22、とある夫婦の日常
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「このドレッシング美味しいわね」
「ああ」
「真津子さんに頂いたんだけど、何でも有名なシェフが監修したんですって」
時子はミモザサラダを混ぜながら俺をチラチラと見ている。
「まっちゃんは元気そうだったか?」
「お礼の電話をした時は元気そうだったけど、気丈な方だからそういうフリをしているだけかも。大ちゃんももう少し真津子さんの方に顔を出してあげれば良いのに」
「まあな」
一途な奴がへそを曲げると厄介だ。一途にへそを曲げ続ける。
4年前、夫である大蔵さんを亡くして、すっかり気落ちしたまっちゃんは『弦ちゃんが社長になってくれれば良いのに』と言った。
当時の副社長が病気がちだったこともあるが、父親が亡くなるまで実家の敷居を跨ぎもしなかった息子には期待できないと踏んで、せめても従兄弟である俺にそう漏らしたのだと思う。
会社からもその打診は受けていたが、そもそも柄じゃない。断ると役員連中から『それなら社長の息子を担ぎ出せないか』と仲介役を頼まれた。他社で営業部長として辣腕を振るう大輔の噂は他業種乍らわが社にも届いていた。営業力の弱いわが社には願ってもない人材だった。
父親の最後を看取れなかった後悔を大輔から感じていた俺は最後の一押しと、渋るまっちゃんを説き伏せて、白髪頭を下げてもらった。夫を亡くしてすっかりやつれた母親の姿には流石に思うところがあったらしく、苦々し気に大輔は顔を縦に振った。
『その代わり、今後一切俺の人生に口出ししないコト』
そうして未だ一途に母親に対してへそを曲げ続けている。法事以外で実家に足を運ぶことはない。一人暮らしの家にも恐らくまっちゃんを上がらせたことはないだろう。
また時子がこちらをチラと見た。
「何だ? 誘ってるのか?」
「は?」
「昨日も可愛がってやったのにしょうがないなあ」
「ば……何を言ってんのよっ、そんなわけないでしょ!」
「じゃ、何だ。さっきからチラチラと」
「もう、分かってるくせに! 私も会いたいからどこなのか教えてって昨日も言ったでしょ!」
「ダメだ」
素っ気なくそう言うと、時子は口を尖らせて睨んだ。
「ケチ」
大輔がマドンナと再会したらしいと教えてからコッチ、見たい会いたいとうるさい。
「親戚一同で押しかけて成るものも成らなくなったら、大輔に一生恨まれるぞ」
「一同って、貴方とわたしだけでしょ?」
「こないだ弘樹と会った」
「え?」
「大輔の後をつけたらしい。大きな花束を買って出てきたところで俺とかち合った」
「弘くんが?……そう」
「何が目的か知らんが。まあ、好奇心かな」
「……辛いわね」
「は?」
「ままならないわね。大ちゃんには幸せになって欲しいけど……」
遠くを見る様に視線を巡らせ、妻は思い悩む風で手を頬にあてた。
「何だ? その含みのある言い方は」
「何でもありません。お茶のお替わりは?」
「おい」
立ち上がった時子の手を掴もうとすると、するりと身をかわされた。
「貴方が教えてくれないのにどうして私が教えないといけないの?」
舌を出さんばかりにしかめっ面をする。
「夫婦間で隠し事はダメだろ?」
「何よ。彼女のお花屋さんを教えてくれないのは貴方じゃない」
「でも、大輔の様子はちゃんと報告してるだろ?」
どれだけふにゃふにゃでダメダメか。
「意地悪」
「あ?」
「良いわよ大ちゃんを呼び出して直接聞くから。様子も知りたいし」
「俺が教えてるのが全部だよ」
「そんなわけないでしょ。大ちゃんだって弦三さんにまだ言ってないコトが沢山あるに決まってるわ」
「何だその物言いは。今日も苛めて欲しいのか?」
「な! 何を言ってんのよ、バカ」
ふいと急須を持ってキッチンに行ってしまう。ポットから湯を注ぎ、怒った顔で戻ってくる。
「兎に角。私だって大ちゃんの力になりたいんだから」
「嘘つけ。やじ馬根性だろ?」
「違います。会いたかったヒトにやっと会えたのよ? 応援したいと思うのは当然でしょ。私たちの可愛い従甥っ子なんだから」
「船頭多くして船山に上る、だ。周りがとやかく言わない方が良いぞ」
「ずるい!」
「は?」
「自分ばっかり!」
俺の湯飲みにお茶を注ぎ、乱暴にこちらに置いた。そのままガチャガチャと食器を片付け始める。
「おい、みそ汁おかわり……」
「ありません!」
「あるだろ、鍋に」
「あれは明日の朝のです」
「……子供か」
「はい?」
「いや、別に」
残った白米に煮魚をのせ、お茶を回しかけてかき込んだ。
「ごちそうさん」
食器をシンクに運ぶと「あら、珍しい」とトゲのある一言が飛んできた。
「可愛げのない」
「はい?」
「すねるなよ。その内会えるだろ」
「……」
何だその眼は。
食器を洗いながらこっちを見て目を眇める。
「上手く行かなかったらどうするんです?」
「その時は普通に花でも買いに行けば、顔ぐらい拝める」
「もう、それじゃあ大ちゃんが可哀そうじゃないですか」
「じゃ、上手く行かなかったらなんて言うなよ」
「うー!」
うなりだした。面白い。
「もう、あっち行ってて!」
「で、今日はどうする?」
「はい?」
「何かお前が誘うような眼で見るからその気になって来た」
「さ、誘ってません! 離して!」
腰を抱き寄せると、身をよじって嫌がる。
「するか?」
「しません!」
「どうして?」
耳元で囁いてやると体を震わせて急に声が小さくなる。
「どうしてって……も……お互い年なんですから、そういう事はもうね……程々に……」
「程々にしてるだろ」
「ヨソ様はこの年になればもう……」
「ヨソ様だってな、してないしてないって言って隠れてしてんだよ」
「してません! 旦那に手を伸ばされるとゾッとするって皆言ってます」
「なんだ?」
「え?」
「お前もゾッとするのか?」
「え……いや……そうは……言ってないでしょ……」
しどろもどろになって目を反らす。さっきまでの勢いはどこへやら。
「そもそもお前がエロいのが悪いんだからな」
「は?」
「60に手が届こうってのに、いつまでも可愛い声で鳴きやがって」
「弦三さん!!」
「何だよ」
面白い。真っ赤な顔で泡を食うコイツを見るのは本当に楽しい。大抵の事には肝が据わっているクセに、ことこういう話になると処女の様に反応する。
「も……お茶碗が洗いにくいから離し! んん! んん!」
「……」
「……」
「ん、ごちそうさん」
強引に口づけた後解放してやった。頭の上に湯気を出さんばかりに真っ赤になっている。ザマアミロ。
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