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14、マズイ

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 夕刻、帰宅すると息子の大きな靴が玄関にあった。


 セーフセーフ。病院にも同行してもらった上に家まで送ってもらって、申し訳ない気持ちから上がってお茶でも……と言いかけたが『今度なんかお礼させてね』と車を降りた。英断だ。いや、そんな大したことじゃないけど……大吾が居なかったとしても、家で二人きりになるのはマズイ。


 たとえ友人だとしても。


「あれ? どしたの?」

「うん……ちょっとケガしちゃって早退……」

「え? どこを?」


 ダイニングテーブルでお茶漬けをかき込んでいた大吾が箸を止める。


「おし……腰と手首をちょっとね」


 湿布を巻いた手を見せると大吾が眉間にしわを寄せた。


「大丈夫なんだけど、念のため千奈美が休めって。明日も……」

「ええー……病院は?」

「行った。骨に異常ないって。湿布貰って来た」

「何しててそんな……」

「ラッピング用品を補充しようとして、脚立に乗って棚の上を探ってたんだけど……バランスを崩して落ちちゃったの……」

「ダサ」


 うるさい。


「これからバイト?」

「うん」

「もう出る?」

「あと30分くらいで出る」

「ケーキもらったんだけど食べる?」

「食べる」


 大吾は酒もそれなり飲むが、甘いものも好きである。


 私がテーブルに置いたケーキの箱を嬉し気に開き始める。


「お、ダンジョンてこないだテレビで行列ができるとかやってたとこじゃん」

「そうなの? ……お客さんがくれたから、半分もらって帰って来たんだけど……」

「ラッキー。しかもチーズタルト」


 舌なめずりしながらやかんを火にかけ「紅茶で良い?」とこっちを見る。


「うん」


 大吾が取ってくれたフォークを受け取り、時間があまりないので湯が沸く前に食べ始めることにした。


「うま……」

「美味しいね。チーズが濃い」


「明日は一日休めるんだ?」

「うん……」


 お行儀はあまり宜しくないがケーキの入った箱を開いて、切り分けもせずに直にフォークを突き刺した。


「外ではちゃんとお皿に取り分けて食べなさいよ」

「はいはい」


 分かってますよと言わんばかりに息子の眼が笑っている。


 折角のケーキを勿体ない食べ方だとも思うが、二人奪い合うように食べるのが楽しい。


 ほくそ笑んでいると「俺、明日手伝いに行くよ」と大吾が言った。


「え?」


 もぐもぐと美味しそうに咀嚼しながら立ち上がり、沸騰したお湯をティーポットに注ぐ。


「あんた、明日もバイトでしょ?」

「夕方くらいまでなら入れるから」


 そうしてくれると幾何いくばくかの罪悪感は免れる。


千歳ちとせさんと文子ふみこさんに来てもらうって千奈美は言ってくれてるんだけど……」

「丁度良いよ。ウチのドジ母が迷惑を掛けまして、って挨拶もできるし」

「ぐ……助かるけど……大丈夫?」


 朝から花屋を手伝って、夕方から居酒屋のバイトに入るのは少なからずしんどいのでは……。


「ま、たいして役に立たないとは思うけど力仕事ならなんとかなるし、文子さんも来るならゆうちゃんも居るんだろ?」

「うん、多分」


 千奈美は朝、娘のゆうちゃんを幼稚園まで送っては行くが、お迎えやその後の面倒を見ているのは母の文子さんだ。土曜や日曜の休園日も同じく世話をしている。


「久しぶりに会いたかったし一石二鳥だよ……5時くらいに行けば良い?」

「いや、日曜日は仕入れはないから……ちょっと待ってね、千奈美に連絡してみる」


 私が出勤時間を確認している間に大吾はカップに紅茶を注ぎ、残りのタルトを平らげた。


「美味かったー。今度そのお客さんが来たら、お礼言っといてよ」

「……分かった」


 何も知らずに微笑む息子を見ていると、流石に不憫に思う。今は無理でもいつか何らかの形で、父親に会わせてやりたいが……。


 明日の入り時間を確認し、満足げに紅茶を飲み干すと大吾はアルバイトに出掛けた。


 息子の淹れてくれた紅茶をゆっくり味わい、ため息をつきつつ食器を片付けようと立ち上がった時、メールの着信音が聞こえた。


「ん?」


 カバンの中から携帯を取り出すと彼からだった。



>大丈夫? 


 大丈夫って……さっき別れたとこですが?



 もしかして打撲した体の事じゃなく気持ちのことだろうか? 帰りの車の中で、少し深刻な話になったから……。



 私が彼の車に乗り込んで、今度は自分でシートベルトを装着すると、何も言わずに車を発進させた。間抜けなことにたっぷり5分ほどしてから行き先を言っていなかったことに気付いた。


『あ、そう言えば家の場所まだ言ってなかったね』

『え? あ、うん……どの辺り?』


 そう言った時、どこかよそよそし気に彼が目を反らした気がした。流石に自宅まで送ってもらうのは厚かまし過ぎただろうか? おそらく彼も千奈美に頼まれて仕方なく引き受けたのだろうし、車に乗る前になんとか理由をつけて辞退すれば良かった。


『ごめんね。でも、そんなに遠くないから』

『え? あ、うん。……そう』


 幸い、彼が走らせた方向で間違いは無かったのだが。



>大丈夫です。今日はお世話になりました。ありがとう。


 返信すると、すぐにまたメールが届いた。


>明日、お店の方に手伝いに行くよ。力仕事なら役に立てるかも。


 なんですと?


