15、会うたびに
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「10キロで良いの? ついでだし、もっと買っておいたら?」
「大丈夫」
「でも息子さん食べ盛りだろ?」
「ええと……前は炊いても炊いても足りない位だったんだけど、今はバイト先で賄いをもらうことが多くて……だから、大丈夫」
「そうか、アルバイトしてるのか……」
これ、まるで夫婦みたいじゃないか?
サトちゃんの家から車で15分程のスーパーマーケット。日曜日の午前中ということもあって家族連れで結構にぎわっている。
今日はサトちゃんがお休みだし、何かの役に立てればとお花屋さんの方に手伝いに行くつもりだったのだが……
>お店の方は手が足りているので、とっても申し訳ないのだけれど明日は私の買い物に付き合ってもらえませんか? サラダ油とかお米とか、丁度切れかけてて困っているので。本当に申し訳ないです。手や腰が痛くなかったらどうってことはないんですが、一人では無理そうなので、お願いしたいです。本当にごめんなさい。
昨夜、そう彼女からメールをもらった。嬉しすぎて眠れなかった。今朝ドキドキしながら、寝不足の頭を振りつつ、彼女の家まで車を走らせた。
困ってる彼女を助けられるなんて最高だ。しかも二人で買い物とか、天にも昇る気持ちだ。
彼女がケガをしたことには肝を冷やしたが、不幸中の幸いとはこのことだ。いや、俺にとっては不謹慎ながらどこにも不幸なことはない。
彼女を抱き上げたり、車の隣に乗せたり、恋人同士や新婚カップルじゃなきゃ出来そうにないことを、たまたま居合わせたというだけで体験することが出来た。
昨日はいろいろと気になることがあって素直に喜べなかったが、ラッキーなことこの上ない。
「あと、何だっけ? サラダ油と醤油は入れたし……」
「あ、日本酒も切れてたんだった」
「日本酒? 飲む用?」
「たまに飲むけど、基本料理用」
「料理酒じゃないんだ」
「うん。料理酒は使ったことなくて……」
「へえ、俺と一緒だ」
「……料理とかするんだ」
「ま、ある程度はね」
アルコール類のコーナーに行き、日本酒とみりんをかごに入れた。
「ちょっと……これは重すぎかも……」
買い物かごの中身を見て彼女が眉間にしわを寄せている。
「車だし、大丈夫」
ああ、幸せ。
スーパーのカートを借りて、駐車場まで荷物を運ぶ。
「ごめんね。やっぱり買い過ぎだったね」
「大丈夫だから、もう車に乗り込んでて、クーラー付けてあるから」
手伝おうとする彼女を制止して合計4つの袋をトランクに積み込んだ。
7月の日差しはコンクリートの地面を熱く焼き上げて、庇の無い駐車場は立っているだけで眩暈がするほどだ。
「でも……」
「腰は痛くない? 大丈夫?」
「大丈夫」
荷物を積み終えて助手席のドアを開けてあげると、彼女はやっと素直に車に乗り込んだ。
そうしてカートを返しに行こうとすると、駐車場の警備員が引き取ってくれた。お礼を言って車に戻る。
これがデートならこんなに嬉しい事は無いのに。けれど調子に乗って彼女を引っ張りまわす訳には行かない。何しろ彼女は腰や腕を負傷して仕事を休んでいるのだから。早く用事を済ませて休ませてあげなくては。
「荷物を自宅に運んだら、お店の様子を見てくるよ」
「え?」
周りを確認しながらバックで車を出す。
助手席の背中側に手を置く男性の仕草にドキッとするとか、本当なんだろうか?
「帰ったらどうだったかメールするね」
「あ、うん……。いや……え……と……お昼ごはん……食べて行かない?」
「え?」
「そ……このお蕎麦屋さんが美味しいって有名なの、ピザ屋さんも……それから……」
「お昼……一緒に?」
「うん。あー、お腹すいたなあ。帰ってから包丁持つのも疲れるし、食べていきたいなあ……」
「良いよ。行こう」
余程お腹がすいているのだろうか? まだ11時だが、普段は早朝から立ち働いているから、急に休みを取って体がいつもの調子じゃないのかも知れない。何にしても嬉しい。
蕎麦だとすぐに食べ終わってしまいそうだから、時間のかかりそうな……
「そこの釜めし屋とかどう?」
駐車場を出て少し走ったところに大きな看板が見えた。
真夏にナシか?
