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この世界のどこかに  作者: 碇 カマス


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20/56

20、意中の彼女

 +-+-+-+-+


「今日は来ないのかなあ」

「え?」


 店の入り口を見ながら千奈美が言った。


「聡美のボーイフレンド」

「……ああ……来ないんじゃない?」


 否定すると余計あれやこれやと突っ込まれる。静かにスルーする。


「ふうん」


 得意先の華道教室に届ける稽古用のお花をより分けながら、千奈美がこちらに意味深な視線を投げかけてくる。


「何て名前だっけ?」

「え?」

「彼の名前」

「……神崎さん」

「神崎さんかあ」


 白々しい、ちゃんと覚えているくせに。


 より分けた花を一人分ずつ新聞に包み、配達用の段ボール箱に詰めていく。


「てっきり昔別れたとか言う旦那かと思ったんだけど、違うんでしょ?」

「違う」


 あれ以来、彼が来店しても千奈美に花束を担当してもらっている。よそよそしい私の態度に、彼もあまり長居することはなくなった。懐かしさに足を運んでくれていただけだろうから、いずれここにも来なくなるだろう。


 再会できたことが良かったかどうかは今となっては分からないが、彼が元気にしていることが分かっただけでも意味があったと思いたい。


 もしかしたら、偶然とはいえあの時大吾に彼を会わせることができて良かったと思う日が来るかも知れない。今わのきわには父親が誰かを伝えたいと思っている。きっと大吾は怒るだろうが……。


 千奈美も突然の私の態度の変化に何か聞きたそうにしているが、ストレートには訊ねてこない。正直今はそれがありがたい。いつか千奈美にだけは全てを話そうと思っている。きっと、笑って話せる日が来るだろう。


「内容と数の確認OK」

「OK」


 花を入れた段ボールを店先に回してある車に積み込む。私は免許を持ってないので、おのずと配達は千奈美が担当することになる。

 心苦しいので『免許を取ろうか?』と提案はしたのだが『外回りの方が性にあってる』と彼女が言うので、近くの少量の注文の時だけ私が自転車で配達するようにしている。


「片霧先生のところに配達してから、例の会社に打ち合わせに行ってくるね」

「あ、うん。お願いね」


 昨日、会社のエントランスに大ぶりの花が欲しいとの依頼が入った。ネットでホームページを検索すると、それなりの規模の会社だと分かった。上手く行けば、定期的な契約に繋げられかもしれないと千奈美も張り切っている。


「こんにちは」


 顔を上げると大柄の男性が店先に佇んでいた。最近時折訪れるお客様だ。


「いらっしゃいませ」

「いらっしゃいませ」


 30代前後だろうか? 柔らかそうな髪は少し明るめの茶髪で、がっしりとした体躯とはアンバランスな中性的な面立ちだった。ノーネクタイのラフなスーツ姿で、人懐こそうな笑顔を浮かべている。


「5千円ほどの花束を作って欲しいんだけど」

「かしこまりました。今日もお任せでよろしいですか?」

「うん、任せるよ」


 そう言って並べた花や鉢植えを見るともなく眺めている。


「じゃ、配達行ってきます」

「うん、気を付けて」


 千奈美は男性客ににこやかに会釈してから車に乗り込んだ。


「今日も暑いね」

「暑いですね。どうぞ中でお待ちください」

「ありがと」


 店内に入り、ショーケースを開けて花のチョイスに取り掛かる。


「このお店は、長いの?」

「いえ、まだ開店したばかりなんです」

「そうなんだ。良いお店だね」

「ありがとうございます」


 花を選ぶ手を止めて振り返り、深々と頭を下げた。


 ひとえに生花店と言っても何を主力商品にするかは様々だ。立地によっては仏花が主力になる店もあるし、法人相手に観葉植物や開店用のスタンドアレンジを得意とする店もある。ブライダルや葬儀、人生の節々を花は彩る。

