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17、理想の家族

 +-+-+-+-+


 彼女のマンション近くの駐車場に車を泊め、家まで荷物を運んだ。外観は何度も見に来たが、中に入るのは初めてだ。


 米の入った袋を片手で抱えて、残りの三つをもう一方の手に下げた。


「あの……痛くない手の方だったら持てるから…」

「そんなに重くないから大丈夫。開けて」

「は、はい」


 3段ほどの階段を駆け上がり、彼女がマンションの入り口で暗証番号を打ち込むと自動ドアが開いた。


「そんなに慌てないで大丈夫だから、落ち着いて。こけたりしたら危ないから……」

「おおおお落ち着いてるわよ。こ、子供じゃないんだから……」


 言いながら噛み噛みなのが自分でもおかしくなったらしく、口の端が笑っている。つられてこちらの口元もつい綻んでしまう。思えば昔もそうだった。彼女といると、こんな風にいつも笑っていた気がする。


 2基並んだエレベーターの前で二人到着を待った。


 片側のエレベーターが一階に着いて扉が開くと、中から住人らしき年配の女性が出てきた。サトちゃんと「こんにちは」と挨拶を交わす。俺に気付いた女性が頭を下げたのでこちらも小さく頭を下げる。


「顔見知り?」

「エレベーターで居合わせた時、挨拶するくらい。何階の人かは知らないの」


 彼女が階数のボタンを押す。5階。確か503号室だったはずだ。


 我ながら馬鹿みたいだと思うけれど、日用品を抱えた夫とその妻にどうやったって見えるよな? とやに下がる。さっき挨拶を交わした女性だって『ご主人と一緒のところを初めて見たわ』とか思ってるに違いない、と勝手に想像している。


 5階に到着して、少し速足で彼女が先を歩く。鍵をカバンから取り出し、503号室のドアに差し込む。


 その短い間に、買い物を終えて我が家に帰宅した、ごく普通の夫婦だと想像してみる。この二十数年の方が実は夢で、俺たちはもう何年も、こうして当たり前のように暮らしている。

 俺によく似た息子と、彼女によく似た娘がいて、この扉を開けると『おかえりなさい』と元気な声がする。


「ど……どうしたの?」

「え?」


 玄関の鍵を開けてこちらを振り向いたサトちゃんが驚いた顔で俺を見上げている。


「何で、泣いてるの?」

「……あ……」


 言われてやっと気が付いた。


「ちょ……ちょっと目にゴミが……」

「兎に角入って」


 取り敢えず玄関に荷物を置いて上がらせてもらい、サトちゃんに言われるがまま洗面所で目を洗った。


「大丈夫?」

「うん。ごめん驚かせて」


 タオルを借りて目元を拭った。


「本当にゴミが入ったの?」

「え?」

「何か……辛い事があるとか……仕事が上手くいってないとか……」

「……大丈夫。ホントに」

「なら良いけど……」


 想像しただけで胸が一杯になるなんて、彼女の前で涙を流してしまうなんて、自分でもさすがに驚いた。荷物を抱えたままだったので、とっさに顔を覆うことも出来なかった。大の男がみっともない。サトちゃんが心配になるのも無理はない。



「奥まで運ぼうか?」


 気を取り直して、玄関に置いていた荷物の数々を指さして尋ねる。


「う……うん。悪いね。じゃ……」


 そんなに申し訳なさそうにしなくても良いのに。


 彼女が襟元の汗を拭いながらエアコンのスイッチを入れた。カーテンを引いたままでも夏の陽光は十分にリビングを明るく照らしていた。


 ここで息子さんと暮らしているのか。今日は居ないみたいだ。名前は確か……


「じゃこっちにお願い」


 オフホワイトで統一されたキッチンは彼女らしい雰囲気だ。荷物を降ろし、彼女の言うがまま米櫃や調味料ラックにそれぞれ仕舞っていく。


 楽しい。夫婦みたい。何度も噛み締めすぎか。


「ご……ごめんね。ホントにこんなことさせて……」

「いや。全然。こんなことくらいなら何時でもするから連絡して」


 仕舞い終えて、名残惜しいながらもいとまを告げるべきか迷っていると、サトちゃんが時計をちらと見てから


「何か飲まない?」


 と言った。


「良いの?」

「冷たいのが良いわよね? アイスコーヒーで良い? 」

「うん」

「じゃ座ってて」


 ダイニングテーブルに座って彼女の背中を目で追った。グラスに氷を満たし、冷蔵庫から取り出したボトル入りのコーヒーをとくとくと注ぐ。


 ああ、良いな。このまま一緒に住めたら良いのに。


 いや、きっと息子が黙っていまい。モチロン本人だって……。


 食器棚にはマグカップや茶碗が二つずつ並んでいる。二人暮らしだから何も不思議はないのだけれど、お揃いの食器の数々を見ていると、ちょっと妬ける。


「あ、昨日貰ったチーズタルト、濃厚で美味しかった」


 アイスコーヒーをテーブルに運びながら、彼女が嬉しそうに言う。


「それは良かった。息子さんも食べたの?」

「う……うん。二人してあっと言う間に食べ終わっちゃった」

「今日はダイゴくんは?」

「え? 名前……何で知って……」

「昨日、千奈美さんがほら……」


『大吾くんと二人で食べなよ』


 ケーキを切り分けて彼女に持たせた千奈美さんが、確かにそう言った。


 俺の名前と似ている。大輔とダイゴ。もしかして俺の事を少しは好きでいてくれて、一文字取ってくれたのではと勝手な期待をしてしまっている。


「ああ……凄いな、一度聞いただけで覚えちゃうとか、羨ましい記憶力だな……。今日は……ちょっと出てて、そのままバイトに行くんじゃないかな?」

「そうか」

「うん」

「どんな字?」

「……大きい小さいの大に……」

「うん」

「漢数字の五の下に口」

「へえ……大きなれか……男らしい名前だね」


 心の中で文字を思い浮かべて、ゆるむ口元を引き締めた。


「あ、あのね。別れた旦那がつけたの。覚えやすいし……書きやすいし……」

「そう……」


 そうか……。ま、そうでもなきゃ、昔の男の名前と似た名前なんて、息子につける筈がないか……。


 もしかして遠回しに『勘違いしないで』と言われてる?


「ご主人とは……どこで?」

「……どこで?」

「どこで知り合ったの?」

「ああ……えと……旅館で働いてる時に……」

「旅館で働いてたの?」

「うん……」


  ……今じゃないか? 今なら聞けるんじゃないか?


 またこうやって二人きりになれるのは何時か分からないし、サトちゃんが別れた旦那さんの事をサラッと口にしたわけだし、このタイミングなら……


「サトちゃん、聞きたいんだけど」


 大きく息を吸って口を開きかけた時、ガチャリと音がした。


 あれ? 今、何か玄関が開いたような音が……隣りだろうか?


 

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