「あ、いいね。行ったことないけど。行ってみたかったんだ」
「よし、決まり」
気のせいだろうか? 今日の彼女は積極的だ。考えてみれば仕事中にお邪魔するのはやはり迷惑なのかも知れない。おそらくプライベートだからこんな風に砕けた感じで接してくれているのだろう。
何にせよ、彼女から食事に誘ってくれたことが嬉しい。
わくわくしながら店内に足を踏み入れると、まだ昼食には早い時間ながら、休日も手伝ってか半数の席が埋まっていた。
「二名様ですか? こちらのお席どうぞー」
二人掛けのテーブルに案内され、向かい合って座った。
「あ、ここ鰻もあるね」
メニューを開くと釜めしの他にうな重や麺類なども取り揃えている。
「か、釜めし。釜めし屋だから釜めしにしようよ」
「そうだね」
そういうのに拘るタイプだったっけ?
何にしても、少しでも長く居られるならその方が嬉しい。
注文を済ましてメニューを閉じた。炊きあがるまで30分程掛かるらしい。何の話をしよう? 気になっているあの事か……?
昨日も、車で彼女を送りながら、のどまで出かかった言葉を何度も飲み込んだ。
『どうして俺の前から姿を消したの?』
直截過ぎてどうしても責めているように聞こえてしまいそうだった。まずはもっと軽い質問からにしようと千奈美さんとの関係を尋ねた。その後で本当に聞きたかったことを聞こうと決めて。
ところが、思った以上に千奈美さんの周辺の話がヘビーで。肝心の話は切り出せなくなってしまった。
今日はどうする? 聞くか? ズバッと聞いてしまうか? いや、でもどうする? 俺の事が好きじゃなくなったから、とか煩わしくなったから……とか……。そもそも付き合っている時から気付いていたことだが、俺の彼女への想いを100とすると、彼女の俺に対する想いはおそらく3……いや45くらいだと思う。おそらく芙沙子に吹き込まれたであろう何らかの情報が、その45すら瞬く間に奪い去ったのかも知れない。
まあそもそも、45くらいはあったはずとか、希望的観測に過ぎないのだが……。しかし嫌いになったならなったと、彼女なら正直に言ってくれそうにも思う。
何にしても、食事前は良くない。食事は美味しく取らなければ。何か当たり障りのない話……そうだ!
「サトちゃん、聞きたかったんだけど……」
「何?」
「こないだ送ってくれたメールの中に【水切り】って言葉があったけど、どういう意味?」
次に会ったら聞こうと、ずっと思っていたのだ。昨日はそれどころじゃなくて失念していた。恐らくこのご時世、携帯だのパソコンだので検索すれば簡単に知ることはできるのだろうが、彼女と話すとっかかりにと取っておいた。
「ああ、草花の茎をね、水の中で切ることなの」
「水の中で?」
「うん。できるだけ切り口を大きくした方が水の吸い上げも良くなるから。斜めに切るとより良いよ」
「斜めに? 成程」
普通に水の外で切っていた。水を切ると言う意味じゃなくて、水の中で切るという意味だったのか。
「お花用のハサミが無かったら、良く切れる大きめのハサミで代用してね。キッチンバサミとか……」
「ああ、うん。分かった。それから、えと……延命剤って何?」
「延命剤? お花の水揚げを良くしたり、水を腐りにくくしたりする効果があるんだけど……」
「どこで手に入るの?」
「ホームセンターとか、大型のスーパーなら置いてると思う」
「そうか、試してみる。ありがと」
しかし正直なところ、あまり花が長持ちすると頻繁にサトちゃんの店に花束を買いに行けなくなる。これは聞かない方が良かったかも知れない。などと考えていると
「こっちこそありがとう」
「え?」
「お花……楽しんでくれてるみたいで嬉しい」
その笑顔に言葉を失った。
ああ、ダメだな俺は。いい年して、ちっとも成長していない。何か気の利いたことを言わなきゃと思うのに、昔同様ドキドキしてそれもままならない。
もし自分が、記憶を長い時間保てない障害を持った人間だったとしても、彼女が相手なら会うたび恋に落ちる。会うたび。そのたびに。
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