23、マイルール
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「ごちそうさま」
「ありがとうございます! またどうぞ!」
テーブルの上の食器を盆に乗せ、手早くテーブルを拭く。そうする間にも隣のテーブルから「生ビール3つ」と注文が入る。
「ありがとうございます。7番テーブルさん生3つ入りまぁす!」
「はい、喜んで!」
古参の山田さんがグラスを慣れた手つきで取り出し、ビールサーバーを操作しながら意味深な目つきでこちらを見ている。
食器を洗い場に続くカウンターに置いて「なんすか?」と小声で尋ねると「大吾、お前就職活動は上手く行ってんのか?」とニヤニヤ顔で聞いてくる。
「そうすね。ま、頑張ってます」
「何社位受けたんだ?」
「12社です」
「どうだよ手ごたえは」
「ま、これからっすかね?」
「おう! 未来は明るいぞ若者!」
実は3社から内定をもらっている。が、決めかねていてまだ何社か回る予定だ。
「で、お前彼女と別れたって本当か?」と畳みかけてきた。
何だ、その話がしたかったのか。
「山田さん嬉しそうっすね」
「女なんてなうざってえだけだからな。ま、そう落ち込むな」
ここは俺のバイト先の居酒屋。彼女いない歴の長い先輩が愉快そうに背中をバシバシと叩く。
別に落ち込んでいない。ちょっと可愛いなと思って付き合って、なんか違うなと思って別れる。
いつもの事だ。
実は俺は昔、かつて出会ったとある女性と結ばれると信じ込んでいた。彼女が目の前から去ってから自分の思いに気付き、勝手に盛り上がって、再会したら今度こそ彼女を恋人にして、いずれは結婚するのだと意気込んでいた。彼女こそ自分の運命の女だと決めて、夢想や妄想に浸りきっていた。しょうがない、中学生だったし、バカだったし。
高校2年になる頃には流石にそれは一方的な夢だと気付いた。もし再会できたとしても、彼女は年上で、すでに社会人だったから、恋人がいたり悲しいけれど結婚して誰かのモノになっている可能性は高い。
それまで誰とも付き合ったことが無かったから、付き合ってみればその相手が運命の相手だと思えるかも知れない。そう考えて今まで何人かの女の子と付き合った。恐らくそれなりに楽しかったと思う。交際期間は3か月だったり、6か月だったり様々だが、友人に聞いてもそんなものだと言っていた。中には強者もいて、何年も付き合っている奴もいたが、そんなのは稀なのだと思う。
今のところ、一生添い遂げたいと思うような運命の相手には巡り合えていない。
美化され過ぎた思い出が自分の眼を曇らせているようにも思うが、思い出は色あせることを知らない。むしろ年々磨きがかかって、更に美しく進化している。妄想の中では俺と彼女は既になさぬ仲で、時には激しく求めあい。時には優しく抱き合って愛を囁き合っている。
つい現在進行形になってしまうのはつまり……諦めたつもりで諦め切れていないのかも知れない。
やべえな。就職が決まったらちゃんと新しい彼女を探そう。
「そもそもさ、お前彼女を満足させてなかったんじゃないの?」
「は?」
出た。山田先輩のエロ話。自分にはもう何年も彼女がいないくせに……。いや、いないからか?
「俺に彼女が居たらよ、そりゃあもう可愛がってやるぜ。もうカンニンして~、って言うまでな」
「じゃ早く作って下さいよ。彼女」
「紹介しろよ大吾」
成程、この流れをご所望か。さっき『女なんてうざってえ』って言ったクセに。
「山田さんもう32でしょ?」
「それがどうした?」
「俺の女友達、年下好きばっかなんすよね」
「マジか!?」
嘘だ。女紹介しろとか面倒くさい。
しかし確かに、俺は彼女(達)を満足させていなかったとも言える。
『大江くんて、そういう事しなくても平気なヒト?』
遠回しに性欲は無いのかと何度か聞かれた。同性愛者だと疑われたこともある。
残念ながら健康な男子なので性欲はある。あるがそういう雰囲気になると頭がしらけてしまう自分がいる。コンドームが破けて望まない妊娠を引き起こしてしまったら? 責任を取ってこの彼女と添い遂げられるだろうか?
