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11、幸せの重さ

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そりゃあにやけもするだろう。何しろ未だ夢見心地なのだから。このトコロ、今朝同様『夢落ちか!?』と目覚めては胸をなでおろす日々だ。


「お……大きな取り引きがまとまりそうでな……」

「どんな?」

「企業秘密だ」


 どうかまとまりますように。


 疑わし気な従弟が口を開く前に、立ち上がって目の前の茶碗を片付け始めた。


「あっ、まだ食ってるのにっ!」

「俺はこの後用事があるんだ。さっさと帰れ」

「何の用事だよ! 女だろ! デートなら俺も連れてけ!」


 デートに他の男を連れてく奴がいるか?


「デートじゃないから安心して帰れ」

「大ちゃんが冷たい! 私の大ちゃんが! 私を捨てるつもりなのねっ!」


 妙な小芝居を始めた弘樹をなんとか追い出し、俺は例の喫茶店に向かうべく車を走らせた。


 窓際の席に陣取り、コーヒーを飲みつつ彼女の店を伺う。暫くすると、ボックス型のコンテナにいくつもの植木を載せてサトちゃんが出てきた。3段になっているディスプレイ用のスタンドにそれらを並べていくのを、至福の思いで眺める。暫くそうしていると、隣の本屋から店員らしき男が出てきた。くたくたのエプロンを着用して、箒と塵取りをたずさえている。

 店先を掃き清めながらサトちゃんに気付き、満面の笑みで挨拶を交わす。


 本当に今気が付いたのか? 彼女が外に居るのを確認してから出て来たんじゃないか?


 歳の頃は30前後。少し猫背の気の弱そうな男だ。


 何だ? 挨拶が長くないか?


 世間話でも始めた様子の二人を見て気が気ではない。男が何か面白い事でも言ったらしく、彼女が相好を崩す。


 面白くない。


 さりとて近所付き合いは大事だろう。まだ開店して間もない店だ。近隣に好印象を与えるべく、つまらない話に合わせているだけなのかも知れない。いや、きっとそうに違いない。


 それにしてはやけに楽しそうだが……。


 本屋の店員。さぼってないでさっさと仕事しろ。


 それからたっぷり5分程も立ち話をして、おざなりに掃き掃除をした後、男は店の中に戻って行った。


 狙っている。あの男、サトちゃんを狙っている。


 疑心暗鬼だとは思いつつも、彼女の近くで働けるあの男が羨ましくてならなかった。


 今日は眺めるだけにとどめようと思っていたが、やはり会いに行こう。あまり頻繁に足を運んで、疎ましがられてはイケナイと思うものの、他の男に向けられた彼女の笑顔を思うと、矢も楯もたまらなくなった。


 何か土産でもと思いつき、美味しいと評判の洋菓子屋まで車を走らせた。こんなものが口実になるかは分からないが、手ぶらよりは良いだろう。



「おはようございます」


 店先で水を撒いていた共同経営者の竹下千奈美さんに声をかける。


「おはようございま……す。あら、ああ……いらっしゃいませ。スーツじゃないからどなたかと思いました」


 そう言って大げさに目を見開く。


 良かった。覚えてくれていたようだ。こっちは毎朝喫茶店から観察しているから、何度も顔を見ているが、千奈美さんが俺を見たのは、初めて花束を買いに来たあの一度きりだ。


「私用で近くに来たので寄らせてもらいました。これ、良かったら召し上がってください」

「え?」

「美味しいらしいんですよ。ここのチーズタルト」


 あんなに並ばなければ買えないとは知らなかったが……。


「ああっ! ダンジョンのチーズタルトですか?」

「はい、ご存知ですか?」

「有名ですよね。いつも開店2時間程で売り切れちゃうとか」


 そうなのか、無事買えて良かった。何かを買うために並んだのなんて初めてかも知れない。


「お口に合うと良いんですが……」

「食べてみたかったんです。ホントにいただいて良いんですか?」

「勿論」

「ありがとうございます」


 嬉しそうに包みを受け取ったその笑顔のまま、千奈美さんは店の中に向けて声を放った。


「聡美ー! ボーイフレンドがお越しよー!」

「えっ?……」


 千奈美さんの大きな声が響き渡ると、店内からドンガラガッシャーンと大きな物音がした。


「!!」


 慌てて店の中に入る。


「サトちゃん!?」

「いたたた……」


 倒れた脚立の横で彼女が床に尻もちをついていた。


 棚の上の整理でもしていたのだろうか? 辺りに散乱している色とりどりのリボンや包装紙を踏まないように気を付けながら彼女の傍に膝をつく。


「ケガは?」

「大丈夫……ちょっとお尻を打っただけ……」


 それ程高さのない脚立だが、強く打ったのではないかとおろおろしていると、後ろから「あららららら、派手にコケたわね。すいません。良かったら彼女を奥の部屋まで運んでもらえません?」と申し訳なさそうに千奈美さんが言った。