 ああああ明日、店の手伝いに行かれたりしたらマズイ。非常にマズイ。私の居ないところで、大男二人が……いやいやいやいや、確かにいつか会わせてやりたいとかさっき思ったりしたけど……それはそういうことじゃなくて……。


 マズイ。


>今日もお世話になったのに、それは申し訳なさすぎるのでお気持ちだけで結構です。


 焦る指でメールを打った。


>どうせ暇なんだ。サトちゃんはゆっくり休んでて。


 あわわわわ。すっかり行く気だ。どうしよう。どうする?  


 そうだった。昔から困っている人を助けずにおれない性質たちの人だった。余計なことを言った自覚はある。ありすぎる。



『千奈美さんは昔からの知り合い?』


 言葉少なだった彼が車中、ぽつりと言った。


『うん。中学の時同じクラブだったの。クラスは一緒になったことはないんだけど』

『何部?』

『華道部』

『え? 本当に?』

『うん。まさか将来二人で店をやるようになるとは思ってなかったけどね』

『それは……面白いね』


 千奈美と再会したのは5年程前の事だ。当時勤めていた職場近くのスーパーで、たまたま実家の手伝いで切り花を配達しに来ていた彼女と会った。


『聡美?』

『……千奈美?』


 近況を聞けば結婚して間もないと言う。その半年後には千奈美はゆうちゃんを身ごもって、生まれてからは大吾とよく遊びに行った。千奈美のご主人は関西出身で、人懐こいとても楽しい人だった。羨ましいぐらいの幸せなファミリーだったのに……。



『そう言えば、千奈美さんの子供さんはいつもご両親に預かってもらってるの?』

『うん、そ……え? 千奈美から子供のこととかいつの間に……』


 ゆうちゃんの事を話す機会などあったのだろうか?


『あ……のさっき、ゆうがなんとかって千奈美さんが……こっ……子供じゃないのか?』

『ううん、千奈美の娘だよ。4歳なの。最初は店の方で一緒に店番してたんだけど、真似をしたいお年頃だから……千奈美が煩わしい! とか言い出して、私は可愛いいし良いじゃんて思ったんだけど……最近は実家に預けることが多いんだよね』

『じゃ、尚の事娘さんも寂しいだろうから、休める時は交代で休めると良いね』

『そうだね』


 千奈美の事が気になってるんだろうか? 子供の事まで気にするとか……まさかね。彼には芙沙子さんが居るワケだし。


『千奈美さん……ご主人は?』


 ……気になってるよね。


『実は3年前にね、急な事故で亡くなったの』

『え?』


 ゆうちゃんはその時まだ1歳で、お父さんの遺影の前で訳も分からずきょとんとしていた。次々と訪れる喪服の人々は、幼い目にどんな風に映ったのだろう。


『それは……辛かったろうね』

『うん。弔問客の前では気丈に振舞ってたけど、その姿が余計に痛々しくて……見てられなかった』


 生きていればこうして会うことも叶う。例え添い遂げられなくても、愛した人が健やかに暮らしていてくれるなら、それは何よりの事なのだと思う。


 黙り込んだ私を気遣うように、彼がこう切り出した。


『そう言えば、千奈美さんのご両親がお店を畳んだのも3年前だって言ってなかった? ……千奈美さんが後を継がなかったのは、ご主人を亡くしたばかりでそれどころじゃなかったから?』


 もっともな疑問だ。新たに店を立ち上げるよりも、そうした方が色んな面でメリットがある。


『……実はそのあとすぐ、ご両親の生花店が火事で全焼して……』

『ええ!?』

『駅向こうにあった小さな市場知ってる?』

『ああ……あそこ……そう言えばあったな、火事……狭い路地で、消火が思うように進まなかったとか……』

『うん。古い木造の作りだったし、あっという間に火が燃え広がったらしくて……』

『ご両親にケガは?』

『夜中の付け火だったらしくて、時間的にけが人はいなかったんだけど……』


 どの店主も高齢だったこともあり、再建をとはならなかった。今は更地になって、不動産屋の立て看板が立っている。スーパーができるとかマンションが建つとか噂には聞くが、未だ手つかずのままだ。


『そか……そんな風に不幸が重なることもあるんだな……』

『うん。元々、子供の手が離れたら店を継ぐつもりだったみたいなんだけど、ご主人のことと店の事が重なって、明るいあの子が流石に打ちひしがれて……ゆうちゃんがいるからこそ持ち直したって言うか……』



 あんな話をするんじゃなかった。シングルマザー二人が手を取り合って店を切り盛りしてるとか、ただでさえ優しい彼が同情せずに居られないような状況だ。なのに、聞かれたからとは言え、ぺらぺらとその背景まで話すとか、口が軽すぎる。『まあ、色々あってね……』とか何とか受け流すことも出来たはずだ。


 あんな話を聞いたら、何か出来ることは、と彼が考えたとしても不思議じゃないのに……。



 素人が手伝うとか、花屋舐めんなよ。とか言えば来ないだろうか? いや、親切にしてくれた彼にそんなこと流石に言えない。


 大吾の方を引き留める? 何て言って? 


 理由が見当たらない!


 マズイ。非常にマズイ。


 どうする? どうするーーーーー!!



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