 私たちの店は、千奈美の両親のお得意様を何件か引き継ぐことができたが、歓楽街が近いというのもあって店頭で売れる花束が主力だ。あまり大きくはないが劇場も徒歩圏にあって、人気のイベントが掛かる時などは客足も増える。一見いちげんのお客様にも足を運んでもらうために、入りやすい店づくりに千奈美と心を砕いた。たとえお世辞でも『良い店』と言ってもらえると嬉しい。


 花束を作り終えて会計を済ませると、彼は気になる一言を言った。


「やっぱあなたの方かな?」

「はい?」

「ううん。ありがとう。また来るよ」

「ありがとうございます……」


 大きな花束を慣れた手つきで肩に担ぎ、彼は笑顔を残して店を出て行った。



 +-+-+-+-+


「弘樹、お前こんなところで何やってるんだ?」

「弦三叔父さん」


 くだんの花屋の前で、従兄いとこの次男坊とばったり会った。


「何だ。誰にやるんだそんな花束」


 大きな花束を肩に担いでいる。


「叔父さんこそ……もしかしてこの花屋に用事?」


 ひそめ気味の声に、あコイツ偶然じゃないなと気付いた。


「俺はあれだ、たまには時子に花をな、買ってってやろうかと思って」

「喧嘩でもしたの?」

「してない」

「ふーん。……でさ、セミロングの方だよね?」

「は?」

「大ちゃんのお目当てのヒト

「何の話だ?」

「しらばっくれてもムダだよ。俺、大ちゃんの後つけてココに辿り着いたんだから」

「ヒマか。何でも良いけど余計なことはするなよ」

「余計?」

「最近はどうだ? ちゃんと仕事してるのか?」


 弘樹は天邪鬼なので、するなと言うことをワザとする癖がある。良い大人になったのだから大丈夫だとは思うが、取り敢えず話をそらした。


「ま、優秀な部下のおかげで楽させてもらってるよ」

「それは何よりだな」

「んなことより」

「どうだ、そろそろお前も身を固めないか?」

「は?」

「智樹も見合いしたし、次はお前の番だろ?」

「何だよソレ。上手くいかなかったんだろ?」


 取り敢えず話だけでもソコの喫茶店で聞いて行け、と言うといきなり満面の笑顔になり、忙しいと帰って行った。


 大輔の意中の女性に接触してどうするつもりだろう? ただの好奇心か? ま、色恋沙汰にまったく興味を示さなかった大輔が、彼女との再会以来まるで中学生の様に心ときめかせる姿はなんとも面白……いや感慨深い。弘樹は時折大輔の家に遊びに行っているらしいから、その変化に嫌でも気が付いたことだろう。どんな相手かと興味を持つのは自然と言えば自然か。弘樹は子供の頃から誰よりも大輔に懐いていたから、アイツなりに心配しているのかも知れない。しかし悪乗りが好きな智樹や、隠居して暇を持て余すアイツ等の親に情報が行くと厄介だ。大輔の母である真津子の耳に入るのも時間の問題。1000万持って男と逃げた女が、今更ウチの息子に何の用だとしゃしゃり出てくる可能性もある。


 大輔は彼女に振られても、恐らく今までと変わらず彼女を思い続けることだろう。それが不憫だ。運命の人、と誰かを愛しても、多くの人間がそれを諦めて別の恋人を求めると言うのに。


『俺は弦三叔父さんが羨ましい』


 小さな喧嘩を繰り返す俺たち夫婦の何が羨ましいのかと不思議に思うが、この二十数年大輔は心底羨ましそうに事あるごとにそう言った。


 大輔の胸にぽっかりと空いた穴は、彼女にしか埋められないのだろう。それが彼女にとってもそうであってくれたら良いのだが……彼女は他の男性との間に子を儲けているらしい。大輔の一途さは、彼女には重すぎる気がしてため息がでる。


 遠ざかる弘樹の背中を見送り、夏の日差しに耐えきれず花屋の店内に足を踏み入れた。



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