「そうだ、お前就活女子を釣り上げて来いよ。行く先々でフレッシュな女子と会うチャンスにまみれてんだろ?」
「そんな雰囲気じゃないすよ。勘弁してくださいよ」
山田さんから生ビールをひったくると、この話は終わりとばかりにテーブルに運んだ。
「生3つお待たせしましたー!」
俺の母親は未婚の母だ。生まれてこの方、父親のことを訊ねたことはない。
子を身ごもっているのに認知もしないなんて、恐らく碌な男じゃない。不倫かヤクザか、最悪のパターンとしてはレイプか……。
父親のことについて何も言わないところを見ると、言いたくないからだと推測する。さすがに祖父母は何か知っているとは思うが、父親について俺の目の前で話したことは一度もない。問われても困るだろうから、このまま口を閉ざしているつもりだ。
そんなこんなも手伝って俺は、結婚したい程好きでもないのに欲望だけで体の関係を持つのは怖いと思っている。
モチロンこんなことは母親には言えない。何も知らない母親は彼女が出来るたびに『ちゃんと避妊しなさいよ』と言う。自分と同じ轍を踏ませないためだとは思うが、正直『アンタが言うな』と内心思っている。
「はい3番テーブル、アサリの酒蒸しお待ち!」
厨房からの声に物思いから引き戻され、弾かれたように料理をテーブルに運んだ。
「お待たせしましたー。アサリの酒蒸しです」
「ありがと……あれ?」
「はい?」
3番テーブルでビールジョッキを傾けていた中年男性が、俺の顔を見て驚いた顔をした。
山田さんが案内したお客だろうか?
ん? どっかで見た人だ。この店の常連じゃない。どこでだったか……。
「ここでバイトを?」
「ええ……」
俺と違わないくらいの大きな体を小さなテーブル席に押し込んでいる。こんな大衆居酒屋が似合わない高級な背広姿。いったいどこで会ったんだっけ?
「あ……」
母さんの友人だ。この間俺がうっかり帰宅したばっかりに追い返された……。
「こんばんは……」
「こんばんは。奇遇だね」
「ホントに……」
なんと言ったっけ?
「この間は悪かったね。君の居ない間に上がり込んだりして」
「いえ、全然そんなの大丈夫です」
「君のお母さんとは昔のバイト仲間でね」
「あ、そうなんですか?」
「うん。この間偶然再会してね。あんまり変わってないものだから驚いたよ」
柔和そうな笑顔でそう言うと、名刺を差し出した。
「大吾くんだったよね?」
「はい」
「まだ就職活動とか早いとは思うけど、ここで会ったのも何かの縁だし、社会見学がてらウチの会社に見学に来てみないか?」
「え?」
名刺に目をやると、取締役社長となっている。社長だったのか、お、この社名聞き覚えがある。事業内容には興味があったが、海外事業部がなかったからリストから外した会社だ。
「いえ、早いどころか……真っただ中です」
「え?」
いくつに見えたのだろう? 老けて見られることが殆どで、初対面の人間からは大抵既に社会人だと思われるのに。
「すでに何社かは内定をもらってるんですが、偉そうなんですがピンと来なくて……」
「君……何年生?」
「大学4年です」
え? 何だ? すげー驚いた顔してるけど? 俺、そんなに若く見えるか?
「……幾つ?」
「21です」
「……何月生まれ?」
「11月です」
「…………そう……」
「えと……神崎さん?」
名刺に目を走らせ、うろ覚えだった名前を呼んでみる。
「あ、えと……来週とかどう? 嫌でなければ会社見学……」
「あ、はい……」
母親と親交のあるヒトのコネとか真っ平ごめんだが、この人がどんな男か見極めて置きたいと思った。何しろ理由はどうあれ、母親が家に上げた、身内以外の初めての男なのである。母さんはただの友人だと、きっぱりと否定していたが、今後どうなるか分からない。
「じゃ、お言葉に甘えて……来週火曜日の午前中なら伺えると思います」
「場所は分かるかな?」
「はい。社長のご都合は大丈夫ですか?」
「火曜日の10時ごろに来てもらえるかな? 空けとくから。てか、こんなところで社長はやめようよ」
「いや、でも……」
「ま、会社ではね、しょうがないけど、おと……おじさんとかで良いよ」
「おじさん?」
「懐かしい友人の息子だからさ、身内みたいに思える」
「はあ……」
「私の都合が悪くなった時の為に、念のため連絡先を教えてもらって良いかな?」
「はい」
その場で携帯番号とメールアドレスを交換した。
「ええと、じゃ神崎のおじさん、宜しくお願いします」
他の客に聞こえないように、にこりと微笑んで席から離れた。
母の言う通り、ただの友人なのかも知れない。が、もしこのおじさんにその気があったとして、俺の存在が二人の障害になるなんてまっぴらゴメンだ。いずれは実家を出て海外に移り住むつもりだ。母を恋人としてでもはたまた夫としてでも支えてくれる人がいるなら、それに越したことはない。
さて、見た感じは良さそうな人だがどうだろう? ちょっと天然入ってる母に代わって、しっかり人となりを観察させてもらおう。
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