はとある宗教の教祖でな。弘樹もどうだ? この壺たった30万だぞ。こっちの数珠は10万円。買えば買うほど幸せになれる。……てな話の方がましだと思った。
「彼女が俺が探してた女性だ」
キーンと耳鳴りがして、ゲームセットの声が聞こえた。
戦うべくもなく、くらったストレートパンチに完膚なきまでに叩きのめされた。
こんな結末あるか? 俺の穏やかな未来設計を返せ。
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