「千奈美! ……いいわよ。立てるから……」


 立ち上がろうとして顔をしかめる彼女を制止して、膝の下に手を入れた。


「ホントに! 大丈夫だから!」

「良いから肩に手を回して。そっと持ち上げるから痛かったら言って」

「お……重いわよ?」


 本屋の頼りなさそうな店員と一緒にしないで欲しい。


 彼女の腰に手を回し、ゆっくりと抱き上げる。


「おおーっ、力持ち」


 言いながら千奈美さんは先導して店の奥の扉を開けた。


 低めの上がりかまちの手前で靴を脱いで、そのまま進む。


 奥はコンパクトなダイニングキッチンになっていて、その横のスライド式の扉を開けると畳敷きにソファが置いてある。


「取り敢えずそこのソファに寝かせてもらえます?」

「はい」


 なんならこのまま抱いていたかったが、打ち身の具合も確かめなければならない、そうっとソファに彼女を降ろした。


「い……」

「痛い? ごめん。お尻から降ろしちゃダメだったな……」

「大丈夫……」

「ホントに?」

「……」

「……」


「二人共、赤くなり過ぎじゃない?」

「!」

「!」

「ち……千奈美? な……なってないからっ!」


 半笑いの千奈美さんの発言は聞こえないふりで、そそくさと立ち上がった。


「ええと……病院に行った方が良いんじゃないかな?」

「ホントに……お尻打っただけだから……ちょっと休んでれば大丈夫」

「あ、靴」


ソファの上で彼女が脱いだスニーカーを受け取って三和土たたきに置く。


「ごめんね。ありがとう。その……湿布でも貼っておけば治ると思うから……」

「そうね。湿布を彼に貼ってもらったら?」

「千奈美!」

「あ、そうかお尻をここで出すのは流石にアレか……」


 そういってケラケラと笑う。


「……」

「……」


 顔が熱い。よこしまなことを想像してる変態だと思われないかと焦る。ますます顔が燃えた。


「さ……サトちゃん、他に痛いところはない?」

「ええと……咄嗟に手を突いちゃったから……ちょっと手首も……」

「脚立から転げ落ちるとか、どんなドジっ子よ」

「ち、千奈美が変なこと言うから!」

「変なこと?」

「何でもない!」

「はいはい」


 言いながらキッチンに行き、千奈美さんはボウルに氷水を作って持ってきた。


「取り敢えずこれで手首冷やしといて」

「ありがと」

「私はあっちをかたずけてくるからね」

「あ、ごめんね」

「ええと……神田さんでしたっけ?」

「神崎です」

「失礼。神崎さん、ちょっと聡美をててやって下さいます?」

「はい」

「だ、大丈夫よ。彼も忙しいだろうし……」

「全然。今日は休みだし」

「でも……」

「じゃ、お願いします」


 言うやいなや、千奈美さんは踵を返して店に戻って行った。


 しかし、看ると言っても何をして良いのか分からない。


「……病院に、行った方が良いんじゃないか?」


 て、これさっきも言ったな……。


「大丈夫だってば」


 言いながら、彼女が氷水の中に手を浸す。


 カラカラと涼やかな氷のぶつかり合う音がする。


 生活感のある部屋の中に二人居ると、やけにドキドキした。


「あの……」

「ん?」

「座ったら?」

「ああ……うん……」


 少し距離を置いて彼女の隣に腰かける。


「……」

「……」

「お……お茶でも……」

「え?」


 無理な体勢で立ち上がろうとした彼女がよろける。


「サトちゃ」


 咄嗟に手を差し伸べて、抱き込んだまま背中からソファに倒れ込んだ。


「あ! ごめ!」


 彼女の柔らかな重みを体の上に感じて一瞬意識が飛びそうになる。


「ごごごごごめんなさ……痛っ!」


 慌てて起き上がろうとしてついた手が痛かったらしい。眉間にしわを寄せてまた俺の胸に倒れ込んでくる。

 

 ああ……


 ドキン、ドキン、ドキン……


「あああああの……」

「大丈夫……大丈夫だから」


 もう放したくない。


 彼女の匂い、彼女のぬくもり、その感触。


 幸せに重さがあるなら、きっとこんな感じだろう。



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